STRAWBERRY FIELDS(ストロベリー・フィールズ)
1989年1月、福井祥史(ex.D'ERLANGER)とLEZYNA(ex.JUSTY-NASTY)を中心に結成されました。メンバーの前歴が人気バンドの経験者ということで当初から注目されました。
音的には、初期のサウンド決定権はLEZYNAが持っていたので、ジャスティナスティを思わせる曲もあった。デビューアルバム前に音作りについて福井と腹割って話し合ったという結果だろうか、デビュー以降はワールドミュージックのエッセンスを少し加えた独特の世界観を確立し、オリジナリティーのある音を出してました。
メンバー
via pbs.twimg.com
SEISHIRO(矢倉勢司郎)(Ba)
バンド経歴:大阪芸術大学を中退し、STRAWBERRY FIELDSに参加。
CHAOS MODE→STRAWBERRY FIELDS→ROUAGEなどでサポート→THE SODOM PROJECT
CHAOS MODE→STRAWBERRY FIELDS→ROUAGEなどでサポート→THE SODOM PROJECT
旧メンバーは、NAOKI(Ba)。解散後は、RAYDIO(直樹名義、ギター)で活動していました。
バンド結成と最終メンバーまでの流れ
44MAGNUMのジミーモデルのギターを買い、メタルに憧れて髪を伸ばす為に高校を中退したLEZYNA。思うように活動できないまま1年を過ぎた頃、目にとまったメンバー募集が縁でJUSTY-NASTYを結成。2年が経ちデビューが見え始めた頃、大きな問題が待ち構えていた。それはテクニック不足。既にジェイルベイト~マインカンプと名のあるバンドを経てきたRODとは違って本格的なバンド経験が初のLEZYNAには、避けられない問題だった。「デビューできてもレコーディングでは弾かせてもらえないかもしれない」と悩んだり、実際にデビュー条件にギターを替えることを希望するレコード会社がでたなど、厳しい現実の中でデビュー直前にJUSTY-NASTYを脱退した。
新たなバンドを始めるにあたり、LEZYNAは福井に目をつける。面識はなかったが、お互いに人気バンドにいたネームバリューを意識していたことを認めている。
D'ERLANGER脱退直後の福井は、久しぶりの自由な時を使って飲み歩いていた。高校の同級生を介して知り合ったSHU-KENとも飲んでいたが、SHU-KENはその同級生との新バンドに向かって意気込んでいた時で、一緒にやるとは思っていなかったそうだ。
LEZYNAから連絡を受けた時、福井の方が時間的に余裕があったので、LEZYNAのバイトするレンタル屋へ出向いた。話しがまとまらないまま一旦Justy-Nastyでのラストライブのリハーサルに行くLEZYNAについていったそうです。
福井とLEZYNAが新バンド結成を決意すると、残りのメンバー探しにかかった。リズム隊は何人か試したのち、ドラムはヘルプからなしくずし的にSHU-KENに決定。ベースのSEISHIRO加入はしばらく後で、最初はNAOKIが加入してバンド形態が揃う。
SEISHIROも直接ではないけどJUSTY-NASTYに縁があったようです。一浪して入った芸術大学で大石とバンドを結成するも、本格始動を前に大石がJUSTY-NASTYに加入して消滅というエピソードがあります。大石とはSTRAWBERRY FIELDSが上京する際に1年程同居させてもらう仲だったそうです。
SEISHIROはLEZYNAと同じレンタル屋でバイトしていたので、STRAWBERRY FIELDS結成については最初から間近でみていました。初期に音合わせしてみるものの、自分のバンドを組みたいとその時は拒否。初ライブを見に行くなど気にかけていて、NAOKI脱退により加入となります。
1990年4月に脱退したNAOKIに代わりSEISHIROが加入して最終ラインナップが揃う。
バンド経歴
1990年1月、アルバム"DANCERAMA"をインディーズよりリリース。このアルバムで、ニューロマンティック風のアレンジを取り入れた軽快でポップなサウンドを披露しました。
via puresound.co.jp
同年9月には、アルバム"Charme"もリリースしています。このアルバムはストロベリーの代表作となっています。ストロベリーの「初期衝動」をつかむ上でも重要な作品です。
1991年3月、アルバム"nouvelle parfum"をリリースしメジャーデビュー。このアルバムは、スピード感溢れるナンバーが多く収録されています。
via www.amazon.co.jp
活動期間:1989年1月~1993年9月2まで。