アイドル歌手「太川陽介」
1976年に歌手として芸能界デビューした太川陽介さんのデビュー曲は「陽だまりの中で」という曲でキャッチフレーズは「昇れ!太陽くん」という少し変わった感じでした。しかしこのキャッチフレーズは芸名でもある「太川陽介」から用いられたと言われています。芸名の「太川陽介」は株式会社サンミュージックプロダクションの創立者でもある前社長で今は亡き相澤秀禎氏がつけたと言われています。
キラキラしたまばゆい太陽のようにデビュー後は大活躍したような印象がある太川陽介さんですが、そのルックスはアイドルとして申し分のない素敵な笑顔ではあるものの3曲目の「Lui-Lui」がヒットするまではアイドル歌手としての活躍は寂しいものでした。
シングルコレクション
サンミュージックという芸能事務所に所属しているタレントは歌手、俳優、お笑い芸人、タレントと数多く所属しています。その中でも古株として所属している太川陽介さんの魅力は歌だけに留まることはなく多岐にわたり活躍してますが、そんな魅力は触れる太川陽介さんのセカンドシングルは「南風」という曲でした。
この爽やかなルックスは若い女性を中心に魅了し3枚目のシングル曲「Lui-Lui」で一気に火を噴きました。太川陽介さんの最大のヒット曲としてもよく知られ「ルイルイ」と歌う時のポーズは今でもよく見かけることができます。
太川陽介 Lui-Lui (1977) 3
笑顔がキュートで女性のハートを鷲掴みにした太川陽介さんの最大ヒット曲でもある「Lui-Lui」の次の曲も笑顔の素敵な男性路線で行くのかと思いきや4曲目のシングル曲は一転、硬派路線でリリースされています。
太川陽介 Cry Cry Cry (1977)
この時代のアイドル歌手は今では考えられないほど才能あふれた人ばかりで、誰かがヒット曲連発すると迷走するように似たようなテイストの曲調になったりしています。それが歌い手のイメージに合えば大ヒットとなるのですが、ミスマッチとなるとトップアイドルとして活躍していても滑落するという厳しい時代でした。太川陽介さんも例外ではありません。
このキュートな笑顔で女性たちを魅了していてもすべてがヒットするとは限らずシングル曲はリリースするものの歌手以外での活動を始めなくてはならない状態へとなってしまいます。
このキュートな笑顔で女性たちを魅了していてもすべてがヒットするとは限らずシングル曲はリリースするものの歌手以外での活動を始めなくてはならない状態へとなってしまいます。
歌唱力とルックスは多数のヒット曲に恵まれなくとも人気は高いところにある太川陽介さん。
1979年にはNHK総合「レッツゴーヤング」の司会をするなど歌手活動以外にも才能を発揮するようになります。
1979年にはNHK総合「レッツゴーヤング」の司会をするなど歌手活動以外にも才能を発揮するようになります。
出典 aftermath.jp
10曲目のシングルは「ムーンライト・カーニバル」という曲で司会でも活躍していたNHK『レッツゴーヤング』オープニングテーマとして使われいていました。
レッツゴーヤング OP / Lazy 1980.02.10
11曲目のシングルは1979年10月25日発売の「走れ!江の電」、12曲目のシングルは1980年2月21日発売の「おとぎ話」、13曲目のシングルは1980年5月21日発売で日本テレビ「猿飛佐助」エンディングテーマとしても使われた「心の翼」、14曲目のシングルは1981年4月21日に発売され日本テレビ「かくれんぼ」主題歌としても有名だった「そこに微笑が」、リリースされたシングルとしてラストとなっている15曲目のシングルは1985年9月25日発売の「Hey,ミスターバイク!」でした。この曲は海外ドラマ「白バイ野郎ジョン&パンチ」エンディングテーマとして使われました。
レッツゴーヤングの司会者「太川陽介」
数々の歌手はもちろんタレントや俳優も売り出し中の芸能人が挙って出演していたNHKの「レッツゴーヤング」は1974年4月7日から1986年4月13日まで放送されていた大人気番組でした。
最新のシングル曲を聞けることはもちろん、アイドルの素顔が見れたりヒット曲が聞けたりと最新ヒット曲を聴ける番組の1つでした。
最新のシングル曲を聞けることはもちろん、アイドルの素顔が見れたりヒット曲が聞けたりと最新ヒット曲を聴ける番組の1つでした。
太川陽介さんがNHKレッツゴーヤングの司会者として活躍したのは1979年から1980年までと1981年から1985年までの2期ありますが、1期目の1979年から1980年まではメイン司会に歌手でもあり作曲家の平尾昌晃氏を起用し太川陽介さんと榊原郁恵さんが司会として番組が放送されていました。
2期目の1981年から1985年まではメイン司会として番組に関わり司会には当時大人気のアイドル歌手の田原俊彦氏と松田聖子さんが起用されていました。
2期目の1981年から1985年まではメイン司会として番組に関わり司会には当時大人気のアイドル歌手の田原俊彦氏と松田聖子さんが起用されていました。
レッツゴーヤングの司会で思い出に残っているのは太川陽介さんと石川ひとみさんの2人での司会ではないでしょうか。幼い頃に見たことがあるという人はメイン司会と司会が分かれていることなど理解できなかったと思うのですが、1982年の後半期からメイン司会は太川陽介さん、司会は石川ひとみさんというラインナップで法移送されていました。
なぜこの2人のイメージが強いかというと1982年後半期から1985年後半期までという長きにわたってタックを組んでいたらなのですが、この2人の絶妙なトークや番組の進行の仕方もスムーズでアイドル歌手として活躍していた2人というよりは熟練度の高い2人といった感じだったと記憶しています。
出典 ameblo.jp
近年ではレッツゴーヤングコンサートと題して懐かしいメンバーが集まって歌っていたりとこの番組のファンにはたまらないイベントが開催されたりしているようです。もちろん司会は太川陽介さんと石川ひとみ石川ひとみさんの2人で行われているので楽しく見聞きできたのではないでしょか。
誕生日:1959年1月13日
血液型:A型
趣味:料理
特技:ゴルフ
出身地:京都府
デビュー:1976年