獣神サンダーライガー  山田恵一がライガーのマスクをかぶるまで
2024年9月30日 更新

獣神サンダーライガー 山田恵一がライガーのマスクをかぶるまで

獣神サンダーライガーの中身は山田さんは、超一途、超根アカ、超ピュア、超ポジティブなナイスガイ。

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山田恵一がデビューした1ヵ月後、埼玉県大宮スケートセンターでUWFの旗揚げ興行が行われた。
事前に貼られたポスターには、中央にマイクを握った新間寿が大きく配置され、
「今、新しいプロレススが始まる。
わたしは数十人のレスラーを確保した。
新間寿復活宣言
私はプロレス界に万里の長城を築く。
UWFオープニングシリーズ
4月11日(水)大宮スケートセンター」
というフレーズ。
右側に、アントニオ猪木、タイガーマスク、前田日明、ラッシャー木村、マサ斎藤、剛竜馬、藤原喜明、高田延彦、長州力、アニマル浜口の顔写真。
左側に、アンドレ・ザ・ジャイアント、ハルク・ホーガン、ローラン・ボック、ボブ・バックランド、アブドーラ・ザ・ブッチャー、キラー・カーンの顔写真。
しかし実際に新間寿が集めたレスラーは、前田日明、ラッシャー木村、剛竜馬、グラン浜田の4人だけ。
これに新日本プロレスからのレンタルで来た高田延彦を加え、彼らは、この開幕戦で外国人レスラーと対戦した。
大宮アリーナは超満員だったが、試合が始まるとインチキに気づいた客が怒り、罵声を飛ばし、さらに
「イーノーキ、イーノーキ・・・」
「チョオシュー、チョオシュー・・」
「ドーラゴン、ドーラゴン・・・」
「フッジッワラ、フッジッワラ・・・」
と猪木コール、長州力コール、藤波辰巳コール、藤原喜明コールを起こして抗議。
これに怒った前田日明は、外国人レスラーをロープに飛ばし、戻ってきたところにフライングヒールキック。
この日、日本に到着し、何の打ち合わせもなくリングに上がった外国人レスラーは、
「最初はマエダを徹底的に痛めつけ、客の不安といら立ちがピークにっしたら、最後にこっぴどく負ける」
とヒールとして試合を盛り上げ、客を喜ばすために全力を尽くそうと思っていたが、前田日明のくるぶしがモロに顔面に入って、一瞬、失神。
前田日明は、ほとんど意識のない外国人レスラーをジャーマンスープレックスで投げ、8分13秒、フォール勝ち。
鼻、口、さらに目からも出血している外国人レスラーは数人のに支えられながら控室に戻った。

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UWFは旗揚げ戦こそ満員だったが、第2戦の熊谷、第3戦の下関、第4戦の岐阜はガラガラ。
東京の蔵前国技館で行われた第5戦は、半分ほど埋まり、新日本プロレスから1日レンタルで藤原喜明が参戦し、メインイベントで前田日明と対戦。
前田のジャーマンスープレックスに藤原が右足をフックしてディフェンスし、倒れた 2人が立ち上がれず、ダブルノックダウンで引き分け。
試合後、前田日明は
「今日の試合は今までの試合とは全然違うんだよ
お前たちにはわからないのか!」
とマイクアピールしたが、多くの観客は途中で席を立ち、最後まで聞いた者はほとんどいなかった。
この後、新間寿とグラン浜田が離脱。
UWFは、所属レスラーが3人に減った上、スポンサーなし、カネなし、外国人招聘ルートなし、なしなしずくしで再スタートした。
藤原喜明に接触し
「1番強いアンタが必要なんです」
といって新日本プロレスから引き抜こうとした。
35歳の藤原喜明は、アントニオ猪木のようなスター性も、元柔道日本一の坂口征二やオリンピック出場の長州力のように華やかなポーツ歴も、藤波辰巳のように鍛え上げられた体も、前田日明のような大きな体も、佐山聡のような身体能力もない。
しかし関節技アリの寝技スパーリングでは誰にも負けず、道場破りが来れば、必ず挑戦を受けて退けた。
なのにリングでは地位が低く
「番犬」
と呼ばれていた。
アントニオ猪木に相談しようと
「UWFに・・」
といった途端
「えっ、お前と誰が行くんだ?」
といわれ、
「なんだ、俺って新日本に必要ないんだって上に俺よりも誰かの方が大切なんだってことか」
という気持ちになって移籍することを決めた。
「堂々とUWFに移った。
俺は誰も裏切ってないからね」

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新日本プロレスをやめる直前、藤原喜明は、藤原教室の生徒を集めて
「俺と高田は辞める。
もしお前らの中についてきたい人間がいるなら、高田の部屋に集まれ」
と伝えた。
山田恵一は、ちゃんこ番だったために行けず、後で船木誠勝から話を聞き、さらに高田延彦に
「待ってるから」
といわれたが行かなかった。
「新日本に拾ってもらったという恩があったし、デビューして間もない立場で自信も何もないので。
これでダメだったらレスラー辞めるしかないのかな?とか色々考えた」
藤原喜明と高田延彦はUWFに移籍した後、ドン荒川が若手の指導をしたが、藤原教室の生徒だった山田恵一と船木誠勝は「荒川教室」には参加せずに別メニューをこなした。

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1984年8月、新日本プロレスはパキスタン遠征を行ったが、山田恵一は、このときから藤原喜明に代わってアントニオ猪木の付き人になった。
「初の海外遠征だし、しかも猪木さんの付き人ですからワクワクなわけですよ」
毎日、
「社長、1時間前です」
といってアントニオ猪木を起こさなくてはならないが、ある日、自分が寝坊。
謝って怒られるのがイヤだったので、
「社長、30分前です」
といってごまかすとアントニオ猪木は、いつものように
「おお、悪い悪い」
といって起きてきた。
帰国後、代官山のアントニオ猪木のマンションを初めて訪問。
エレベーターで上がって扉が開くと直接部屋につながっていて、驚きながら中に入ると倍賞美津子がイスの上でアグラをかいて座っていて、再び驚き、
「ご苦労さま」
といわれ、
(かっこいい!)
と感動。
その後、倍賞美津子が道場に来たとき、練習を見学していた子供たちに
「あのオバちゃん知ってるか?
すごい人なんだぞ」
というと、すかさず
「オバちゃんじゃないでしょ」
と怒られた。
1984年9月、UWFに続き、長州力、アニマル浜口、小林邦昭、寺西勇、キラーカーンなど12選手が新日本プロレスを離脱。
新団体「ジャパンプロレス」をつくり、ジャイアント馬場の全日本プロレスと業務提携を結び、そのリングに上がった。
一気に選手数を落とした新日本プロレスは、箱根で強化合宿。
山田恵一は、
「これからどうなっていくんだろうって思いはあったかもしれないですけど、やっぱり上の選手が抜ければ下はチャンスが巡ってきますから」
と前向きな気持ちで練習。
1985年3月、第1回ヤングライオン杯が開催。
小林俊二、後藤達俊、佐藤直喜、武藤敬司、畑浩和、橋本真也、蝶野正洋、船木誠勝と総当たり戦を行い、準優勝。
(優勝は小林俊二)
半年後の1985年9月、第1次UWFが活動を停止。
12月、新日本プロレスとUWFが業務提携。
リングでは、新日本プロレス vs UWFの抗争が開始。
山田恵一は、前田日明や高田延彦、特に藤原喜明が戻って来たことがうれしかった。
1度出ていったUWFに対して新日本プロレスには微妙な空気が漂っていたが
「関係ねえ」
とばかりにUWF道場を訪ね、練習に参加。
久しぶりに藤原教室で汗をかき、前田日明にスパーリングで押さえ込まれ、耳元で
「ハチベエ、あんまり調子に乗るな」
といわれた。
そしてUWFとの5対5マッチやアントニオ猪木とタッグを組んでUWF勢と戦った。
隔月刊マンガ雑誌「ジャストコミック」で山田恵一をモデルに古舘一郎監修、国友やすゆき作によるマンガ「スープレックス山田くん」が連載開始始。
「デビューして1年以上経って、自分の体の小ささをコンプレックスじゃなく、個性として捉えるよになってた頃。
白い中に1つ黒い点があれば目立つわけで、なんだ、あの動き回ってる小っちゃいのは?って思われるように心がけて、オリジナルのあすなろスープレックスを編み出したり、ダイナマイト・キッドみたいにダイナマイトヘッドバットをやったり・・・
コンプレックスや弱点を武器にできると強いですよ」
ちなみに「あすなろスープレックス」は、前かがみになった相手を抱えて、投げる技である。
Just a moment... (2588911)

1986年3月、山田恵一は順調にキャリアを積み、第2回ヤングライオン杯で初優勝。
4月、前座で橋本真と対戦し、蹴られてサンドバッグのようになりながらもアキレス腱固め、バックドロップ。
そしてタイガーマスクのように体からぶつかるきれいなフライング・クロス・アタック。
自分より30kg重い橋本真也を持ち上げてパイルドライバー。
さらにコーナーに上ってダイナマイト・キッドのようなダイビング・ヘッドバットを決め、13分45秒、3カウントを奪った。
1986年5月、新日本プロレス vs UWFの5対5の勝ち抜き戦が行われた。
UWFは、

先鋒 高田伸彦
次鋒 山崎一夫
中堅 木戸修
副将 藤原喜明
大将 前田日明。

新日本は、

先鋒 山田恵一
次鋒 坂口征二
中堅 越中詩郎
副将 木村健吾
大将 藤波辰巳。

先鋒の山田恵一は、高田伸彦と対戦。
ゴングが鳴ると、いきなり左ハイキックを食らってダウン。
その後、高田伸彦の腕十字固め、下から三角絞め、上からのアームロックにもUWFスタイルで対応。
そしてスープレックス、顔面踏みつけ、ボディスラム、ギロチンドロップなどプロレス殺法で攻め、最後は、後ろ回し蹴りでダウンし、アキレス腱固めを極められ ギブアップした。

【あのレスラーの武者修行】佐山聡・前田日明・山田恵一の英国武者修行

3ヵ月後の8月、初代タイガーマスクであるマーク・ロコが新日本プロレスに
「アイツを連れていきたい」
といったのがきっかけでイギリスに遠征。
「イギリスといえば、キャッレスリングの本場だし、佐山(聡)さんや前田(日明)さんも遠征されていたという部分で興味もあったので渡りに船でした」
リヴァプールのマーク・ロコの家に下宿し、週に数回ある試合の日は、ASW(オールスターレスリングプロモーション)の代表、ブライアン・ディクソンが車に迎えに来て、レスラーでギュウギュウ詰めの状態で試合会場へ。
試合はロンドンで行われることが多く、リヴァプールからは片道3時間かかった。
「フライング・フジ・ヤマダ」の名前でリングに上がり、試合後はレストランに入って6人前のフィッシュ&チップにビネガーをたっぷりかけて食べ、帰宅するのは真夜中。
山田恵一は、アメリカ流のパワフルな派手なプロレスではなく、テクニック重視のイギリスのプロレスにカルチャーショックを受けながら技を磨いた。
フライング・フジ・ヤマダは、ベビーフェイスとして人気を獲得し、マーク・ロコが持っていた世界ミドル級王座を奪取。
「自分にとっては初のベルトだったし、私生活でもプロレスでもロコさんには本当にお世話になりました」
Just a moment... (2588913)

1987年5月、イギリス遠征後、カナダのカルガリーへ。
ステイ先の安達勝治(元プロレスラー、ミスター・ヒト)の家に着くと後輩の笹崎伸司、森村方則、馳浩がいたので
「お疲れ様でございます。
ご無沙汰しております」
と挨拶し
「やめてくださいよ」
「なんで敬語なんですか」
と気を使わせた。
自分以外後輩という状況にヤンチャとイタズラを繰り返し、ある日、試合で脚を痛めたフリをして周りに雑用をさせてサボり、作業が終わった後で
「うっそピョーン」
と告白。
それを安達勝治の奥さんにみられ、
「いい加減にしなさい!」
と叱られた。
安達勝治が運転する車の中でもよおしてきて、
(オシッコしたいな)
と思ったが
でも停まってもらうのは悪いな)
と空の紙コップの中に出した。
するとお尻が温くなってきて、みてみると紙コップに穴が空いていて、座席がベチョべチョ。
「ウワッ!」
とあわててコップを窓の外に投げたが、窓枠に当たって跳ね返り、笹崎伸司の顔にかかった。
練習で頭を強打し、開頭手術を受けた森村方則の見舞いに行き、頭からチューブが出ていたので引っ張って遊んでいたが、その後、試合でパイルドライバーを受け、首を痛め、1ヵ月ほどリングに上がれなかった。
全日本女子プロレスからデビル雅美や小松美加がやってきたので、朝食のときに屁をこいた。
しかし変な感じがしたので部屋に戻ろうと立ち上がるとデビル雅美に
「山田さん、漏れてる、漏れてる」
といわれた。
元国語教師で、後に国会議員、そして大臣にもなる、いつも冷静な後輩、馳浩は、それを笑ってみていた。
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