夢で逢えたら(吉田美奈子)1978年
サーカス、桜田淳子、岩崎宏美、ラッツ&スター、キンモクセイなど…。いろんなミュージシャンがカバーし過ぎて、もはや誰の曲か分からなくなっている『夢で逢えたら』。もともとこの曲を最初に歌ったのは、歌手の吉田美奈子。もともと大瀧はアン・ルイスのために同曲を製作したのですが、彼女のキャラと合わずあえなくボツになったのだとか。そこで、当時「はっぴいえんど」周辺ミュージシャンと交流があった吉田に白羽の矢が立ったというわけです。
夢で逢えたら
薬師丸ひろ子バージョン 作詞・作曲 大瀧詠一
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さらばシベリア鉄道(太田裕美) 1980年
『木綿のハンカチーフ』(1975年)のヒットで知られる太田裕美の19枚目のシングルが、この『さらばシベリア鉄道』です。『木綿の~』同様、松本隆が作詞をつとめた同曲は、もともと、大滝のアルバム『A LONG VACATION』収録予定だったものを「女言葉が気持ち悪いから」との理由で、担当ディレクターが同じだった太田が歌うことになったのだとか。しかし後に、セルフ・カバーされています。
さらばシベリア鉄道(太田裕美)
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風立ちぬ(松田聖子) 1981年
山口百恵・三浦友和主演の実写映画で有名な小説『風たちぬ』。この物語をモチーフにした松田聖子の楽曲をリリースしたいという、ソニーのディレクター・若松宗雄の意向に沿い、またも松本隆とコンビを組んで制作した作品がこちらです。
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風立ちぬ~ 今は秋~♪
この一撃必殺のキラーフレーズが、聖子の美声によって心地よく響き渡る同曲ですが、大瀧はレコーディングの際、なかなかOKを出さなかったといいます。「リズムは大体1時間くらいで録れるものだけど、2時間~2時間半くらいかかった」とはディレクター・若松の証言。音作りにあくなきこだわりを持つ大瀧が現場でタクトを振るったからこそ、この曲はいまもなお、聖子の代表曲であり、日本の秋を代表する名曲の一つに数えられ続けているのでしょう。
この一撃必殺のキラーフレーズが、聖子の美声によって心地よく響き渡る同曲ですが、大瀧はレコーディングの際、なかなかOKを出さなかったといいます。「リズムは大体1時間くらいで録れるものだけど、2時間~2時間半くらいかかった」とはディレクター・若松の証言。音作りにあくなきこだわりを持つ大瀧が現場でタクトを振るったからこそ、この曲はいまもなお、聖子の代表曲であり、日本の秋を代表する名曲の一つに数えられ続けているのでしょう。
風立ちぬ(松田聖子)
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うなずきマーチ(うなずきトリオ) 1982年
テレビに出演するのは大嫌いで、2013年に亡くなるまでほとんどテレビに出演してこなかった大瀧ですが、テレビを見るのは大好きだった模様。特に、1980年代後半~1990年代前半は、自宅にビデオが20台以上あり、それらが常時録音のために稼働していたというから尋常ではありません。
そんなテレビ好きで、ついでに笑いに関してもたいへんな興味を抱いていた大瀧は、おそらく『ひょうきん族』も定期視聴していたに違いなく、それゆえ、このビートきよし・松本竜介・島田洋八のユニット「うなずきトリオ」への楽曲製作依頼も、快諾したのでしょう。
そんなテレビ好きで、ついでに笑いに関してもたいへんな興味を抱いていた大瀧は、おそらく『ひょうきん族』も定期視聴していたに違いなく、それゆえ、このビートきよし・松本竜介・島田洋八のユニット「うなずきトリオ」への楽曲製作依頼も、快諾したのでしょう。
うなずきマーチ(うなずきトリオ)
作詞&作曲&編曲:大瀧詠一
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冬のリヴィエラ(森進一) 1982年
伝説のバンド「はっぴいえんど」での活躍により、日本語ロックの創始者としても誉れ高い大瀧と松本。そんなバリバリのJ‐POPミュージシャン2人の作曲×作詞により完成した楽曲『冬のリヴィエラ』が、「演歌歌手」森進一へ捧げられているのは、なんとも不思議。普段は、辛気臭くてタメまくり&こぶしきかせまくりな歌唱法を得意とする森ですが、ポップス風に仕上がった同曲をかろやかに歌いこなしています。ちなみに、リヴィエラとは、イタリア語で「海岸」の意味なのだとか。
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冬のリヴィエラ(森進一)
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