獣神サンダーライガー  山田恵一がライガーのマスクをかぶるまで
2024年9月30日 更新

獣神サンダーライガー 山田恵一がライガーのマスクをかぶるまで

獣神サンダーライガーの中身は山田さんは、超一途、超根アカ、超ピュア、超ポジティブなナイスガイ。

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怒りの獣神

帰国後、タイガーマスクのようなマスクとロングタイツを想像していた山田恵一は、会社でコスチュームをみて
「エッ、全身?」
と驚いた。
さに全身タイツにはいろいろなものがつていて
「これで試合できるのかな?」
ととまどった。
「獣神ライガー」は、永井豪原作のマンガ&アニメ。
1989年3月から「コミックボンボン」に連載され、同時期にテレビ朝日系で毎週土曜日17:30〜18:00にアニメ放映。
さらに新日本プロレスのリングに登場させるというタイアップ企画だった。
山田恵一がアニメをチェックすると、ライガーはタイガーマスクのような人間ではなく、ウルトラマンのように大きく、さらにプロレス技ではなくソードや光線で敵を攻撃していた。
かつて初代タイガーマスク(佐山聡)は、空前のプロレスブームのきっかけとなったが、状況はかなり異なり
「俺は俺で行こう」
と腹をくくった。
そしてコスチュームを着て練習していると、
「暑くない?」
「動けるの?」
と心配され、橋本真也には
「アニメのスラッとしたライガーがガキンチョになったみたいだな」
といわれた。

Just a moment... (2588854)

1989年4月、永井豪にところにいき、、
「ライガーをやらせてもらいます」
とあいさつし、
「がんばってください」
といわれた。
この模様を取材していたプロレス誌の記者に
「山田はどうした?」
と聞かれ、ライガーは
「ヤマダは死んだ。リヴァプールの風になった」
と答えた。
こうして渡英していた新日本プロレスの若手レスラー、山田恵は、1989年春、リバプールで消息を絶ち、獣神ライガー(後に獣神サンダー・ライガー)が誕生した。
プロレス詩は、素顔の山田恵一と永井豪先生の2ショット写真を掲載。
タイガーマスクのイメージを守るために結婚式を挙げることも許されなった佐山聡と大違い、まったく正体を隠すつもりはなかった。

獣神サンダー・ライガー名試合ダイジェスト〜1989.4.24 獣神ライガーvs小林邦昭〜

1989年4月24日、東京ドームで獣神ライガーのデビュー戦が行わた。
相手はタイガーマスク(佐山聡)の掟破りのマスク剥がしを行って「虎ハンター」と恐れられた小林邦昭。
山田恵一は途中、マスクをはぎにきた小林邦昭に自らマスクをめくってツバを吐きかけ、後で怒られ、イベント後の打ち上げでは、アントニオ猪木に
「これからライガーとしてがんばっていきます」
といって挨拶。
デビューから1ヵ月後の1989年5月25日、大阪城ホールで馳浩を下し、IWGPジュニアヘビー級のタイトルを初戴冠。

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