土俵に上がると土俵が狭く見えるほどデカかった歴代巨漢力士列伝
2017年3月7日 更新

土俵に上がると土俵が狭く見えるほどデカかった歴代巨漢力士列伝

昭和の終わりから、相撲界は「巨漢力士の時代」に突入したようにみえる。今や幕内力士の平均体重が160kgを超えているのだから、まさにデブ「失礼!」の時代が到来したのだ。そんな歴代からの巨漢力士たちをベスト10形式で纏めてみた。

25,003 view
雷電 爲右エ門(為右衛門、らいでん ためえもん)

雷電 爲右エ門(為右衛門、らいでん ためえもん)

巨漢力士(メタボ)の典型です!!
身長 197cm
体重 172kg
BMI 44.32

「巨漢力士」全盛の時代が到来!!!

相撲は今や世界的な知名度があり代表的な日本のスポーツ扱いになっているといっても過言ではない。この相撲の一般的なイメージというと何があるだろうか?
風変わりな儀式、古風な衣装、独特の立ち会いなど様々だろうが、まず筆頭に来るのが「巨体の男たち」ではないであろうか?!
殆ど裸体のせいもあるが、数あるスポーツでも相撲ほど競技者の肉体自体が目立つものはないであろう。

上記のイラストは相撲の長~い歴史の中でも最強と謳われている、江戸時代に活躍した雷電 爲右エ門の肖像画ですが、どうです!この巨体。
近代では特に1980年代あたりから力士の大型化が叫ばれ始めた。双羽黒や大乃国が横綱に、小錦が大関になった頃で、平幕にも大きな力士が多数を占めた。あれから20年が過ぎ、今や身長180cm前後なら「小兵」。体重130kg台なら「軽量」の部類に入るという言う有様だ。

大きくて重い体は、相手を一気に持っていく突進力や、マワシを取られても動じない利点があるが、一方で引かれたり変化されたりすると危うい面がある。倒れたときは自分自身の重さもダメージに加わることがある。力士の大型化には、長短、両方の側面を持っている。

そんな巨漢力士を歴代体重のベスト10形式で紹介することとしよう。

さて、トップ10入りした最初の力士は・・・豊ノ海!!! 225kg

豊ノ海 真二

豊ノ海 真二

豊ノ海 真二(とよのうみ しんじ、1965年9月22日- )は、福岡県豊前市大字松江出身で、二子山部屋と藤島部屋に所属した大相撲力士である。本名は濱田 真二(はまだ しんじ)。最高位は西前頭筆頭(1992年9月場所)。現役時代の体格は190cm、225kg、得意手は左四つ、寄り、閂。
小学校時代、地元の豊前市で行われていた巡業で当時大関だった貴ノ花に会い、地元の椎田中学校を卒業後、上京して同部屋へ入門し、1981年3月場所で初土俵を踏んだ。
その後、部屋付きの藤島親方(元大関・貴ノ花)の独立に伴って、1982年3月より藤島部屋に移籍。
序ノ口に付いて以来、順調に出世し、1987年9月場所で十両へ昇進。1988年11月場所に於いて、新入幕を果たした。これにより、佐賀昇と共に昭和最後の新入幕力士となった。
200kgを超えるほどの巨体を利した相撲だったが、完全に脇が甘く、相手に二本差された後から腕を極めて出る取り口が目立った。前頭上位で奮闘した時期もあり、大関・霧島や曙らに勝利したこともあるが、現役時には三役への昇進は果たせず、三賞も受賞できなかった。
序ノ口に付いてから引退するまで、一度も休まず、「1316番連続出場」という記録を残している。
引退後は、年寄・山響を襲名して二子山部屋付きの親方となったが、2002年6月に日本相撲協会を退職し料理人として再出発している。

相撲界では前頭筆頭まで行けば大成したと言えるでしょうが、豊ノ海の素質から考えると能力を発揮したとは言えないでは・・・。当時、二子山部屋には大型力士が少なく、また押し相撲を指導する親方いなかったためではないでしょうか?!条件が揃っていれば、大関以上は望めたのではないかと個人的には思っています。おしい!!!

第9位にランクインした人物は・・・萬華城!!! 227kg

萬華城 博

萬華城 博

萬華城 博 (まんかじょう ひろし)

最高位 幕下 6
本名 曹 博
生年月日 平成2年2月10日
出身地 宮崎県宮崎市
身長  182センチ
所属部屋 春日山 → 追手風
改名歴 曹 博 → 萬華城 博
初土俵 平成17年3月
最終場所 平成28年11月

生涯戦歴 248勝228敗7休/475出(70場所)
 幕下戦歴 115勝123敗7休/237出(35場所)
 三段目戦歴 101勝88敗/189出(27場所)
 序二段戦歴 27勝15敗/42出(6場所)
 序ノ口戦歴 5勝2敗/7出(1場所)
 前相撲戦歴 1場所

萬華城 対 吐合

第8位にランクインした人物は・・・秀ノ海 229kg

秀ノ海 渡累

秀ノ海 渡累

秀ノ海 渡累(ひでのうみ わたる、1965年11月20日- )は、大阪府貝塚市出身で三保ヶ関部屋の元大相撲力士。本名は、前田渡(まえだ わたる)。188cm、229kg。最高位は西十両9枚目(1992年11月場所)。
数々の職を経験とするも、1985年三保ヶ関部屋に入門し、幕下までは良かったがその後腰を痛めて1年間棒に振り、1992年9月場所にやっと十両に昇進した。その後は十両と幕下の行ったり来たりが続いたが、その後膝の怪我で序二段まで落ちる。その後また幕下に戻るが、関取復帰はならず1995年11月場所限りで廃業する。現在は大阪府貝塚市にて、ちゃんこ鍋屋「力士料理 秀ノ海」を経営している。

堂々の神7に入った人物は・・・魁ノ若 230kg

魁ノ若 尚弥

魁ノ若 尚弥

魁ノ若 尚弥 (かいのわか なおや)

最高位 幕下 14
本名 久門 尚弥
生年月日 昭和54年4月20日(37歳)
出身地 福岡県鞍手郡若宮町
身長 175.5センチ
所属部屋 友綱
改名歴 久門 尚弥 → 魁ノ若 尚弥
初土俵 平成7年3月

生涯戦歴 433勝449敗28休/882出(132場所)
 幕下戦歴 65勝96敗/161出(23場所)
 三段目戦歴 209勝197敗/406出(58場所)、1優勝
 序二段戦歴 129勝137敗28休/266出(43場所)
 序ノ口戦歴 30勝19敗/49出(7場所)
 前相撲戦歴 1場所
魁ノ若関はまだ現役ですが、関取まで昇進するのはちょっと厳しいような・・・?。でも一生懸命頑張って下さい。応援しています!!。

神7をやぶり第6位に入った人物は・・・曙 233kg

51 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

貴乃花  決して曲げず 貫き通したチカラビト SUMODO

貴乃花 決して曲げず 貫き通したチカラビト SUMODO

千代の富士、小錦、武蔵丸、朝青龍、兄、若乃花、数々の名勝負。宮沢りえとの破談、兄との確執、洗脳騒動、母親の不倫など数々のスキャンダル。小泉純一郎に「「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」」といわせた武蔵丸戦とその後のケガとの戦い。中卒でプロの相撲の世界に入った貴乃花は、嵐のような人生を職人的なプロフェッショナリティーで、ガンコに、一途に、真っ直ぐに進んでいった。
RAOH | 961 view
【高見山・小錦・曙・武蔵丸】外国人力士の道を切り拓いた先人たちの今を追う。

【高見山・小錦・曙・武蔵丸】外国人力士の道を切り拓いた先人たちの今を追う。

白鵬に代表されるモンゴル出身の力士が上位を独占する状態になって久しい相撲界ですが、かつては外国人力士が物珍しい目で見られた時代もありました。先人の外国人力士が必死に戦い築き上げたからこそ、今日の相撲界があるといっても過言ではありません。そんな外国人力士の先人たちを振り返ります。
青春の握り拳 | 69,821 view
技のデパート舞の海!頭にシリコンを埋め角界へ!猫だましに騙された!

技のデパート舞の海!頭にシリコンを埋め角界へ!猫だましに騙された!

「平成の牛若丸」とも呼ばれ、相撲取りらしからぬ軽快さで、大相撲を沸かせた舞の海。猫だましや目回し作戦など実に多彩な技を繰り出し、上位陣を苦しめた小兵・舞の海!通算では5度の技能賞を獲得している。最高位は東小結。出羽海部屋に所属していた。
ひで語録 | 19,646 view
【11勝4敗で優勝!?】過去に本当にあった!史上最も勝ち星の少ない幕内優勝

【11勝4敗で優勝!?】過去に本当にあった!史上最も勝ち星の少ない幕内優勝

大相撲の幕内優勝というと、15戦全勝、14勝1敗、13勝2敗あたりの勝敗が多く、12勝3敗になると少し勝ち星が少ない印象があります。ところが、過去にはもっと少ない "11勝4敗" で優勝した力士がいました。1場所15日制が定着した1949年以降に三度だけあった、珍しい場所を振り返ってみましょう。
izaiza347 | 1,880 view
【小錦八十吉】相撲人生を振り返り、「いま」を追跡してみた!

【小錦八十吉】相撲人生を振り返り、「いま」を追跡してみた!

小錦八十吉が1982年6月から歩み続けてきた相撲人生を振り返り、取り組みの様子や名勝負などをまとめつつ、「いま」を追跡し、まとめてお伝えします。

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト