わが青春の第2次UWF   古い体質を持つ巨大組織に反発し、勝利!
2022年7月24日 更新

わが青春の第2次UWF 古い体質を持つ巨大組織に反発し、勝利!

第1次UWFは1年半で倒産。新日本プロレスに吸収され、2年半、屈辱の出戻り生活を送るも、数々に事件を引き起こし、最後は解雇され、志高きロクデナシどもは再び立ち上がったのである。

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船木誠勝が移籍を発表した翌週、鈴木みのるもUWF 行きを決意。
1ヵ月前に前田日明に会って
「UWF が君に望むことは観 客を集めることでもチケットを売ることでもない。
ただ強くなることだ」
といわれたとことが決め手だったという。
178cm、102kgと小柄だが、横花高校時代にレスリングで国体2位の実績を持ち、自分の強さには自信があった。
またヘアスタイルは、リーゼントか坊主、中村あゆみの大ファンで入場テーマ曲はずっと「風になれ」など非常に一途な性格をしていた。
さらに鈴木みのるが移籍を表明した数日後、藤原喜明がUWF復帰を表明。
6名で始まった第2次UWFは、3名の加入で最強になろうとしていた。
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1989年4月14日、東京・後楽園ホールで「UWF CORE~THE 1st ANNIVERSARY~」が行われ、2400人の 超満員の観客の前で鈴木みのるが安生洋二に裸締めで勝利し、UWFデビュー。
1989年5月4日、UWFは、大阪球場でビッグイベントを「U.W.F. MAY HISTORY 1st」を開催。
大阪球場は2万3000人と超満員の満員になった。
このとき全日本プロレスを退団した大仁田厚が、前田日明に対戦表明すべく現れ、ノーチケットで入り口を通過しようとしてスタッフに止められた。
「じゃあ、前田君を激励するってことならいいだろう」
「いやいや、ダメです」
「わかったよ、じゃあいいよ。
帰るよ」
引き返す大仁田に、報告を聞いてやってきた神新二は
「大仁田さん、チケット持ってますか?」
といった。
一方、正道会館の石井和義と佐竹雅昭は、事前に連絡を入れていたため、リングサイド席の後方、階段形をしたひな壇(1番観やすい席)に案内された。
そして藤原喜明 vs 船木誠勝の師弟対決が行われ、15分36秒、膝十字固めで師が勝利。
前田日明 はメインで クリス・ドールマンと対戦し、4R 30秒、膝十字固めで勝利した。
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1989年4月14日、東京・後楽園ホールで「UWF CORE~THE 1st ANNIVERSARY~」が行われ、2400人の 超満員の観客の前で鈴木みのるが安生洋二に裸締めで勝利し、UWFデビュー。
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このとき全日本プロレスを退団した大仁田厚が、前田日明に対戦表明すべく現れ、ノーチケットで入り口を通過しようとしてスタッフに止められた。
「じゃあ、前田君を激励するってことならいいだろう」
「いやいや、ダメです」
「わかったよ、じゃあいいよ。
帰るよ」
引き返す大仁田に、報告を聞いてやってきた神新二は
「大仁田さん、チケット持ってますか?」
といった。
一方、正道会館の石井和義と佐竹雅昭は、事前に連絡を入れていたため、リングサイド席の後方、階段形をしたひな壇(1番観やすい席)に案内された。
そして藤原喜明 vs 船木誠勝の師弟対決が行われ、15分36秒、膝十字固めで師が勝利。
前田日明 はメインで クリス・ドールマンと対戦し、4R 30秒、膝十字固めで勝利した。

前クリ

オランダの「赤鬼」クリス・ドールマンは、

・グレコローマンレスリング ベネルクス(ベルギー、オランダダ、ルクセンブルクの3ヵ国)選手権4度優勝
・柔道 ヨーロッパ柔道選手権 準優勝
・サンボ 世界選手権 優勝

の実績を持ち、極真空手やウエイトリフティングの大会でも上位入賞。
職業は、アムステルダムの用心棒派遣業でストリートファイト経験も豊富だった。
前田だけでなく自分のことも熱心に応援してくれた日本の観客に
「ファンタスティックで感動した」
という。
そして後年、以下のように告白している。

・UWF - 全日本キックボクシング連盟会長の金田敏男 - オランダのメジロジム会長、ヤン・プラスと経由してドールマンに試合のオファーが入った
・契約は2試合
・リアルファイトということだったが、契約後、間もなくヤン・プラスに「お前が負けることを受け入れない限り試合は行われない」といわれた
・44歳のドールマンは不服だったが、ギャラもよかったので「ファイトではなくゲーム」と割り切りフィックストマッチ(結末が決まっている試合)を受け入れた
・試合数日前、「オオサカのどこか」で前田とリハーサルを行い、試合内容も時間もすべて即興で、フィニッシュだけは膝十字固めと決まった
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また大阪球場は23000人で超満員だったが、その内、数千人は無料招待券によるものだったという。
UWF四国後援会会長、徳島の格闘技界と音楽業界で知らない人はいないといわれるフクタレコードの福田典彦の後輩が松下電器にいて、大阪のパナソニックの販売店から数千枚の無料招待券を配布された。
UWFスタッフは
「人気に陰りというより、実際の人気以上にみせるための苦労。
大阪球場とか大きいハコで興行を打つのは、赤字になったとしても決して無駄ではない。
ゴールデンウィークに大阪球場を満杯にしたことで新たなスポンサーさんや企業さんがついてくれたし、1万円近いビデオが数千本も売れましたから、長い目で見れば黒字興行」
というが、興行収益は見た目ほどではなかったのは確かだった。
社会現象とまでいわれた第2次UWFだったが、その人気は旗揚げから1年を過ぎるとすでに陰りをみせていた。
緊張感がない、つまらない試合が多く最初はガマンして観ていたファンも、やがて足が遠のいていった。
またバリバリの革新派だった前田日明が、いつの間にか保守の権化と化していたことも人気低迷の大きな原因だった。
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UWF道場でも、藤原喜明、船木誠勝、鈴木みのるが移籍後、自己主張ができる彼らによって、変化が起こった。
それまで完全な縦社会だったが、
「盲目的に従うだけではいけない」
と自覚した安生洋二、宮戸優光、中野龍雄ら若手と前田日明、高田延彦、山崎一夫らベテランの間に亀裂が生じ、ベテラン3人が練習に顔を出さなくなったこともあった。
高田は、前田と同調しているようで
「前田さんに勝ったとしても自分がその上にいけるわけではない」
という思いや様々な葛藤を抱えていて、事務所などで前田にニアミスしそうになるとすぐに方向転換して帰ることもあった。
神新二社長、鈴木浩充専務は、経営に危機感を抱き、前田に
「観客数が減って興行収益が減っているにもかかわらずレスラーの数が増えて人件費が増加している」
と伝えた。
しかし超満員の観客からファンタスティックな声援を浴びて試合をした前田にしてみれば、お金がないといわれても信じられず、彼らが私腹を肥やしているのではないかと疑った。
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