土俵に上がると土俵が狭く見えるほどデカかった歴代巨漢力士列伝
2017年3月7日 更新

土俵に上がると土俵が狭く見えるほどデカかった歴代巨漢力士列伝

昭和の終わりから、相撲界は「巨漢力士の時代」に突入したようにみえる。今や幕内力士の平均体重が160kgを超えているのだから、まさにデブ「失礼!」の時代が到来したのだ。そんな歴代からの巨漢力士たちをベスト10形式で纏めてみた。

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曙 太郎

曙 太郎

曙 太郎(あけぼの たろう、1969年5月8日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島ワイマナロ出身で東関部屋所属の元大相撲力士、プロレスラー(現在フリーランス)、総合格闘家、タレント。格闘技・プロレス分野では曙(あけぼの)のリングネームで活動している。2016年現在、東関部屋の師範代もつとめている[2]。
本名同じ(1996年4月22日に日本国籍を取得[3])。旧名・米国名:チャド・ジョージ・ハヘオ・ローウェン(Chad George Haaheo Rowan)。ハワイ・パシフィック大学中退。大相撲時代の最高位は横綱(第64代)で、日本人以外で初の横綱。2017年現在、大相撲の歴史上でただ1人身長200cm超えの横綱でもある。
ハワイではバスケットボールをしていたが、大学はコーチとの対立もあって中退。後にその体格を東関親方(元高見山)に見込まれ、相撲界入りし、1988年3月場所に初土俵を踏む。元々東関は弟の方を入門させたかったようであったが、気の進まない弟のジョージは「しょうがないよ、兄貴を連れていく」と身代りにチャドを新弟子として提供した。父親はいきなりの展開にも拘らず入門を喜んだが、一方で母親は猛反対。母の反対もあったので、日本にやってきた時にチャドは「とにかくもうハワイには帰れないな」と感じていた。

まだ指折りの大部屋だった伊勢ヶ濱部屋に出稽古に出かけた曙は当時、1月場所で10勝をあげ自己最高位の前頭筆頭まで躍進した若瀬川に胸を借りた。相手が三段目と甘く見ていた若瀬川は2、3回軽く四股を踏んだだけで、仕切って待っている曙の前に立つと両手を広げて大きく胸を出した。曙は若瀬川の胸をめがけて頭から思い切りぶちかますと若瀬川は仰向けにひっくり返り、腰を痛めて病院に運ばれる羽目になった。初土俵からわずか一年で幕内力士を「病院送り」にした曙はこの場所6勝1敗、翌場所は早くも幕下に昇進した。

当時前頭筆頭の地位だった1991年7月場所初日では、体重が200Kg以上の巨漢横綱だった大乃国を、曙自ら立ち合いから一撃で大乃国を押し倒し、土俵の外へ一気に吹っ飛ばした事もあった。

1992年11月場所では14勝1敗と2度目の優勝。翌1993年1月場所も、大関昇進を賭けていた関脇の貴乃花(当時貴花田)を千秋楽結びの一番での直接対決で圧倒して完勝。13勝2敗で3度目の優勝、さらに大関の地位で2場所連続優勝を果たして、ついに外国人初の横綱に昇進した。

舞の海vs曙 (平成3年十一月場所)

巨漢×小兵

勝つのはどっちだ!?

ついにトップ5です!!第5位に食い込んだ人物は・・・武蔵丸 235kg

武蔵丸 光洋

武蔵丸 光洋

武蔵丸 光洋(むさしまる こうよう、1971年(昭和46年)5月2日 - )は、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島出身(生まれはアメリカ領東サモア[1])で武蔵川部屋所属の元大相撲力士・タレント。第67代横綱。本名同じ、旧名・米国名:フィアマル・ペニタニ(Fiamalu Penitani)。身長192cm、体重235kg。現在は年寄・武蔵川。得意手は、突き、押し、右四つ(かつては左四つ)、血液型はA型、8人兄弟の4番目、趣味は音楽鑑賞、愛称は「マル」。
2008年(平成20年)4月にフラダンス教室経営の女性と結婚、同年8月23日に故郷のハワイで挙式。2014年(平成26年)6月28日には第1子となる長男が誕生。
アメリカ領サモアで生まれ、6歳の時に一家でハワイに移住したが、サモア語しか話せなかったため、友達もなかなか出来なかったという。 小学校時代にアメリカンフットボールを始め、ハワイ州のワイアナエ高等学校でアメリカンフットボールのディフェンスラインとして活躍し、プロ選手としての活躍を目標としていた。大学からも勧誘されたが、経済的理由で進学を断念した。
大相撲入りの勧誘を受けたことを機に、過去に相撲との関わりが全く無かったにも拘らず、「大きな体を生かして家計を助けよう」と決心し武蔵川部屋に入門する。
アメフトで鍛えた体で出世は早く、とんとん拍子で幕内上位まできたが、大関を前にしてもたついてしまう。貴ノ浪と同時に大関昇進し、3場所目には入門から史上最短全勝優勝を達成、横綱近しと思わせた。稽古場では圧倒的な強さを見せ、本場所でもそこそこの成績を残していたが、貴乃花には全く歯がたたず、”蚤の心臓”と揶揄され、また大きくなり過ぎた体で成績は下降していった。平成8年九州場所、貴乃花不在の混迷場所を11勝ながら優勝決定戦3連勝で制した。平成11年の春夏を連続優勝して、琴櫻と並ぶ大関在位32場所で横綱昇進を果たす。幕下時代に1回負け越しただけで、入幕以降も勝ち越しを続け横綱に登りつめた。連続勝ち越し55場所(史上1位)、幕内連続勝ち越し49場所(北の湖に1場所及ばず)や、連続出場などの記録がある。平成12年の秋場所を14勝で優勝し、11勝~15勝の5通りの星で優勝を果たすという史上初の珍記録を達成。安定した成績だが優勝決定戦で6度も敗退(うち貴乃花に4敗)するなど勝負弱さもあってなかなか優勝回数は伸びていかない。体重増加により動きが緩慢になり平成13年秋場所では1場所5個の金星配給という史上初の不名誉な記録を作ってしまった。平成14年9月に復活を目指す貴乃花を相星決戦で下して優勝した。左手首のけがを手術したが6場所連続休場後の平成15年九州場所で引退を表明した。帰化して本名も武蔵丸光洋となった。優勝12回。

貴乃花 対 武蔵丸 2

トップ3は逃したが、堂々の第4位にはいったのは・・・須佐の湖 240kg

須佐の湖 善誉

須佐の湖 善誉

須佐の湖 善誉(すさのうみ よしたか、1972年8月30日 - )は愛知県知多市出身、北の湖部屋の元大相撲力士である。本名は金作 善治(かねさく よしはる)。身長183cm、体重240kg。最高位は東十両2枚目(1998年1月場所)。趣味は寝ること。
1988年3月場所で初土俵。入門直後から期待され、順調に番付を上げていき、21歳になったばかりの1993年9月場所に「将兜」の四股名で十両に昇進した。これにより北の湖部屋からは初となる関取が誕生した。しかし四つ相撲の中途半端な相撲だったため3勝12敗と大敗を喫し、1場所で幕下に陥落した。落ちたばかりの場所の3番相撲で右膝を痛めしばらく幕下に低迷していたが1996年7月場所で9人での幕下優勝決定戦を征し復調し、1997年5月場所には四股名を「須佐の湖」改め、7月場所も幕下優勝し翌9月場所に4年ぶりに十両に復帰し十両に定着した。11月場所には突き押し相撲に徹し、最後まで十両優勝を争った。1998年9月場所には日本人力士最重量の240kgを記録。幕内を狙える番付まで上がったが、引いて押し出される雑な相撲が増え、2000年5月場所を最後に幕下に陥落。内臓疾患のため体重も徐々に減少し思うような相撲を取ることが出来なくなり、幕下下位で低迷した。2003年1月場所には三段目に陥落し、4勝3敗での勝ち越しを最後に現役を引退。引退後は暫く夫人の実家がある福岡市内で飲食店を経営していたが、店を閉じて以降は九州で警備員を行っているという。

さて、いよいよトップ3の発表です。まず第3位にランクインしたのは・・・山本山 277kg

山本山 龍太

山本山 龍太

山本山 龍太(やまもとやま りゅうた、1984年5月8日 - )は、埼玉県さいたま市西区(旧大宮市、生まれは北足立郡伊奈町)出身で尾上部屋所属の元大相撲力士。
本名は山本 龍一(やまもと りゅういち)、愛称はリュウ。身長190cm、体重266kg。重さを生かしたがぶり寄りを得意とするが、スピードと巧さを持ち、投げ技も多い。新入幕記者会見では自ら「ドンブリ王子」と名乗る。日大相撲部出身。最高位は西前頭9枚目(2009年5月場所)、2011年2月の身体測定で現役力士最重量記録を更新し、巨大なあんこ型力士として人気を博したが、2011年に大相撲八百長問題に関与したことで引退した。現在は渡米し、アメリカ・ロサンゼルスでタレントとして活躍している。

平成20年9月場所5日目 山本山-潮丸

さて、トップ2にランクインした人物は・・・大露羅 284kg

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