孤高の求道者は今なおボクシングの夢を追う、西島洋介山!
2017年8月7日 更新

孤高の求道者は今なおボクシングの夢を追う、西島洋介山!

日本クルーザー級のパイオニアとしてその名を轟かせた西島洋介山を知らない人はいないだろう。手裏剣パンチを武器に闘った地下足袋ファイターは、そのボクサー人生の多くをアメリカで過ごした。またボクサーとして現役を退いた後には、日本国内で総合格闘技やキックボクシングにも出陣することに。様々なバックボーンを持ったファイター達とリング上で相見えてきた西島洋介山、孤高のボクサーはその拳にどんな想いを乗せて闘っていたのだろうか。

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結果としては勝ち星に恵まれない総合格闘技、キックボクシング時代だったが当時を客観的に振り返っていただいた。

ミド編)ボクシング出身の選手たちは、なかなか総合格闘技やキックボクシングで勝てません。
例えばボクシングでかつてヘビー級チャンピオンだったフランソワ・ボタも、K-1では秋山選手に腕ひしぎでやられました。
彼は現役ボクサー時代、同じジムでとても強かった選手。でも総合格闘技などは合う合わないがある気がします、体形も含めて。マイク・タイソンなら合っていたとは思います(笑

現役のヘビー級チャンピオンクラスが総合格闘技に出ることはまずないです、ファイトマネーが全く違いますから。

総合格闘技やキックボクシングを馬鹿にするわけではありません、ただボクシングが最強であってほしいという願いはありますね。

レイ・セフォーのパンチと現役のヘビー級ボクサーのパンチは違うし、マーク・ハントのパンチじゃ現役ボクサーは倒れないですよ。
自身の戦績が振るわなかったことは承知の上で、あえてこう語って下さった西島さん。
さらにもう一つ、質問させていただいた。

ミド編)現在、村田諒太選手がWBA世界ミドル級2位にランクされています。この先、日本人がもっと活躍するためには?
スピードとパワー、とくにパワー。
この質問から、話は西島さんの夢へと繋がっていった。

親子二代でボクシングヘビー級チャンピオンの夢を

うちの息子、小学校一年からずっと空手をやってましていまはキックボクシングに。
現在高校一年生ですが、先日プロとのエキシビジョンをやったんです。身長はすでに176、7センチくらいですね。

これをなんとかキックボクシングからボクシングに引っ張ってきて、もっと食べさせて将来はヘビー級に挑戦!なんて夢をみていますよ(笑
ミド編)そのためには、西島ジムを構えないといけませんね!

「理想とするボクシングを、思う存分に伝えてみたい」

実は空手を習得して現在五段の腕前でもある西島さんは、ボクシングの拳の技術と空手の精神力を融合させたいと語る。
アメリカのボクシングは"What's up?"のノリ。
一方で空手は礼に始まり礼に終わる。

この2つの良さを融合させたいですね。
ボクシングについて夢中で語る西島さん

ボクシングについて夢中で語る西島さん

その目、その表情はボクシングへの情熱に溢れている。

「マスターにし」に込めた想い

ミド編)現在、ボクシングを教える際「マスターにし」という名前を用いていらっしゃいます。
2003年、ボクシング最後の試合にKO負けして肘の悪化で引退しました。
「西島洋介山」から「西島洋介」になって海外では7戦5勝1敗1分、でもこの1敗が引退試合。

どこかで「西島洋介山」じゃなくなった自分だから負けたのか?という考えがあったのかもしれません。なんとか「西島洋介」を変えたくて、そんな気持ちが「マスターにし」という名には込められています。

「マスター=技を極めた男」名前にすがってでも勝ちたかった西島の心です。
この名前が、総合格闘技やキックボクシングのリングで使われることはなかった。

現在、西島さんは「マスターにし」をボクシングを教える先生としての、自分のリングネームとして使っている。

無骨でストレート、ボクシングを純粋に愛する男

色んな人を見てきました、ボクシングでもそれ以外の仕事でも。

現役時代、自分より強いボクサーは大勢いました。だけどチャンピオンにはなれなかった。
仕事だって一番下から社長にまでなる人もいれば、そのまま終わる人もいます。

ある人に「なんでお前はチャンピオンになれたんだ?」と問われました。
努力、運、、、なんでなんだ、それを知りたくて今もまだもがいています。

実力があっても4回戦で終わる人もいればチャンピオンになれた自分もいる。
他の仕事であっても、這い上がって社長にまでなれる人と下のままで終わる人がいる。

ただ今は、好きなボクシングを思う存分に教えることが出来るように、一生懸命に働いてその準備をしています。
西島さんが現役プロボクサーから退いたのは2003年。

その後は総合格闘技、キックボクシングに闘いの場を求める一方、その知名度とは全く無縁の世界で黙々と仕事を続けてきた。

「愚直なまでに無骨な求道者」といったら大げさかもしれないが、彼が求めたのはスポットライトを浴びることや巨額のマネーを手にすることでなく、憧れのマイク・タイソンのようにボクシングで強くなりたかった、ただそれを志した男。

本稿をお読みいただけば、いまなお変わらぬ彼のボクシングへの想いが伝わるのではないかと思う。

いま、彼が夢見ているのは親子二代で目指すボクシングの道。
叶うか叶わないかは分からない、ただその夢を胸に彼は今もボクシングの夢を追い続ける。

マスターにしの「ワルチャン エクササイズ」

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