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1985年1月29日、大竹しのぶは、男の子を出産。
服部春治は
「2000年に羽ばたく」
という願いを込めて
「二千翔(にちか)」
と名づけた。
大竹しのぶは、出産7ヵ月後に仕事に復帰し、1986年 の正月は、家族3人で正月を迎えた。
医師のいった余命1年はすでに過ぎ、大竹しのぶは、
「もしかすると彼はガンに勝ったんじゃないだろうか」
と思った。
そして半年後、ドラマ「男女7人夏物語」で明石家さんまと共演することになった。
好感度ナンバーワンタレントとなり、お笑い芸人として初めてトレンディドラマの主役に抜擢された明石家さんまは、初顔合わせの日、いきなり遅刻。
「今井良介役の明石家さんまさんです」
と紹介された後、隣に座っていた神埼桃子役の大竹しのぶに話しかけられた。
「ねえ、さんまって芸名、気に入ってるの?」
「気に入るも何も・・」
「イワシじゃイヤだったの?」
「・・・・師匠がつけてくれたんで」
「あ、そうなんだ。
師匠、魚が好きなんだ」
「・・いや」
「明石家サバでもよかったかも」
服部春治は
「2000年に羽ばたく」
という願いを込めて
「二千翔(にちか)」
と名づけた。
大竹しのぶは、出産7ヵ月後に仕事に復帰し、1986年 の正月は、家族3人で正月を迎えた。
医師のいった余命1年はすでに過ぎ、大竹しのぶは、
「もしかすると彼はガンに勝ったんじゃないだろうか」
と思った。
そして半年後、ドラマ「男女7人夏物語」で明石家さんまと共演することになった。
好感度ナンバーワンタレントとなり、お笑い芸人として初めてトレンディドラマの主役に抜擢された明石家さんまは、初顔合わせの日、いきなり遅刻。
「今井良介役の明石家さんまさんです」
と紹介された後、隣に座っていた神埼桃子役の大竹しのぶに話しかけられた。
「ねえ、さんまって芸名、気に入ってるの?」
「気に入るも何も・・」
「イワシじゃイヤだったの?」
「・・・・師匠がつけてくれたんで」
「あ、そうなんだ。
師匠、魚が好きなんだ」
「・・いや」
「明石家サバでもよかったかも」
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大竹しのぶは、制作発表の記者会見で、
「私は今までちらかというと思い役が多かったと思うんです。
テレビの前のみなさんが観終わった後に疲れたと感じるような。
今回はさんまさんの力で私の明るい面や軽い部分を引き出していただけたらいいなあと思っています」
とコメント。
カメラが回っていなくてもテンションを下げず共演者やスタッフを笑わせる明石家さんまに驚いた。
「笑いのためなら何でもやるってことだよね」
「そうそう、面白ければイイ」
出演者は売れっ子ばかりで全員が揃うシーンを撮る機会は限られため、ときには24時から撮影が始まって終わったときは空が明るくなっていたり、深夜にスタジオ撮影をしてから数時間後、外にロケに出たり、過酷なスケジュールとなった。
出演者にとって移動のバスの中だけ唯一の睡眠時間だったが、明石家さんまだけは、ここでも1人、しゃべり続けた。
大竹しのぶは
「ねぇ、わかってる?
みんな眠りたいと思っているのよ」
と注意。
それでも雑談に花を咲かせる明石家さんまに、出演者は
「バス乗るのは罰ゲームみたい」
といい、ロケバスの人数が減っていった。
明石家さんまは、ガラガラになったバスの中から、
「照明さんの車がギチギチになった」
のを目撃。
「私は今までちらかというと思い役が多かったと思うんです。
テレビの前のみなさんが観終わった後に疲れたと感じるような。
今回はさんまさんの力で私の明るい面や軽い部分を引き出していただけたらいいなあと思っています」
とコメント。
カメラが回っていなくてもテンションを下げず共演者やスタッフを笑わせる明石家さんまに驚いた。
「笑いのためなら何でもやるってことだよね」
「そうそう、面白ければイイ」
出演者は売れっ子ばかりで全員が揃うシーンを撮る機会は限られため、ときには24時から撮影が始まって終わったときは空が明るくなっていたり、深夜にスタジオ撮影をしてから数時間後、外にロケに出たり、過酷なスケジュールとなった。
出演者にとって移動のバスの中だけ唯一の睡眠時間だったが、明石家さんまだけは、ここでも1人、しゃべり続けた。
大竹しのぶは
「ねぇ、わかってる?
みんな眠りたいと思っているのよ」
と注意。
それでも雑談に花を咲かせる明石家さんまに、出演者は
「バス乗るのは罰ゲームみたい」
といい、ロケバスの人数が減っていった。
明石家さんまは、ガラガラになったバスの中から、
「照明さんの車がギチギチになった」
のを目撃。
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出演者は休憩時間を利用して一緒に完成した映像をチェックしていたが、ここで明石家さんまは、必ずペンと紙を持ってスコアリング。
「コレッ、俺かっこいい」
「俺おもろい」
と自画自賛しながら
「鶴太郎さん、いまの残念」
「奥田瑛二さん、今のはダメでしたね」
と他人を減点し、
「ハイッ、今週も俺の勝ち」
大竹しのぶも負けじと
「女子の部では私が優勝」
といってはしゃいだ。
「自分が好きなんです。
誰よりも何よりも自分が好きなんです」
「コレッ、俺かっこいい」
「俺おもろい」
と自画自賛しながら
「鶴太郎さん、いまの残念」
「奥田瑛二さん、今のはダメでしたね」
と他人を減点し、
「ハイッ、今週も俺の勝ち」
大竹しのぶも負けじと
「女子の部では私が優勝」
といってはしゃいだ。
「自分が好きなんです。
誰よりも何よりも自分が好きなんです」
男女7人夏 石井あけみ
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明石家さんまは、よく遅刻した。
あまりの遅刻の多さに大竹しのぶと生野慈朗監督が
「驚かせてやろう」
とドッキリを企画。
まず遅れてきた明石家さんまにスタッフが
「大変です。
大竹しのぶさんが怒って帰っちゃいました」
と伝え、明石家さんまが
「すみません」
「どうしよう」
とウロたえるところに隠れていた大竹しのぶが登場するという筋書きだった。
が、明石家さんまは、大竹しのぶが帰ったと聞くと
「ああ、どうでっか。
ほんなら今日は撮影おまへんな。
お疲れっス!」
といって帰ろうとした。
少しは凹むかと思っていた大竹しのぶは、激怒して飛び出し、
「いいかげんにしてよ!
何、いっているの!」
その後、
「すんません」
「堪忍してください」
とひたすら謝る明石家さんまと
「みんな笑っているけれどスタッフがどんな思いをしているのか知っているの?」
と決して許さない大竹しのぶに周囲は、
「2人で夫婦漫才ができるわ」
と笑った。
成田空港でのラストシーンの撮影では、事前に許可をとったにもかかわらず別の映画のロケとバッティング。
「男女7人夏物語」の撮影を止めようとする空港の担当者とやめるわけにいかにスタッフが怒鳴り合いの押し問答。
撮影を強行したスタッフが空港関係者をブロックする中、階段を下りていく大竹しのぶを明石家さんまが見送るシーンが撮影された。
「男女7人夏物語」は、毎週金曜日21時から放送され、若い男女の気持ちがうまく描いた内容と大竹しのぶと明石家さんまのかけ合いが話題となって、最高視聴率は31%の大ヒット。
あまりの遅刻の多さに大竹しのぶと生野慈朗監督が
「驚かせてやろう」
とドッキリを企画。
まず遅れてきた明石家さんまにスタッフが
「大変です。
大竹しのぶさんが怒って帰っちゃいました」
と伝え、明石家さんまが
「すみません」
「どうしよう」
とウロたえるところに隠れていた大竹しのぶが登場するという筋書きだった。
が、明石家さんまは、大竹しのぶが帰ったと聞くと
「ああ、どうでっか。
ほんなら今日は撮影おまへんな。
お疲れっス!」
といって帰ろうとした。
少しは凹むかと思っていた大竹しのぶは、激怒して飛び出し、
「いいかげんにしてよ!
何、いっているの!」
その後、
「すんません」
「堪忍してください」
とひたすら謝る明石家さんまと
「みんな笑っているけれどスタッフがどんな思いをしているのか知っているの?」
と決して許さない大竹しのぶに周囲は、
「2人で夫婦漫才ができるわ」
と笑った。
成田空港でのラストシーンの撮影では、事前に許可をとったにもかかわらず別の映画のロケとバッティング。
「男女7人夏物語」の撮影を止めようとする空港の担当者とやめるわけにいかにスタッフが怒鳴り合いの押し問答。
撮影を強行したスタッフが空港関係者をブロックする中、階段を下りていく大竹しのぶを明石家さんまが見送るシーンが撮影された。
「男女7人夏物語」は、毎週金曜日21時から放送され、若い男女の気持ちがうまく描いた内容と大竹しのぶと明石家さんまのかけ合いが話題となって、最高視聴率は31%の大ヒット。
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「男女7人夏物語」の撮影が終わった後、大竹しのぶは家族3人で静岡県の下田温泉へ。
運が悪いことに、その日は「男女7人夏物語」のオンエア日。
「春治さんと二千翔に100%の愛情を注がないと・・・・」
と思いつつ、でも
「観たい」
葛藤の末、ホテルの部屋にあったテレビのスイッチをつけてしまった。
大竹しのぶは気づかなかったが、そのとき服部春治はドラマを観る妻をカメラで撮った。
後日、大竹しのぶは家族旅行の写真をみていて、その1枚に気づき、罪悪感を感じた。
一方で
「このドラマで役の幅が広がったんじゃないかと思う。
さんまさんに自分の違う一面を引き出してもらった」
と本人にはいわなかったが、明石家さんまに感謝していた。
友人に
「さんまさんってすごく面白い人なの」
と話すと
「なんか嬉しそうに話してない?
しのぶ、人妻としてそれはまずいよ。
あなたには服部さんという大切なダンナ様がいるじゃない」
と注意されたが、当の服部春治は、それを聞き
「3人で食事をしよう」
といった。
そして初対面で16歳下の明石家さんまと意気投合。
その後も一緒にテニスを楽しむ仲となった。
こうして服部春治は、1986年も生き抜き、大竹しのぶは
「もう大丈夫。
奇跡は起きる」
と信じた。
運が悪いことに、その日は「男女7人夏物語」のオンエア日。
「春治さんと二千翔に100%の愛情を注がないと・・・・」
と思いつつ、でも
「観たい」
葛藤の末、ホテルの部屋にあったテレビのスイッチをつけてしまった。
大竹しのぶは気づかなかったが、そのとき服部春治はドラマを観る妻をカメラで撮った。
後日、大竹しのぶは家族旅行の写真をみていて、その1枚に気づき、罪悪感を感じた。
一方で
「このドラマで役の幅が広がったんじゃないかと思う。
さんまさんに自分の違う一面を引き出してもらった」
と本人にはいわなかったが、明石家さんまに感謝していた。
友人に
「さんまさんってすごく面白い人なの」
と話すと
「なんか嬉しそうに話してない?
しのぶ、人妻としてそれはまずいよ。
あなたには服部さんという大切なダンナ様がいるじゃない」
と注意されたが、当の服部春治は、それを聞き
「3人で食事をしよう」
といった。
そして初対面で16歳下の明石家さんまと意気投合。
その後も一緒にテニスを楽しむ仲となった。
こうして服部春治は、1986年も生き抜き、大竹しのぶは
「もう大丈夫。
奇跡は起きる」
と信じた。
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しかし翌年の3月、服部春治は再び入院。
医師は
「ご自宅にはもう帰れないでしょう。
最後の入院だと思ってください」
と告げた。
その日の夜、大竹しのぶはTBSへ。
それは「男女7人夏物語」のNGシーンをみながら明石家さんまとトークするという番組の収録で
「こんなときに、よりによってバラエティに」
と自分の運命を呪った。
1ヵ月後、「男女7人夏物語」の続編、「男女7人秋物語」の製作が決定。
撮影は夏からスタートするといわれ、大竹しのぶは数日間、悩んだが、出演を断ることにした。
それを誰よりも先に明石家さんまに、それも自分の口で伝えようとオフィスを訪ねた。
「今度のドラマ出られそうにないんです。
ごめんなさい」
怪訝そうな顔をする明石家さんまに
「悪いけど、理由は聞かないで」
と機先を制し
「本当にごめんなさい。
今回は他の女優さんと組んでお仕事してください」
「わかりました」
明石家さんまは、そう答えたが、その後、ドラマのプロデューサーに
「大竹さんに出演を断られてしまいました。
できれば別の女優さんで考えたいんですが・・・」
といわれたとき、
「いやダメです。
大竹さんが出られへんのやったら僕も降ろさせてもらいますわ」
とキッパリ断った。
医師は
「ご自宅にはもう帰れないでしょう。
最後の入院だと思ってください」
と告げた。
その日の夜、大竹しのぶはTBSへ。
それは「男女7人夏物語」のNGシーンをみながら明石家さんまとトークするという番組の収録で
「こんなときに、よりによってバラエティに」
と自分の運命を呪った。
1ヵ月後、「男女7人夏物語」の続編、「男女7人秋物語」の製作が決定。
撮影は夏からスタートするといわれ、大竹しのぶは数日間、悩んだが、出演を断ることにした。
それを誰よりも先に明石家さんまに、それも自分の口で伝えようとオフィスを訪ねた。
「今度のドラマ出られそうにないんです。
ごめんなさい」
怪訝そうな顔をする明石家さんまに
「悪いけど、理由は聞かないで」
と機先を制し
「本当にごめんなさい。
今回は他の女優さんと組んでお仕事してください」
「わかりました」
明石家さんまは、そう答えたが、その後、ドラマのプロデューサーに
「大竹さんに出演を断られてしまいました。
できれば別の女優さんで考えたいんですが・・・」
といわれたとき、
「いやダメです。
大竹さんが出られへんのやったら僕も降ろさせてもらいますわ」
とキッパリ断った。
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一方、大竹しのぶからドラマを降板したことを聞いた医師は、
「それはいけない。
服部さんに懸念を与えるようなことは避けた方がいいです。
奥さんは今まで通りふるまってください」
と反対。
服部春治も
「絶対にやるべきだよ」
といって大竹しのぶを仕事に送り出し、明石家さんまには手紙を書いた。
「僕が遊んであげられない分、秋からしのぶを楽しませてあげてください」
入院して2ヵ月後の5月、服部春治は体の数値が良くなって退院したが、7月に再び入院。
以降は急激に悪化し、自分で立てなくなるほど弱ってしまった。
「それはいけない。
服部さんに懸念を与えるようなことは避けた方がいいです。
奥さんは今まで通りふるまってください」
と反対。
服部春治も
「絶対にやるべきだよ」
といって大竹しのぶを仕事に送り出し、明石家さんまには手紙を書いた。
「僕が遊んであげられない分、秋からしのぶを楽しませてあげてください」
入院して2ヵ月後の5月、服部春治は体の数値が良くなって退院したが、7月に再び入院。
以降は急激に悪化し、自分で立てなくなるほど弱ってしまった。
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大竹しのぶは、病院から仕事に通った。
病室では服部春治の世話をしながら、ずっと手を握り、寝るのは仕事場で少し横になるだけ。
ある日、帰ろうとするとスタッフに呼び止められ、振り向くと大きなケーキと
「おめでとうございます」
という声。
そこで初めて自分の30歳の誕生日であることに気づいた。
みんなに祝福されて嬉しいがツラく、やっとの思いで笑って、ケーキを一口食べた後、
「本当にごめんなさい」
といって飛び出した。
翌朝8時、仕事に向かわなければならず
「じゃ、いってくるね」
すると服部春治は
「ちょっと待って。
そこの引き出しの中をみて」
大竹しのぶがみるとラッピングされた箱があり、中にはカルティエのペンダントが入っていた。
「誕生日おめでとう。
自分で買いに行けないから姪っ子に頼んだんだ」
大竹しのぶは涙を流しながら、それをつけ、仕事に向かった。
病室では服部春治の世話をしながら、ずっと手を握り、寝るのは仕事場で少し横になるだけ。
ある日、帰ろうとするとスタッフに呼び止められ、振り向くと大きなケーキと
「おめでとうございます」
という声。
そこで初めて自分の30歳の誕生日であることに気づいた。
みんなに祝福されて嬉しいがツラく、やっとの思いで笑って、ケーキを一口食べた後、
「本当にごめんなさい」
といって飛び出した。
翌朝8時、仕事に向かわなければならず
「じゃ、いってくるね」
すると服部春治は
「ちょっと待って。
そこの引き出しの中をみて」
大竹しのぶがみるとラッピングされた箱があり、中にはカルティエのペンダントが入っていた。
「誕生日おめでとう。
自分で買いに行けないから姪っ子に頼んだんだ」
大竹しのぶは涙を流しながら、それをつけ、仕事に向かった。
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それから間もなく服部春治はモルヒネ注射が必要な状態になった。
医師は
「会わせたい人がいるなら今のうちに会わせてあげてください」
といい、それまで事情を知らされなかった服部春治の母親や関係者が病室へやって来た。
大竹しのぶは、一睡もしない日が続いた。
最後の夜、危篤状態になったとき、強く手を握り締め、息を引き取るのを見届けた。
そのとき二千翔は、
「泣いちゃダメよ」
といいながら祖母(大竹しのぶの母)や叔母(大竹しのぶの姉)のホッペを叩きながら病室を歩き回っていた。
こうして服部春治は47歳でこの世を去った。
告別式のとき、祭壇の前で二千翔は
「お父さん、飛んできて」
といった。
「飛んできてくれた?」
と聞くと
「ここにいるよ」
といって自分の胸をトントンと叩いた。
それからも二千翔は時折、遠くを見つめるような目をしていたが、あるときポツリといった。
「今日、お父さん、お空にお家建てたね」
そして不思議なことに眉間に、服部春治と全く同じ場所にホクロができた。
医師は
「会わせたい人がいるなら今のうちに会わせてあげてください」
といい、それまで事情を知らされなかった服部春治の母親や関係者が病室へやって来た。
大竹しのぶは、一睡もしない日が続いた。
最後の夜、危篤状態になったとき、強く手を握り締め、息を引き取るのを見届けた。
そのとき二千翔は、
「泣いちゃダメよ」
といいながら祖母(大竹しのぶの母)や叔母(大竹しのぶの姉)のホッペを叩きながら病室を歩き回っていた。
こうして服部春治は47歳でこの世を去った。
告別式のとき、祭壇の前で二千翔は
「お父さん、飛んできて」
といった。
「飛んできてくれた?」
と聞くと
「ここにいるよ」
といって自分の胸をトントンと叩いた。
それからも二千翔は時折、遠くを見つめるような目をしていたが、あるときポツリといった。
「今日、お父さん、お空にお家建てたね」
そして不思議なことに眉間に、服部春治と全く同じ場所にホクロができた。
男女7人秋物語
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告別式から1週間後、大竹しのぶは仕事に復帰。
明石家さんまは、その舞台を観にいった
何度かお見舞いにいき、自らの死期が近いことを悟った服部春治から密かにいわれていた。
「僕がいなくなってから、しのぶのことを面倒みてやってくれ」
一方、大竹しのぶは、服部春治の死後、夜になると涙がこぼれて眠れなくなっていた。
睡眠薬を飲んだこともあったが、すると今度は朝起きられなくなり、あるとき
「起きて、起きて」
と必死に叫ぶ二千翔の声で目が覚めた。
父親が失った息子が朝、目覚めない母親に恐怖にかられたのをみて
「どんなことがあっても薬は飲んではいけない」
と誓った。
そして夜、眠れないと強い孤独感を紛らわせるために友達に電話。
しかしいくら親しい友人でも毎晩かけるわけにはいかなかった。
8月の終わり、「男女7人秋物語」の撮影が始まると、すぐに大竹しのぶは明石家さんまに電話した。
「もしもし、さんまさんですか?
夜分遅くにすみません。
大竹です」
「ああ、どうも。
どないしたん」
「ごめんなさい。
なんか全然眠れなくて」
以後、毎日かけ続け、深夜に他愛のない話を2~3時間した
「この真夜中の電話にどれほど救われたことか」
明石家さんまは、その舞台を観にいった
何度かお見舞いにいき、自らの死期が近いことを悟った服部春治から密かにいわれていた。
「僕がいなくなってから、しのぶのことを面倒みてやってくれ」
一方、大竹しのぶは、服部春治の死後、夜になると涙がこぼれて眠れなくなっていた。
睡眠薬を飲んだこともあったが、すると今度は朝起きられなくなり、あるとき
「起きて、起きて」
と必死に叫ぶ二千翔の声で目が覚めた。
父親が失った息子が朝、目覚めない母親に恐怖にかられたのをみて
「どんなことがあっても薬は飲んではいけない」
と誓った。
そして夜、眠れないと強い孤独感を紛らわせるために友達に電話。
しかしいくら親しい友人でも毎晩かけるわけにはいかなかった。
8月の終わり、「男女7人秋物語」の撮影が始まると、すぐに大竹しのぶは明石家さんまに電話した。
「もしもし、さんまさんですか?
夜分遅くにすみません。
大竹です」
「ああ、どうも。
どないしたん」
「ごめんなさい。
なんか全然眠れなくて」
以後、毎日かけ続け、深夜に他愛のない話を2~3時間した
「この真夜中の電話にどれほど救われたことか」