『トキワ荘』手塚治虫や藤子不二雄などが住んでいた漫画界伝説の木造アパート
2021年5月28日 更新

『トキワ荘』手塚治虫や藤子不二雄などが住んでいた漫画界伝説の木造アパート

東京都豊島区に1952年から1982年にかけて存在した木造アパート『トキワ荘』。そこは漫画の「聖地」としても知られており、1953年に手塚治虫が入居している。その後、手塚を慕って数多くの漫画家たちが『トキワ荘』で過ごすことになった。そんな『トキワ荘』と暮らした人たちを紹介していく。

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漫画界伝説のアパート『トキワ荘』

トキワ荘ドキュメンタリー「漫画がすべてだったトキワ荘の頃」

トキワ荘ドキュメンタリー「漫画がすべてだったトキワ荘の頃」

トキワ荘(トキワそう)は、東京都豊島区南長崎三丁目(住居表示16番6号、完成当時の住所表記は豊島区椎名町五丁目2253番地)に1952年から1982年にかけて存在した木造アパート。昭和57年、老朽化のため取り壊され、現在は出版社が建っている。

かつての所在地:東京都豊島区南長崎三丁目16番6号

どうして『トキワ荘』に漫画家が集まってきたのか

漫画家が『トキワ荘』に集まってきたのには、いくつかの理由があった。

漫画の神様「手塚治虫」が『トキワ荘』に住んでいた事、もう1つは学童社が、自社の雑誌に連載を持つ漫画家の多くをトキワ荘へ入居させた事、寺田ヒロオが空いた部屋には若い同志を入れ、ここを新人漫画家の共同生活の場にしていきたい」から漫画家を積極的に入居させていたなどの理由があった。

実は、トキワ荘への入居はメンバーによる選考が行われており、若手漫画家がただ集まってきたアパートではなく、当時の漫画界のエリート選抜した居住できないのが『トキワ荘』であった。そのため、一流漫画家が排出されたのも当然の事であった。
漫画少年 昭和28年6月号

漫画少年 昭和28年6月号

学童社からかつて出版されていた漫画少年
近所に『松葉』という中華料理店があり、頻繁に出前を取っていた。藤子不二雄の作品などに登場する。松葉は現在も営業を続けている。

松葉(まつば)
住所:東京都豊島区南長崎3-4-11PINE LEAF 1F
時間:11:00~15:00、17:00~20:30
定休日:月曜日

『トキワ荘』に住んでいた漫画家たち

伝説となった『トキワ荘』に住んでいた漫画家はどんな人たちだったのだろうか。
手塚治虫に憧れ上京してきた組や学童社に紹介され住んでいた組、寺田ヒロオに住むことを勧められた組など色々なパターンがあったようだが、本当に良い漫画を描きたいという強い意志を持っている若者が集まっていた。

手塚治虫:1953年~1954年10月

誰もが知っている日本漫画界の神様。代表作は「鉄腕アトム」「ブラックジャック」など。
1952年に上京して、四谷にある八百屋の2階に住んでいたが、編集者が昼夜に問わず出入りするため、学童社の関係者に入居するように誘われて、1953年から「トキワ荘」の住人となった。

これを皮切りに、学童社が、自社の雑誌に連載を持つ漫画家の多くをトキワ荘へ入居させることとなった。
手塚治虫とトキワ荘

手塚治虫とトキワ荘

日本のマンガは、このアパートから生まれた。手塚治虫、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、石ノ森章太郎、赤塚不二夫……若き日の巨匠たちが集った聖地・トキワ荘。日本のマンガ出版史を描き切る決定版評伝。

寺田ヒロオ:1953年12月~1957年6月

1953年、22歳の時に漫画家になるために上京し、東京都豊島区の「トキワ荘」に入居することとなる。入居当初は、向かいの部屋に手塚治虫が暮らしていた。面倒見のいいトキワ荘のリーダー的な存在として知られており、藤子不二雄Ⓐの「まんが道」などでは後輩の面倒をよく見る先輩としてのエピソードが多く描かれている。

生真面目な性格がたたったのか、段々と漫画を描かなくなっていき、1973年に絶筆。1981年4月に『漫画少年』の歴史を記録した「『漫画少年』史」を編纂・出版したが、この頃にはトキワ荘時代の仲間にも会わなくなってしまう。

1992年に死去。死去の2年前にトキワ荘の仲間を自宅に呼んで宴会をし、「もう思い残すことは無い」と家族に話したという。
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藤子不二雄:1954年10月~1961年10月

藤子不二雄のコンビを組んでいた藤本弘(藤子・F・不二雄)と安孫子素雄(藤子不二雄Ⓐ)もトキワ荘に住んでいた。
1954年に上京し、江東区森下にあった安孫子の親戚の家にあった2畳の和室に住んでいたが、手塚治虫がトキワ荘を出た後の2階の14号室に入居することになる。手塚は机などをそのままに退去したため、手塚が使った机で藤子不二雄も漫画を描いていたことになる。

後に後に藤子・Fが別に一部屋を借りて移っている。

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