ザ・ジャム時代のポール・ウェラー
1977年、パンク・ムーヴメントのまっただ中にデビューしたポール・ウェラー率いるバンド、「ザ・ジャム」。
1979年にイギリスの権威ある音楽誌ニュー・ミュージカル・エクスプレスのNMEアワードのベスト・グループに選ばれると1982年の解散までその座を他に譲ることはなかったイギリスの国民的人気バンドだ(ちなみに77年のベスト・グループはセックス・ピストルズ。78年はザ・クラッシュ)。
1979年にイギリスの権威ある音楽誌ニュー・ミュージカル・エクスプレスのNMEアワードのベスト・グループに選ばれると1982年の解散までその座を他に譲ることはなかったイギリスの国民的人気バンドだ(ちなみに77年のベスト・グループはセックス・ピストルズ。78年はザ・クラッシュ)。
ポール・ウェラーが人気絶頂のさなかにザ・ジャムを解散したのは、最高の状態のままバンドの幕を引きたいという思いが一番強かったはずだ。それと同時に、ギター、ベース、ドラムスというスリーピースでの表現に行き詰まりを感じており、自分の音楽の可能性をさらに追求していきたいという気持ちもあったのに違いない。
現にザ・ジャムの最後のアルバム『ザ・ギフト(The Gift)』では、ホーンセクションを導入し、ファンクやモータウンの要素なども取り入れた今までにないサウンドに仕上がっていたし、最後のワールド・ツアーになった「TRANS GLOBAL UNITY EXPRESS TOUR」でもホーン・セクションを率いて演奏している。
その頃のことをポール・ウェラーは次のように振り返っている。
現にザ・ジャムの最後のアルバム『ザ・ギフト(The Gift)』では、ホーンセクションを導入し、ファンクやモータウンの要素なども取り入れた今までにないサウンドに仕上がっていたし、最後のワールド・ツアーになった「TRANS GLOBAL UNITY EXPRESS TOUR」でもホーン・セクションを率いて演奏している。
その頃のことをポール・ウェラーは次のように振り返っている。
「自分に何ができるのかを試すために解散を望んだんだ。活動を終わらせるにはちょうどいい時期だったと思うよ。その後もザ・ジャムの音楽は生き続けてる。色褪せないし、ずっと続いていくような音楽だ」
スタイル・カウンシルの誕生
ポール・ウェラーが「試したかった」こととは何だったのだろうか?
ポップはもちろんジャズやソウル、ファンクなどあらゆる音楽を取り込んでスタイリッシュに昇華させること。あらゆるカッコイイ音楽をクロスオーバーすること。そして、ファッションやライフ・スタイルまでを変革すること。
そして、生まれたのがスタイル・カウンシルだった。
ポールが相棒に選んだのは、ミック・タルボット(Mick Talbot)。ネオ・モッズ・バンド「マートン・パーカス」のメンバーとしてデビューした後、ライヴのみながら一時期デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズにも参加していた若手オルガン・プレイヤーだ。
スタイル・カウンシルは、1983年3月にシングル「スピーク・ライク・ア・チャイルド(Speak Like A Child)」でデビューを飾ることになる。
ポップはもちろんジャズやソウル、ファンクなどあらゆる音楽を取り込んでスタイリッシュに昇華させること。あらゆるカッコイイ音楽をクロスオーバーすること。そして、ファッションやライフ・スタイルまでを変革すること。
そして、生まれたのがスタイル・カウンシルだった。
ポールが相棒に選んだのは、ミック・タルボット(Mick Talbot)。ネオ・モッズ・バンド「マートン・パーカス」のメンバーとしてデビューした後、ライヴのみながら一時期デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズにも参加していた若手オルガン・プレイヤーだ。
スタイル・カウンシルは、1983年3月にシングル「スピーク・ライク・ア・チャイルド(Speak Like A Child)」でデビューを飾ることになる。
The Style Council - Speak Like A Child - YouTube
Music video by The Style Council performing Speak Like A Child. (C) 1983 Polydor Ltd. (UK)
via www.youtube.com
スタイルの最先端へ
スタイル・カウンシルの音楽は、80年代のアンテナ人間たちに大きく受け入れられていった。そのジャジーでスタイリッシュな音楽性ばかりではなく、彼らのファッションや存在そのものに憧れの目が向けられていったのだ。「スタイル評議会」というグループ名にふさわしく彼らは音楽を中心とするあらゆる「スタイルの最先端」となっていった。
そして、1983年の8月にリリースされた3rdシングル「ロング・ホット・サマー(Long hot summer)」は本国でスマッシュ・ヒットとなった。バブルまっただ中の日本でも当時流行のカフェバーでかかりまくり、ファッションにこだわるお洒落な若者たちを中心に大いにもてはやされ始めた。そのほとんどはザ・ジャムなどまったく知らない若者たちだった。
そして、1983年の8月にリリースされた3rdシングル「ロング・ホット・サマー(Long hot summer)」は本国でスマッシュ・ヒットとなった。バブルまっただ中の日本でも当時流行のカフェバーでかかりまくり、ファッションにこだわるお洒落な若者たちを中心に大いにもてはやされ始めた。そのほとんどはザ・ジャムなどまったく知らない若者たちだった。
The Style Council - Long Hot Summer - YouTube
Music video by The Style Council performing Long Hot Summer. (C) 1983 Polydor Ltd. (UK)
via www.youtube.com
スタイル・カウンシルはあくまでポール・ウェラーとミック・タルボットのユニットということに変わりはなかったが、この頃には、ワム!(Wham!)のバック・コーラスをしていたD.C.リー((D.C.Lee)と当時若干17歳のドラマーのスティーヴ・ホワイト(Steve White)がほぼ固定のメンバーとして参加するようになっていった。
ザ・ジャム信者の苦悩
R&Bやソウルを前面に打ち出したスタイル・カウンシルの音楽は、イギリス本国、そして日本の熱狂的なジャム信者を大いに戸惑わせた。ポール・ウェラーのやることは盲目的に信じたい。しかし、メッセージはともかくそのサウンドの「軟弱」さはゴリゴリのジャム信者にはもろ手を挙げて受け入れられるものではなかった。
1983年11月にリリースされた「ソリッド・ボンド・イン・ユア・ハート(Solid Bond In Your Heart)」がもともとはザ・ジャムの曲として制作されたものだったことを知ると、ザ・ジャム信者たちは大きな喪失感に包まれたものだ。
しかし、時代にマッチしたスタイル・カウンシルの音楽はすでに流れをとめられないくらい大きなものになっており、ザ・ジャム信者たちはノスタルジーの中に取り残されていった。
1983年11月にリリースされた「ソリッド・ボンド・イン・ユア・ハート(Solid Bond In Your Heart)」がもともとはザ・ジャムの曲として制作されたものだったことを知ると、ザ・ジャム信者たちは大きな喪失感に包まれたものだ。
しかし、時代にマッチしたスタイル・カウンシルの音楽はすでに流れをとめられないくらい大きなものになっており、ザ・ジャム信者たちはノスタルジーの中に取り残されていった。
The Style Council - Solid Bond In Your Heart - YouTube
Music video by The Style Council performing Solid Bond In Your Heart. (C) 1984 Polydor Ltd. (UK)
via www.youtube.com
スタイル・カウンシルの快進撃
ここからのスタイル・カウンシルは、スタイリッシュ・ミュージックの象徴として快進撃を続ける。
1984年2月にはシングル「マイ・エヴァー・チェンジング・ムーズ(My ever changing moods)」をリリース。大ヒットとなる。
1984年2月にはシングル「マイ・エヴァー・チェンジング・ムーズ(My ever changing moods)」をリリース。大ヒットとなる。