「ハギノカムイオー」。史上最高額(当時)で落札された超スターホースを振り返る!
2016年11月25日 更新

「ハギノカムイオー」。史上最高額(当時)で落札された超スターホースを振り返る!

「高額馬」「黄金の馬」「華麗なる一族」と呼ばれ、人間のさまざまな思いとともに、ターフを駆け抜けた「ハギノカムイオー」。そのレースは、華やかなものばかりではなかったのです。 人間社会に鮮烈なデビューをした、サラブレッドの一生を振り返って見ましょう。

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カムイオー生誕

1979年(昭和54年)4月1日。北海道の牧場に1頭のサラブレッドが誕生します。
幼名は「カムイオー(神威王)」。
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母は「イットー」(重賞2勝、最優秀3歳牝馬・同5歳以上牝馬に選出された悲運の名馬)。父は「テスコボーイ」(イギリスでレース引退後、アイルランドに一旦移籍し、1967年に日本に輸入される。テスコガビー・キタノカチドキ・トウショウボーイ等々一流馬を次々と輩出した1970年代の代表的種牡馬)という良血の血統のもとに生まれ、関係者の間では大注目となりました。

「黄金の馬」ハギノカムイオー誕生

1979年10月23日、北海道静内町にて「カムイオー」はセリに出され、とんでもない金額が提示されました。
セリの初値は8000万円!それまでの最高落札価格が5000万円(馬名:ランドギフト)でしたので、初値の時点でこれを上回る史上空前のセリが始まったのでした。
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日本中から集まった1000人以上の馬主・調教師の前で、カムイオーの値段はどんどん跳ね上がり1億5000万円をつけました。この時点でカムイオーの姉のハギノトップレディの所有者、日隈広告側と静内青年部の競り合いとなったのです。そして、1億8500万円を提示した日隈広告側が競り勝ち、落札となりました。
この後、途中でセリを断念した中村和夫氏が、日隈広告側に申し入れ、話し合いの末、共同馬主となったのです。
こうして、これまでの最高落札額の4倍近い超高額馬「黄金の馬」が誕生したのです。
史上空前の金額に新聞・テレビ・雑誌、あらゆるマスコミが大騒ぎしたのは、言うまでもありません。人々の期待を背負わされ、ハギノカムイオーの競走馬としてのステージが準備されたのでした。
ちなみに、当時のサラリーマンの平均年収は約280万円。1億8500万円の超高額馬のニュースを見た人たちには、様々な感情が生じたようです。

いざ、華麗なるデビューへ

落札から約1年半の時を経て、1981年4月、北海道から姉の「ハギノトップレディ」が所属する、栗東トレセン(滋賀県)の伊藤修司厩舎に入厩します。いよいよ、競走馬としての準備段階に入り、デビューは8月の函館に決まりました。しかし、函館に入厩した7月、左前脚の亀裂(ヒビ)が判明し、出走断念、デビューは白紙となります。
波乱のレース人生の幕開けとなりました。
そして、仕切り直しのデビュー戦は、翌1982年(昭和57年)1月の京都となったのです。

デビュー戦 新馬戦 京都芝1600m 1月31日

注目の的となったレースは、伊藤清章(ハギノトップレディの主戦騎手)とのコンビ。
スタートダッシュ良くトップに躍り出ると、そのままレースを引っ張り続け、みごと1着でゴール。スピードもさることながら、2着馬との差が7馬身(約17m)もの大差をつけての
大勝利でした。
このレースは、東京競馬場などでも音声放送(当時はオーロラビジョンによる中継放映のシステムなどなかった)によって、終始中継されました。関西の新馬戦のレース模様を、関東の競馬場で音声中継をすることはなかったので、ハギノカムイオーへの関心の高さを再認識させられた出来事でした。

第2戦 桜草特別(400万下) 中山芝2000m 3月14日

鮮烈なデビューをして臨んだ第2戦は、千葉・中山競馬場に舞台を移します。
圧倒的な支持率の1番人気に応え、みごと1着でゴールします。2着馬と3馬身もの差をつけ、あらためて強さを見せつけたのでした。
なお、このレースは条件戦(400万下)でしたが、メインレースに変更された前代未聞のレースでした。

波乱の幕開け

皐月賞トライアル

順調に勝ち進んだハギノカムイオーは、初の重賞にチャレンジします。しかし、ここで予想だにしない事件が勃発します。「サルノキング事件」です。
1番人気の「サルノキング」と2番人気の「ハギノカムイオー」が同じオーナーだったために起こった騒動でした。
競馬関係者やファンに、様々な憶測や、大きな疑念を抱かせてしまったレースですが、人間の勝手な思いで、ハギノカムイオーにはこの後、悪いイメージがつきまとってしまいます。

第3戦 スプリングステークス 中山芝1800m 3月28日

前2戦と同じようにトップに立ち、スローペースのレース展開をし、そのまま逃げ切りの1着でみごとゴールイン。皐月賞への切符を手中にしました。

サルノキング田原成貴。東京4歳S~スプリングS - YouTube

かの田原成貴騎手が関東エリアでその名を知らしめた惜しい名馬サルノキングの 旧4歳の重賞2戦。 スプリングSでのパドックでの言動。レース振り。骨折。 この2戦で勝負服が変わっているのも意味があるんです。 オールドファンには懐かしい一戦。 競馬、HORSE RACE
レースではサルノキングが出走馬11頭中の最後方、しかも10番手の馬から更に20馬身ほど離れた後方の位置からレースを進めた。逃げるハギノカムイオーにとって理想的なスローペースとなったため、そのまま楽々と逃げ切って優勝した。一方、サルノキングは向こう正面からロングスパートを仕掛けたが、レース中に骨折した影響もあってか、先頭には追いつけず4着に敗れた。

当時、日隅広吉とともにハギノカムイオーを共有していた中村和夫はサルノキングを共有する馬主でもあり、本賞金の足りないハギノカムイオーに皐月賞の出走権を確保させるため、サルノキングを故意に後方からレースを進ませ負けさせた、という疑念がマスコミやファン、関東の調教師から巻き起こることとなった[1]。

サルノキングに騎乗していた田原成貴は「これは決して八百長ではない」という弁明に終始した。実際、関西圏におけるサルノキングのレーススタイルは後方待機策であり、関東圏に進出した共同通信杯と弥生賞では引っ掛かって先行する競馬をしていた。そのため、関東圏の競馬ファンはサルノキングは「先行馬」という印象を強くした。当時の競馬メディアの情報網は現代とは違い、ターフビジョンなどで関東と関西の両レースを間近で見ることができないなど、東西の情報が競馬ファンの間で錯綜することは日常茶飯事で、関東圏のファンが持つサルノキングの印象と関西圏のファンが持つサルノキングの印象が違うのは当然といえば当然であった。
一方で、スプリングステークスの数日前にハギノカムイオーの伊藤修司厩舎へ取材に赴いたある作家が「オーナーの命令でサルノキングを後方にさげるレースをする」という会話がそこでなされているのを偶然聞いてしまったという話も伝わっている[2]。また、作家の安部譲二は、自著『馬主だけに儲けさせるな』[3]の中で、このレースで3着に終わった中島啓之騎乗のアズマハンターが四角手前で捲ってきた際、田原がサルノキングの馬体をアズマハンターの横腹に当てて外に膨れさせた(ように見えた)ことを挙げ、馬主が同じだったハギノカムイオーに勝たせるため、敢えてあのような騎乗をしたと論じている。
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