2020年10月13日 更新
【訃報】作曲家・筒美京平さん死去。シングル売上の上位は誰もが知る名曲
昭和後期から平成にかけて日本の歌謡界に多数のヒット曲を送り出した作曲家・筒美京平さんが、10月7日に誤嚥性肺炎のため亡くなっていたことが明らかとなりました。80歳でした。
昭和を代表する作曲家・筒美京平さん死去。
昭和後期から平成にかけて日本の歌謡界に多数のヒット曲を送り出した作曲家・筒美京平さんが、10月7日に誤嚥性肺炎のため亡くなっていたことが明らかとなりました。80歳でした。
第一報はこちらです!
筒美さんは1940年、東京府東京市牛込区(現:東京都新宿区)生まれ。青山学院大学を卒業後に日本グラモフォンへ入社し、ディレクターとして勤務する傍ら、すぎやまこういちの下で作曲・編曲を学びました。そして1966年に「黄色いレモン」で作曲家としてデビューを飾り、翌1967年には専業作曲家へと転向。1968年にいしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」が大ヒットしたのを皮切りに、60年代後半から80年代にかけて、尾崎紀世彦「また逢う日まで」、南沙織「17才」、麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」など、数えきれないほどのヒット曲を世に送り出しました。
著名人から続々と追悼のコメントが!
筒美さんに楽曲提供でお世話になった歌手は非常に多く、芸能界を中心に数多くの追悼のコメントが寄せられています。1975年に「木綿のハンカチーフ」の提供を受けた太田裕美はツイッターを更新し「涙が止まらない」と現在の心境を吐露。1971年に「さらば恋人」の提供を受けた堺正章は「筒美京平ワールドは永遠です」とその功績を称えました。筒美さんとともに昭和を盛り上げた作詞家・松本隆は、ラジオの出演中に訃報を知ったそうで「涙をこらえながらもラジオを乗り切った」と、歌謡界における仲間の死を悼みました。
筒美京平さんが作曲したシングルの売上トップ10を振り返る!
昭和生まれに限らず「日本人で筒美さんの楽曲を耳にしたことのない人はいない」と言っても過言ではない、大作曲家・筒美京平さん。中でも、上位の売上を記録した楽曲は特に皆さんの印象に残っているかと思います。ここでは、筒美さん作曲のシングルの中から売上でトップ10を記録した楽曲を振り返ってみましょう。
第10位:ブルージーンズメモリー/近藤真彦
1981年に発表された、近藤真彦3枚目のシングル「ブルージーンズメモリー」。近藤主演の同名映画「ブルージーンズメモリー」の主題歌で、売上は59.8万枚を記録しています。
第9位:やめないで,PURE/KinKi Kids
1999年発表のKinKi Kids6枚目のシングル「やめないで,PURE」。堂本剛が主演したドラマ「君といた未来のために 〜I'll be back〜」の主題歌に採用され、売上は64.8万枚を記録しています。
第8位:人魚/NOKKO
1994年発表のNOKKOの5枚目のシングル「人魚」。フジテレビ系ドラマ「時をかける少女」の主題歌で、売上は65.4万枚を記録しています。
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