エボニー・アンド・アイボリー
曲名 | エボニー・アンド・アイボリー(Ebony And Ivory) |
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デュオ名 | ポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダー(Paul McCartney featuring Stevie Wonder) |
『エボニー・アンド・アイボリー』は、ポール・マッカートニーとスティーヴィー・ワンダーのデュエット曲で、全米ヒットチャートで7週連続ナンバーワン、1982年の年間チャートで4位を記録する大ヒットとなりました。
作詞・作曲は、ポール・マッカートニー。黒人男性シンガーと歌うことを想定して書いた曲で、ピアノの黒鍵(エボニー=黒檀)と白鍵(アイボリー=象牙)にたとえて、人種の調和をテーマにしています。
レコーディングは1981年、二人一緒に同じスタジオで行われました。一方、ミュージックビデオは、二人が並んで歌う映像に仕上がっていますが、これは合成映像で、実際にはスケジュールが合わず、別々に撮影したものです。
作詞・作曲は、ポール・マッカートニー。黒人男性シンガーと歌うことを想定して書いた曲で、ピアノの黒鍵(エボニー=黒檀)と白鍵(アイボリー=象牙)にたとえて、人種の調和をテーマにしています。
レコーディングは1981年、二人一緒に同じスタジオで行われました。一方、ミュージックビデオは、二人が並んで歌う映像に仕上がっていますが、これは合成映像で、実際にはスケジュールが合わず、別々に撮影したものです。
Ebony And Ivory
via www.youtube.com
セイ・セイ・セイ
曲名 | セイ・セイ・セイ(Say Say Say) |
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デュオ名 | ポール・マッカートニー&マイケル・ジャクソン(Paul McCartney and Michael Jackson) |
『セイ・セイ・セイ』は、前作『ガール・イズ・マイン(The Girl Is Mine)』に続く、ポール・マッカートニーとマイケル・ジャクソンのデュエット曲です。全米ヒットチャートで6週連続ナンバーワン、1984年の年間チャートで3位に輝いています。
『ガール・イズ・マイン』のリリースは1982年、『セイ・セイ・セイ』のリリースは1983年ですが、実はレコーディングは『セイ・セイ・セイ』の方が先で、1981年にすでに着手していました。本曲でポールは、複数の楽器(パーカッション、シンセサイザー、ギターなど)を演奏しています。また、ポールとのコラボでマイケルは、アーティストとしての自信を深めたと話しています。
ミュージックビデオで二人は、"奇跡の薬" を売る詐欺師コンビを演じました。ポールの当時の妻リンダ・マッカートニー(Linda McCartney)と、マイケルの姉ラトーヤ・ジャクソン(La Toya Jackson)がカメオ出演しています。
『ガール・イズ・マイン』のリリースは1982年、『セイ・セイ・セイ』のリリースは1983年ですが、実はレコーディングは『セイ・セイ・セイ』の方が先で、1981年にすでに着手していました。本曲でポールは、複数の楽器(パーカッション、シンセサイザー、ギターなど)を演奏しています。また、ポールとのコラボでマイケルは、アーティストとしての自信を深めたと話しています。
ミュージックビデオで二人は、"奇跡の薬" を売る詐欺師コンビを演じました。ポールの当時の妻リンダ・マッカートニー(Linda McCartney)と、マイケルの姉ラトーヤ・ジャクソン(La Toya Jackson)がカメオ出演しています。
Say Say Say
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かつて愛した女性へ
曲名 | かつて愛した女性へ(To All The Girls I've Loved Before) |
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デュオ名 | フリオ・イグレシアス&ウィリー・ネルソン(Julio Iglesias and Willie Nelson) |
『かつて愛した女性(ひと)へ』は、スペイン出身の人気シンガー・フリオ・イグレシアスと、カントリー界の大御所・ウィリー・ネルソンのデュエット曲です。全米ヒットチャートでは最高位5位、1984年の年間チャートで50位にランクインしています。
本曲は、ハル・デヴィッド(Hal David)の作詞、アルバート・ハモンド(Albert Hammond)の作曲で1975年に書かれた楽曲ですが、1984年の大御所二人のレコーディングで初めてヒットしました。全米カントリーチャートでは、ナンバーワンを獲得しています。
フリオ・イグレシアスにとっては、彼の英語詞の代表曲となりました。
本曲は、ハル・デヴィッド(Hal David)の作詞、アルバート・ハモンド(Albert Hammond)の作曲で1975年に書かれた楽曲ですが、1984年の大御所二人のレコーディングで初めてヒットしました。全米カントリーチャートでは、ナンバーワンを獲得しています。
フリオ・イグレシアスにとっては、彼の英語詞の代表曲となりました。
Julio Iglesias - To All The Girls I've Loved Before
via www.youtube.com
イージー・ラヴァー
曲名 | イージー・ラヴァー(Easy Lover) |
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デュオ名 | フィリップ・ベイリー&フィル・コリンズ(Philip Bailey and Phil Collins) |
『イージー・ラヴァー』は、アース・ウィンド&ファイアー(Earth, Wind & Fire)のフィリップ・ベイリーと、ジェネシス(Genesis)のフィル・コリンズのデュエット曲です。全米ヒットチャートでは最高位2位、1985年の年間チャートで12位にランクインしました。全英シングルチャートでは、ナンバーワンに輝いています。
本曲は、フィリップ・ベイリーの3作目のソロ・アルバム『チャイニーズ・ウォール(Chinese Wall)』の収録曲で、アルバムのプロデューサーをフィル・コリンズが務めました。フィル・コリンズは全曲でドラムを演奏していますが、本曲のみフィリップ・ベイリーとともにリードボーカルを務めています。
本曲は、フィリップ・ベイリーの3作目のソロ・アルバム『チャイニーズ・ウォール(Chinese Wall)』の収録曲で、アルバムのプロデューサーをフィル・コリンズが務めました。フィル・コリンズは全曲でドラムを演奏していますが、本曲のみフィリップ・ベイリーとともにリードボーカルを務めています。
Philip Bailey, Phil Collins - Easy Lover
via www.youtube.com
ダンシング・イン・ザ・ストリート
曲名 | ダンシング・イン・ザ・ストリート(Dancing In The Street) |
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デュオ名 | デヴィッド・ボウイ&ミック・ジャガー(David Bowie and Mick Jagger) |
『ダンシング・イン・ザ・ストリート』は、デヴィッド・ボウイとミック・ジャガーのデュエット曲で、全米ヒットチャートでは1985年に最高位7位にランクインしています。
1985年、アフリカ難民救済のチャリティーコンサート「ライヴエイド」で、ロンドン(ウェンブリースタジアム)のデヴィッド・ボウイと、フィラデルフィア(JFKスタジアム)のミック・ジャガーが衛星中継でデュエットをする予定でした。しかし、それが技術的に困難と判明。その代わりに、『ダンシング・イン・ザ・ストリート』のビデオを事前に制作し、両スタジアムで流しました。
原曲の作詞・作曲は、マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)他。1964年に、マーサ・リーヴス&ザ・ヴァンデラス(Martha Reeves & The Vandellas)が歌い、全米ヒットチャート最高位2位の大ヒットを記録しています。
その後、キンクス(The Kinks)、ママス&パパス(The Mamas and the Papas)、グレイトフル・デッド(Grateful Dead)、ヴァン・ヘイレン(Van Halen)など多くのアーティストがカバーしていますが、その中で最もヒットしたのが、本曲のデュエット盤です。
1985年、アフリカ難民救済のチャリティーコンサート「ライヴエイド」で、ロンドン(ウェンブリースタジアム)のデヴィッド・ボウイと、フィラデルフィア(JFKスタジアム)のミック・ジャガーが衛星中継でデュエットをする予定でした。しかし、それが技術的に困難と判明。その代わりに、『ダンシング・イン・ザ・ストリート』のビデオを事前に制作し、両スタジアムで流しました。
原曲の作詞・作曲は、マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)他。1964年に、マーサ・リーヴス&ザ・ヴァンデラス(Martha Reeves & The Vandellas)が歌い、全米ヒットチャート最高位2位の大ヒットを記録しています。
その後、キンクス(The Kinks)、ママス&パパス(The Mamas and the Papas)、グレイトフル・デッド(Grateful Dead)、ヴァン・ヘイレン(Van Halen)など多くのアーティストがカバーしていますが、その中で最もヒットしたのが、本曲のデュエット盤です。
David Bowie & Mick Jagger - Dancing In The Street (Official Video)
via www.youtube.com
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