辰吉、西岡利晃を幾度も倒したタイの英雄ウィラポン!最後は長谷川穂積に屈した!
2016年12月21日 更新

辰吉、西岡利晃を幾度も倒したタイの英雄ウィラポン!最後は長谷川穂積に屈した!

タイの国民栄誉賞を4度受賞しているタイの英雄ウィラポン。ムエタイからボクシングに転向したボクサー。90年代には浪速のジョー・辰吉丈一郎の挑戦を2度も退け、ウィラポンの名が一躍日本中に知られることとなった。西岡利晃、長谷川穂積との戦いも特集する。

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その後、2000年6月に当時"日本プロボクシング界最大のホープ"と称され、「モンスターレフト」と呼ばれる強力な左を持つ西岡利晃と対戦。しかし、ウィラポンは12回の判定勝ちを収めた。
西岡からは合計4度も挑戦を受けるが、いずれも退けている(内、引き分け2回)。このことからウィラポンは「日本人キラー」という印象を持つボクシングファンは多いのではないだろうか。
2000年の西岡利晃との一戦を知らせるポスター

2000年の西岡利晃との一戦を知らせるポスター

2005年、15度目の防衛戦で長谷川穂積に敗北!

14度もの防衛に成功し、バンタム級最多防衛記録を誇るオルランド・カニザレスに次ぐ2位タイの記録をマークしたウィラポン。しかし、盛者必衰が世の常である。30代後半のベテランとなったウィラポンにもその時が訪れた。

2005年4月16日、日本武道館で行われた15度目の防衛戦で長谷川穂積と対戦。
序盤、長谷川の的確なパンチに苦しむも、中盤は王者らしさをみせる戦いとなったが、終盤スタミナ切れを起こし始めた。ウィラポンは10回にグラつく場面もあり、最終12回が終わって0-3の判定負けを喫した。

これにより6年3か月以上保持してきた王座から陥落し、ついに長期政権に終止符が打たれた。
長谷川 穂積

長谷川 穂積

1980年12月16日生まれ。兵庫県西脇市出身。

バンタム級では5年間世界王座に君臨し、その間10度の防衛に成功した。カウンターと安定感のあるディフェンスが持ち味だった。世界3階級制覇を達成した。
リングに上がり、パフォーマンスをする辰吉

リングに上がり、パフォーマンスをする辰吉

”新王者となった長谷川への表彰中、元WBC世界バンタム級王者辰吉丈一郎がリングに上り、長谷川を無視してウィラポンの片手をあげリングを一周し、そのままウィラポンと共に控え室へと帰った。ウィラポンが持っていたチャンピオンベルトも共に控え室へと消え、新王者の長谷川に巻くベルトがないという異常な事態となった。翌日辰吉から千里馬会長にお詫びの電話がかかり一件落着。

この世界王座奪取が高く評価され、5月には西脇市民栄誉賞を受賞した。” (wikipediaより引用)

2006年3月、長谷川穂積と再戦!

2006年3月25日、ウィラポンは前回の長谷川戦後、5試合を戦い全勝(4KO)。ランキング1位の指名挑戦者として日本のリングに戻ってきた。
11か月前の雪辱と王座奪回を懸け、長谷川穂積と兵庫県神戸市中央区にあるワールド記念ホールで再戦。

序盤から長谷川のスピードについていけず劣勢に立たされるウィラポン。7、8回はウィラポンが反撃に出て、徹底的なボディーブロー攻めで流れをつかもうとする。しかし、9回開始直後、長谷川の右フックがカウンターでクリーンヒットし、ウィラポンが前のめりにダウンした。
ウィラポンは立ち上がろうと試みるも、ダメージが大きく立ち上がることができず。レフリーストップにより自身2度目のKO負けを喫した。

【ボクシング】長谷川穂積×ウィラポンⅡ 歴史的KOシーン【神カウンター】

2010年まで現役を続けた!

長谷川戦後は、年齢もあり限界説が囁かれた。しかし、以降も長谷川への再挑戦を目指して連勝を続けABCOバンタム級王座も獲得し、切れ味鋭い左ストレートと右フックで高いKO率を誇った藤原康二を含む5人の日本人選手とも対戦。全てで勝利を収めた。
最終的に世界ランキングが上昇しついにはWBCバンタム級1位にまで辿りついた。

2008年6月12日、母国でWBC世界バンタム級2位ヴィシー・マリンガ(南アフリカ)との挑戦者決定戦に臨んだ。しかし、年齢から来る衰えは隠せず、3回にマリンガにダウンを奪われた末、4回マリンガのアッパーがまとまり、レフリーストップ。TKOに敗れ挑戦権を逃した。試合の翌々日に現役引退を表明。

この後、2009年3月に引退を撤回。現役に復帰し、2010年の試合で2回TKO勝ちした時点で再度引退した。

将来的には自分のジムを持ちたいと話していて、今はレストランを経営し好評を博している。
ウィラポンのパンチで、後方へダウンする辰吉

ウィラポンのパンチで、後方へダウンする辰吉

90年代、日本のボクシング界を盛り上げた辰吉丈一郎の前に立ちはだかったウィラポン。
以降も日本人選手の前に強敵として君臨し続けた。

全盛期のウィラポンは本当に強いボクサーだった。
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