グローブ3戦目でK-1王者:ブランコ・シカティックと対戦
K-1 Classics: Andy Hug's first K-1 Match ~アンディ・フグ~
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1993年11月、アンディ・フグは、村上竜司とグローブマッチを行いKO勝ち。
Andy Hug vs Eric Albert
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1993年12月、ライトヘビー級最強を決める「K-2グランプリ」のスペシャルマッチで、アンディ・フグはエリック・アルバートを2RにKOした。
「キックボクサーより空手家のほうが心が強いと思います」
K-1 The Best...Hug-Cikatic....K-1 Challenge-1994.
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1994年3月、アンディ・フグは、1993年4月30日の宣言通り、前年のK-1グランプリチャンピオン:ブランコ・シカティックと対戦した。
ブランコ・シカティックは50戦以上のキャリアがあり、しかも内戦状態の母国クロアチアで、何度も死線をくぐりぬけてきた戦士である。
対するアンディ・フグはグローブ3戦目。
誰もがブランコ・シカティック勝利を予想したが、アンディ・フグだけは
「キックボクサーより空手家のほうが心が強いと思います」
と自分の勝利を信じていた。
試合開始早々、アンディ・フグは踵落とし。
それをかわしたブランコ・シカティックは、首相撲から膝蹴り、そしてパンチでスタンディングダウンを奪う。
(やっぱりダメか)
誰もが思った。
しかしその後のアンディ・フグが凄かった。
スイッチが入ったアンディ・フグは、遠い間合いからは踵落としや後ろ回し蹴り、中段回し蹴りと蹴りで攻め、接近戦では空手の突きを連打。
2R、ブランコ・シカティックは流血。
それは試合後合計17針縫うほどの傷だった。
そしてアンディ・フグの鬼の攻めにブランコ・シカティックはスタンディングダウンを奪われる。
神がかった強さを発揮し、ダウンを取り返したアンディ・フグは、その後も攻め続け、5Rを戦い抜き判定勝ちした。
ブランコ・シカティックは50戦以上のキャリアがあり、しかも内戦状態の母国クロアチアで、何度も死線をくぐりぬけてきた戦士である。
対するアンディ・フグはグローブ3戦目。
誰もがブランコ・シカティック勝利を予想したが、アンディ・フグだけは
「キックボクサーより空手家のほうが心が強いと思います」
と自分の勝利を信じていた。
試合開始早々、アンディ・フグは踵落とし。
それをかわしたブランコ・シカティックは、首相撲から膝蹴り、そしてパンチでスタンディングダウンを奪う。
(やっぱりダメか)
誰もが思った。
しかしその後のアンディ・フグが凄かった。
スイッチが入ったアンディ・フグは、遠い間合いからは踵落としや後ろ回し蹴り、中段回し蹴りと蹴りで攻め、接近戦では空手の突きを連打。
2R、ブランコ・シカティックは流血。
それは試合後合計17針縫うほどの傷だった。
そしてアンディ・フグの鬼の攻めにブランコ・シカティックはスタンディングダウンを奪われる。
神がかった強さを発揮し、ダウンを取り返したアンディ・フグは、その後も攻め続け、5Rを戦い抜き判定勝ちした。
無名のケンカ屋に1RKO負け K-1グランプリ1回戦敗退
Andy Hug vs Pat Smith
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1994年4月26日、大山倍達が死去した。
その4日後の4月30日、一躍、K-1グランプリの優勝候補となったアンディ・フグは、その1回戦でパトリック・スミスと対戦した。
パトリック・スミスは、カラテワールドカップ '93では、1回戦で佐竹雅昭に拳を砕かれ一本負け。
UFC1では、1回戦でケン・シャムロックにヒールホールドで一本負け。
UFC2では、決勝まで進出し、ホイス・グレイシーにギブアップ負け。
格闘技の技術はあるが、ケンカ屋。
そんな感じのファイターだった。
技術的にも、精神的にも、アンディ・フグとは格闘技の厚みが違いすぎる。
誰もがアンディ・フグの楽勝を予想した。
ゴングが鳴ると、パトリック・スミスは先手必勝、しかも掟破りの逆踵落としを敢行。
そしてパンチでアンディ・フグをダウンさせた。
アンディ・フグはすぐに立ち上がったが、パトリック・スミスはそこに右アッパーで2度目のダウンを奪いKO勝ち。
試合時間は19秒だった。
グローブ3戦目でK-1チャンピオンに劇的勝利した後、無名の選手に秒殺。
無惨だった。
試合後、アンディ・フグは控室に閉じこもり泣いた。
そしてその後、スイスに嫁を残し、日本での単身赴任を開始。
30歳にしてゼロから修行を始めたのだ。
大阪の正道会館総本部の内弟子寮で寝泊まりし、練習漬けの毎日。
角田信朗とウエイトトレーニングに励み、トレーナーにキックボクシングの技術を学んだ。
そして体重を気にしながらも、うどんにご飯を混ぜたり、ご飯にヨーグルトとバナナをかけるなどして、よく食べた。
その4日後の4月30日、一躍、K-1グランプリの優勝候補となったアンディ・フグは、その1回戦でパトリック・スミスと対戦した。
パトリック・スミスは、カラテワールドカップ '93では、1回戦で佐竹雅昭に拳を砕かれ一本負け。
UFC1では、1回戦でケン・シャムロックにヒールホールドで一本負け。
UFC2では、決勝まで進出し、ホイス・グレイシーにギブアップ負け。
格闘技の技術はあるが、ケンカ屋。
そんな感じのファイターだった。
技術的にも、精神的にも、アンディ・フグとは格闘技の厚みが違いすぎる。
誰もがアンディ・フグの楽勝を予想した。
ゴングが鳴ると、パトリック・スミスは先手必勝、しかも掟破りの逆踵落としを敢行。
そしてパンチでアンディ・フグをダウンさせた。
アンディ・フグはすぐに立ち上がったが、パトリック・スミスはそこに右アッパーで2度目のダウンを奪いKO勝ち。
試合時間は19秒だった。
グローブ3戦目でK-1チャンピオンに劇的勝利した後、無名の選手に秒殺。
無惨だった。
試合後、アンディ・フグは控室に閉じこもり泣いた。
そしてその後、スイスに嫁を残し、日本での単身赴任を開始。
30歳にしてゼロから修行を始めたのだ。
大阪の正道会館総本部の内弟子寮で寝泊まりし、練習漬けの毎日。
角田信朗とウエイトトレーニングに励み、トレーナーにキックボクシングの技術を学んだ。
そして体重を気にしながらも、うどんにご飯を混ぜたり、ご飯にヨーグルトとバナナをかけるなどして、よく食べた。
Revenge リベンジ
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1994年9月18日、「K-1 Revenge」が開催された。
以後、これは毎年行われ「リメンジ」シリーズ化した。
「リベンジ=復讐」
1999年に西武ライオンズの松坂大輔が使って流行語大賞にもなったが、その元となったのは、K-1でありアンディ・フグだった。
石井和義は、勝利至上主義の格闘技に、負けたからこそという「負」のドラマを取り入れた。
そして本来、メインにはなり得ないアンディ・フグ vs パトリック・スミスで、横浜アリーナを超満員にした。
ケンカ屋のパトリック・スミスは、再び掟破りの逆踵落としの奇襲攻撃を敢行したが、それをアンディ・フグは下段後ろ回し蹴りで迎え撃った。
アンディ・フグ自身が、極真空手の世界大会の決勝戦で松井章圭にされた技だったがK-1では「フグトルネード」と名付けられた。
フグトルネードで出足を止められたパトリック・スミスは、その後は何もすることができず左膝蹴りでKO負けした。
以後、これは毎年行われ「リメンジ」シリーズ化した。
「リベンジ=復讐」
1999年に西武ライオンズの松坂大輔が使って流行語大賞にもなったが、その元となったのは、K-1でありアンディ・フグだった。
石井和義は、勝利至上主義の格闘技に、負けたからこそという「負」のドラマを取り入れた。
そして本来、メインにはなり得ないアンディ・フグ vs パトリック・スミスで、横浜アリーナを超満員にした。
ケンカ屋のパトリック・スミスは、再び掟破りの逆踵落としの奇襲攻撃を敢行したが、それをアンディ・フグは下段後ろ回し蹴りで迎え撃った。
アンディ・フグ自身が、極真空手の世界大会の決勝戦で松井章圭にされた技だったがK-1では「フグトルネード」と名付けられた。
フグトルネードで出足を止められたパトリック・スミスは、その後は何もすることができず左膝蹴りでKO負けした。
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1994年11月、アンディ・フグの息子:セイヤが誕生した。
2年連続 K-1グランプリ1回戦KO負け
Andy Hug vs Mike Bernardo
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パトリック・スミス戦後、2戦をすべてKO勝ちしたアンディ・フグは、翌年のK-1グランプリ95では再び優勝候補に挙げられた。
そして1回戦でマイク・ベルナルドと対戦。
最初はキックからパンチのコンビネーションでダウンを奪ったが、その後、マイク・ベルナルドの蹴りで肋骨を折られ、パンチでサンドバッグのように滅多打ちにされた末、角田信朗レフリーによって試合を止められた。
2年連続1回戦KO負けだった。
このときの角田信朗はストップが遅いと批判された。
ずっとアンディ・フグの練習とトレーニングをみてきた角田信朗の中には、素直に自分のレフリングを反省する自分と、いまだ試合を止めたことを悔やむ自分がいた。
そして1回戦でマイク・ベルナルドと対戦。
最初はキックからパンチのコンビネーションでダウンを奪ったが、その後、マイク・ベルナルドの蹴りで肋骨を折られ、パンチでサンドバッグのように滅多打ちにされた末、角田信朗レフリーによって試合を止められた。
2年連続1回戦KO負けだった。
このときの角田信朗はストップが遅いと批判された。
ずっとアンディ・フグの練習とトレーニングをみてきた角田信朗の中には、素直に自分のレフリングを反省する自分と、いまだ試合を止めたことを悔やむ自分がいた。