アンディ・フグ【K-1時代~最期の戦い】 We Will Rock You 夢はあきらめるな
2018年12月2日 更新

アンディ・フグ【K-1時代~最期の戦い】 We Will Rock You 夢はあきらめるな

キックボクサーが有利なK-1で、唯一、王者になった空手家。 30歳を過ぎてK-1のリングに飛び込み、3戦目にチャンピオンだったブランコ・シカティックを撃破! K-1グランプリ 2年連続1回戦KO負けした後、空手家として初の優勝!! 白血病との最期の戦いも、ドクターストップによって終わったが、青い目のサムライはギブアップしなかった。

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Andy Hug vs Mike Bernardo K-1 Revenge '95 (7/8)

1995年9月、「K-1 Revenge95」で、アンディ・フグは、マイク・ベルナルドとリマッチ。
前回のパトリック・スミス同様、見事なリベンジが期待されたが、3R、壮絶にKOされた。

Never Give Up「あきらめない」「我慢する」「やり通す」

 (2067769)

アンディ・フグはK-1では勝てない。
30歳を過ぎてキックボクシングをやるのは遅すぎる。
栄光を傷つけないうちにやめてほしい。
多くのファンが否定的な考えをもった。
しかしアンディ・フグだけは
「ネバーギブアップ」
といった。
「私にとって空手は人生そのものなんです。
空手を通して私は、「あきらめない」「我慢する」そして「やり通す」ことを学んだ。
大切なのは最悪なことが続いても、いつかは最高の自分になれるんだと信じることなんです。
私はK-1でも必ずやり通します。」

平仲明信

k-1 佐竹雅昭 対スタン・ザ・マン戦を控えてのハードトレーニング

元WBA世界Jウエルター級チャンピオンである平仲明信は、引退後、沖縄でボクシングジムを開いた。
その少し前、石井和義と出会い、正道会館でボクシング指導を行うことになった。
そして彼に教わった佐竹雅昭は、飛躍的にパンチの技術を伸ばし、キック界のマイク・タイソンといわれるスタン・ザ・マンと堂々と打ち合い、勝利した。

【オキナワンパンチャー!】平仲明信 KO集 9試合 Akinobu Hiranaka KO Collection

あるとき平仲明信は、正道会館の道場で佐竹雅昭が来るのを待っていた。
メディアへの露出が多い佐竹雅昭は、ときどき練習に遅れてきた。
いつも佐竹雅昭が平仲明信のミットを打つ姿を道場の隅でみていたアンディ・フグは話しかけた。
「もし時間があるんだったらボクシングを教えてくれないか?」
こうしてマンツーマンのボクシング練習を始まった。
アンディ・フグは、K-1グランプリ開幕前は、数週間、沖縄合宿を行った。
「どんなに忙しくてもトレーニングだけは遅れず、キチンとメニューをこなすこと。
それが守れなきゃ俺はやめるよ」
アンディ・フグは、そういう平仲明信がつくったメニューを何倍もこなした。
空手と違って脳を殴り合うボクシングでは、アルコールが命とりになることもある。
平仲明信にいわれ、アンディ・フグは禁酒も始めた。
平仲明信は、すぐムキになって、軽いスパーリングができず、パートナーを潰してしまうアンディ・フグをしかった。
また試合前、ナーバスになるアンディ・フグに
「恐がっても相手に勝つしかないんだから。
リングでやることはそれしかない」、
「恐怖を友達にすれば、それがいつか快感になるよ。
楽しむくらいじゃないとダメだよ」
と諭した。
アンディ・フグは恐怖心を克服するために人の数倍練習した。
「ウサギとカメで例えるなら、アンディは典型的なカメのタイプですよ。
カメの中では才能がある方かなあ。
才能というより努力であそこまでいった人間ですよ」

スイスの英雄

K 1 '95 Fight Night Andy Hug vs Dennis Lane

1995年、アンディ・フグであるスイスで第1回「K-1ファイトナイト」が行われ、アンディ・フグは、デニス・レーンと対戦した。
「K-1ファイトナイトの視聴率は50%を超えた。
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アンディ・フグは、イロナの故郷であるルツェルンの湖畔に家を建てた。
プール、ジャグジー、サウナ、ゲームマシンが置かれた娯楽室がついた豪邸だった。
ルツェルンはイロナの故郷で、セイヤの寝室の壁にはイロナがエアーブラシで絵を描いた。
しかしアンディ・フグが、この家で暮らすのは、正月と「K-1ファイトナイト」が行われる6月の数週間だけだった。
スイスには正道会館の支部を8つ持っていたが、指導はマイケル・トンプソンに経理はイロナの母親に任せていた。

vs ヒクソン・グレイシー?

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バーリ・トゥード・ジャパンオープンで、ヒクソン・グレイシーが優勝するのを観戦したアンディ・フグは、道場に帰ってから
「俺はヒクソンを倒す」
といい出した。
あくまで「最強」を目指し追求する思想は、極真空手に顕著だが、それは本来の武道や格闘技の姿勢でもある。
数日後には
「今はK-1があるから、ヒクソンとはしばらくは戦えない」
といったが、ヒクソン・グレイシー vs アンディ・フグのサムライ対決が実現すればと思うとゾクゾクしてしまう。

空手がK-1を制す

andy hug vs stan the man

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