1999年5月、後追いで参戦していた垣原賢人と共に、全日本プロレスの正式所属選手となった高山。
大森隆男と結成した「NO FEAR」は、一皮剥けずに苦しんでいた二人の大型日本人選手がブレイクするきっかけとなり、史上初となる世界タッグ王座とアジアタッグ王座の同時制覇を成し遂げるまでに。
大森隆男と結成した「NO FEAR」は、一皮剥けずに苦しんでいた二人の大型日本人選手がブレイクするきっかけとなり、史上初となる世界タッグ王座とアジアタッグ王座の同時制覇を成し遂げるまでに。
Akiyama & Kobashi vs Omori & Takayama (30.10.1999)
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2000年、プロレスリング・ノア旗揚げに参画→2001年、PRIDE参戦を機にフリーランスへ
2000年、三沢光晴らと共に全日本プロレスを脱退し、プロレスリング・ノア旗揚げに参加。
2001年、PRIDE参戦を機に再びフリーランスに。以後はノアを中心に、新日本プロレスやその他の様々な団体、PRIDEなど総合格闘技にも参戦。
6月23日、PRIDE.21でドン・フライとの顔が変形するほどの凄惨な殴り合いによりTKO負け。格闘技ファンにも知られるようになりました。
2001年、PRIDE参戦を機に再びフリーランスに。以後はノアを中心に、新日本プロレスやその他の様々な団体、PRIDEなど総合格闘技にも参戦。
6月23日、PRIDE.21でドン・フライとの顔が変形するほどの凄惨な殴り合いによりTKO負け。格闘技ファンにも知られるようになりました。
2002年9月7日、小川良成を破りGHCヘビー級王座を奪取。高山自身初のシングルタイトルでした。
新日本プロレスにおいて、2003年にIWGPヘビー級王座を獲得。
2004年2月1日には、北海道立総合体育センターで鈴木みのると組み、天山広吉・西村修組からIWGPタッグ王座を奪取。3大メジャー団体のタッグ王座を制覇したのは、ベイダーに続き2人目の快挙でした。
新日本プロレスにおいて、2003年にIWGPヘビー級王座を獲得。
2004年2月1日には、北海道立総合体育センターで鈴木みのると組み、天山広吉・西村修組からIWGPタッグ王座を奪取。3大メジャー団体のタッグ王座を制覇したのは、ベイダーに続き2人目の快挙でした。