生き人形について 登場人物・背景
デビュー間もなくから現在まで続く長編である。
本人曰くどこまでが怪談(物語)でどこまでが現実(真実?)か、わからなくなってるとの事。
このまとめでは、本人の言葉を全て真実と仮定してまとめます。
ちなみに稲川淳二から聞いたと言われる人の話(北野誠、山口敏太郎、他)では、話の前後か変わっていたり、ストーリー自体が微妙に変わっている場合が多いので(本人の語りでも変わっている場合あり)稲川淳二本人の語りを基準にします。
稲川淳二:語り部でもあり実際に体験した本人。
前野博:人形師、演出家。人形を操作する人物であり制作者では無い。稲川より年上。稲毛のマンションで父親を預かり介護をしていたが、疎遠になった兄弟が実家を売ろうと画策していた為、中野の実家に人形と住む。
杉山佳寿子:ハイジ、2代目コロ助で有名な声優。最初の人形を使った舞台に出演する。出演作には表記されていませんが・・・
小宮述志:人形作家 125cmの和服の少女人形を作った本人。
対となっている男の子の人形も存在する。
佐江衆一:1934年生まれの作家。人形と人間の共演アングラ劇「呪夢千年」の作・演出・出演を担当。自宅が火災に見舞われる。
久慈霊運:巨漢の霊能力者。稲川曰く、かなりの力を持っていたらしいが・・・
はるみ:稲川の元スタッフの女性。親戚の西伊豆の民宿を紹介する。
母親が人形の和服を作った。
あゆみ:はるみの娘。人形をお姉ちゃんと呼ぶ。夢か現実か不明だが人形の言葉を伝える。
生き人形について ストーリー①
本人がいつの事だか定かでは無いと言っていますが、冒頭に南こうせつのオールナイトニッポンの話をしていて、そろそろ暖かくなる頃との事なので1976年4月~1976年6月頃の事だと思われます。
オールナイトニッポン収録後、ディレクターの東と国立の実家に帰る途中、中央高速の、縁の上に和服の女性が座っているのを見ます。何かと思って見ていると、服が消え振り向いた顔だけがタクシーのフロントから後ろにつき抜けます。
家に着いた稲川に起きてきた妻が「お友達は?貴方の後から入って来てグルグル部屋を回ってるのは?」と、聞きます。東はそのままタクシーで自宅に帰ったので家に入ったのは稲川だけのはずですが・・・
次の日、東から電話があり「俺、目には見えてないけど車にもう一人乗ってたのがわかったんだよ」二人がこんな証言をしているので何かあるのは確実ですね。
ニッポン放送で再度、東と話した後、国立の実家に帰った稲川に電話があります。知り合いの人形師前野からで、人形を使った舞台(呪夢千年)をやるから出演してくれとの事。快諾した稲川は顔合わせに出席します。
太田プロの芸人や声優杉山佳寿子が並ぶ中、前野は人形のスケッチを見せますが、それは中央高速で見た女の姿そっくりだった。
次の稽古で人形が出来てきますが何故か右手右足が捻じれてしまいます。
それを直そうと人形を作った造形作家小宮に連絡を取ろうとしますが連絡が取れず、行方不明になってしまいます。
生き人形について ストーリー②
脚本も無いまま舞台の稽古は行われていますが、前野の落ち着きがありません、どこかに電話をしに行った後に稲川に帰っていいか聞きます。
どうやら稲毛のマンションで父親の介護をしてくれていた、いとこが死んでいたという事だったのです。
トラブル続きで気が滅入っていた出演者を自宅に招待した稲川ですが、
翌日衣装が入った箪笥を開けてみると、何故かそこだけ水が溜まっている。
同じく1階に置いてあった芸人のバックにも水が溜まっていたのです。
やがて早稲田の小劇場「銅鑼魔館」での本番当日を迎えますが、照明、美術、録音部のスタッフがやたら右手右足を怪我しています。昼夜公演の予定だったのですが出演者の体調が悪く、結局昼公演は中止にしてお祓いをしてもらいます。
そして夜公演、異常な寒さの中、人形の右手右足が急に割れてしまいます。そして棺の様な箱に入れて運ぶ場面では8kgの人形が異様な重さになっていて箱の底が抜けて人形はバラバラになってしまいます。
他にも色々な怪異が起りながらも舞台は終わります。
やっと終わったと思った矢先、次に上演する予定だった劇団がトラブルで地方公演から帰って来れない事態になります。
劇場側は人形の舞台を続けてくれるよう要請しますが、もちろん出演者は乗り気にはなれません。ただ人形師の前野だけはヤル気になっています。
しかしその晩、前野の父親が急死してしまいます。
生き人形について ストーリー③
メジャーな小屋の為、出演者サイドも乗り気になり上演が決まります。
その舞台に稲川の友人が手伝いに訪れますが、黒子の人数がおかしい事に気がつきます。それを口止めし、舞台に上がった稲川が、自ら正体不明の影を見てしまいます。
なんとか舞台を終わらせますが、数々の怪異の話を聞き付けたテレビ東京のスタッフが取材を申し込んで来ます。
前野のOKが出たので取材を受ける事にします。そしてテレ東側が行方不明だった人形を制作した小宮を見つけてきます。
なんと彼は京都の山奥で仏像を彫り続けていたのです。
俳優が取材の為、先乗りしていたのにホテルで会えず、2回目はスタッフだけで取材は出来たものの、ディレクターの妻は奇病にかかり、スタッフの女性は交通事故に遭います。
その後テレ東のスタジオで稲川の語りを撮りますが、カメラが2度故障しやっと撮り始めたものの、本番中にも関わらずドアが凄い勢いで叩かれます。担当ディレクターが開けてみても誰もいない。
結局、局側から本物過ぎるので中止にさせてくれと連絡が入ります。
この話を聞き付けた稲川がレギュラーを持つTBS3時にあいましょうが、取材を申し込んでくる。他の曜日に人形師の前野も出演しており承諾する。本番当日、本番直前にスタジオが停電になり復旧したもののカメラも故障しカメラ2台で撮影を続けるが、人形のアップを撮ると後ろの幕が急に落ち照明も1台落ちてしまう。
その後、撮影は無事?終了したものの、後日番組アシスタントのアナウンサーが事故により番組を下りる事になってしまいます。
そして前野担当のスタッフが亡くなってしまうのです。
生き人形について ストーリー④
稲川の訪問を喜んだ久慈ですが、人形を見る前に勘弁してくれと言い出します。そしてこの人形を何に使ったんだと怒り出してしまいます。どうやら凄い数の怨霊がとり憑いていて、更に怖いのは無邪気なだけに子供や動物の霊が憑く事だと言うのです。それでもなんとかお願いします。と、食い下がると渋々人形の霊視を始めてもらえます。
この人形に取り憑いている一番強い霊は七つになる女の子で、赤い着物を着て踊っていたと・・・実際人形の舞台では赤い着物で花柳流の踊りを踊っていたのです。そしてその女の子は空襲で右手右足を飛ばされてしまったと、また対になった青い着物の人形の存在も指摘します。
実は舞台で使っていた男の子の人形に前野が青い着物を着せていたのです。
御礼を言ってその日は帰り、2日後に原宿の久慈の事務所に挨拶に寄ると事務所が閉まっています。また一週間後に寄っても事務所が閉まっています。後に聞いたところによると、人形を見た夜に倒れそのまま3日後に亡くなっていたのです。
生き人形について ストーリー⑤
ABC朝日放送 お昼の生ワイドショー プラスα
ただ当時の放送を見た人の証言も曖昧でどこまでが怪異だか解らない。
しかし照明や看板が揺れたのは事実あったらしく
スタジオがパニックになったのは間違いない。
放送ビデオを探している人は大勢いるが、そのビデオを持っている、もしくは観たという証言は発見出来ませんでした。
今度こそ本当に人形の話は止めようとしますが、ABC朝日放送から出演依頼が来ます。もういい加減止めればいいのにまたもや出演が決まります。
付き合いが大事なTV業界ですから仕方ないんでしょうかね・・・
今度は前野も人形と一緒に大阪まで行く事となります。
ABCの看板番組で昼の生放送ワイドショープラスαへの出演です。
本番前、軽いリハーサルの最中、ふぅぅぅぅぅという音声が紛れこんでいます。演出かと思っていた稲川ですが、スタッフの調子からそうではないと感じます。前野と休憩しているとスタッフが飛んで来て、出演予定の霊能力者がABCに到着して車を降りたとたん車に撥ねられたとの事・・・。
そして本番、代わりの霊能力者が到着後、稲川に男の子が憑いていると言い、客席上部の照明が危険なので人払いをするように言います。まもなくがっちり止まっているはずの照明がありえない勢いで揺れ出します。
ざわめくスタジオに情報が入り、稲川の上と少女人形のそばに、同じ男の子が映ってると視聴者から回線がパンクしそうなほど電話が殺到しているらしいのです。司会の乾とモニターを確認すると男の子が映ってる!看板も揺れ出すし照明も揺れる、ふぅぅぅぅという音もずっと流れ続けている。お客さんも泣きだすしスタッフも大パニックで生放送がめちゃくちゃになってしまいます。
生年月日1947年8月21日(67歳)
出生地 日本 東京都渋谷区
血液型 AB
職業 タレント、コメディアン、工業デザイナー
1976年:オールナイトニッポンDJ担当
1987年:『ハングマン』出演
1987年:怪談語りのカセットテープを発売
1992年:『信長 KING OF ZIPANGU』出演
1992:怪談ライブを開催
著名な家族 稲川貴洋(息子)