アンディ・フグ【K-1時代~最期の戦い】 We Will Rock You 夢はあきらめるな
2018年12月2日 更新

アンディ・フグ【K-1時代~最期の戦い】 We Will Rock You 夢はあきらめるな

キックボクサーが有利なK-1で、唯一、王者になった空手家。 30歳を過ぎてK-1のリングに飛び込み、3戦目にチャンピオンだったブランコ・シカティックを撃破! K-1グランプリ 2年連続1回戦KO負けした後、空手家として初の優勝!! 白血病との最期の戦いも、ドクターストップによって終わったが、青い目のサムライはギブアップしなかった。

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1996年9月1日、アンディ・フグは、スタン・ザ・マンを2RKO。
 (2049156)

1996年10月18日、1年半ぶりに復帰した佐竹雅昭に判定勝ち。
 (2049158)

そして迎えたK-1グランプリ96の決勝トーナメント。
アンディ・フグは、バンダー・マーブを1RKO。
さらに準決勝では、アーネスト・ホーストを延長2回で判定勝ちし決勝へ進んだ。

Andy Hug vs Mike Bernardo - K-1 GP 96 FINAL

決勝の相手は、過去に2度、KO負けしているマイク・ベルナルドだった。
マイク・ベルナルドは、2回戦で20世紀最強のキックボクサー、ピーター・アーツを殴り倒していた。
1R、アンディ・フグは、マイク・ベルナルドに追い詰められたが、2R、ピーター・アーツ戦でダメージを蓄積させたマイク・ベルナルドの脚を蹴ってダウンを奪い雄たけびを上げた。
 (2049172)

立ち上がったマイク・ベルナルドにフグトルネード(下段後ろ回し蹴り)で2度目のダウンを奪い、腕を突き上げ10カウントを数えた。
2年連続で1回戦負けしたK-1グランプリで、2連続KO負けしているベルナルドにリベンジし、空手家として初のK-1王者。
いろいろな意味で奇跡的な光景だった。

K-1 Andy's Road to Champion

We Will Rock You 夢はあきらめるな

Andy Hug Entrance

1996年、K-1グランプリで奇跡的な優勝を遂げたアンディ・フグは、拠点を大阪から東京に移し、スパーリングパートナーを雇ったり、台湾で太極拳を学んだりした。
そして戦い続けた。
「180㎝、97.7㎏、K-1グランプリ96王者、スイス、アンディー・フグ!」
リングアナがコールすると、伝説のロックバンド:Queenの「We will Rock You」が流れ、決意を固めたサムライがリングに向かった。


We will we will rock you
お前達をあっと驚かせてやるぜ
We will we will rock you
お前達を揺さぶるぜ

CM 強麺まとめ アンディフグ

アンディ・フグのスピリッツは、多くの日本人に感動や夢を与えた。
K-1は、どうやったら多くの人に格闘技をみてもらえるか、いかに汗臭い、野蛮などというネガティブイメージを取り払い、多くの人に観てもらい、楽しんでもらえるか、戦略を練った。
そこに古い堅苦しいしきたりはなかった。
しかしそれだけでは単なる興行である。
K-1は、そこに武道性を強く盛り込もうとした。
武道こそ世界に通用する日本の精神文化だと考えてたからである。
そういう考えを1番実践したのは、皮肉にも青い目をした空手家だった。
アンディ・フグはいった。
「夢はあきらめるな」

フランシスコ・フィリョに2度目のKO負け

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1997年7月20日、アンディ・フグは、フランシスコ・フィリョと対戦。
極真空手の道着にブラジルカラーのキックパンツのフランシスコ・フィリョ。
正道会館の道着にスイスのキックパンツのアンディ・フグ。
しかも極真空手世界大会での因縁。
いつも以上に緊張感を漂わせたアンディ・フグは、少し硬い動きで顔面パンチを見舞おうと間合いを詰めていった。
そしてフランシスコ・フィリョの放ったフックで沈んだ。
極真空手時代と同じ負け方だった。
その後、フランシスコ・フィリョは、KO勝利を続け「一撃」ブームを巻き起こした。

K-1グランプリ 3年連続ファイナリスト

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