札幌オリンピックは日本にとって悲願の大会だった!!
冬季オリンピックではその間も日本チームの成績は惨憺たる状況が続く。まさに、「参加することに意義がある」を実践しているようなものだった。
そのような状況を打破するためにも1972年の札幌オリンピックは必要不可欠であった。
そのような状況を打破するためにも1972年の札幌オリンピックは必要不可欠であった。
Janet Lynn 1972 Sapporo Olympics
1972年札幌オリンピックで一番印象に残ることは、私ら男性からすれば、やはりジャネット・リンの「妖精みたいな氷上の舞」であろう。今見れば「何のこれしき」と思われるかもしれないが、当時はみんな「胸キュン!!」でした。こけて立ち上がる姿もういういしかった!!。
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札幌オリンピック ジャンプ 笠谷・・・
あと札幌オリンピックのトピックで絶対外してはならないのが、スキー・ジャンプで日本勢が金・銀・銅メダルを独占した快挙だろう。わたしなんか恥ずかしながら、このテレビ中継で初めてこんな競技があることを知りました。
ちなみに、「この競技の起源は、ノルウェーの処刑法にある」などとされ、テレビ等でも紹介されていて、私も固く疑わなかったのだが、この根拠は特に見当たらず、一種の都市伝説だそうだ!!。
ちなみに、「この競技の起源は、ノルウェーの処刑法にある」などとされ、テレビ等でも紹介されていて、私も固く疑わなかったのだが、この根拠は特に見当たらず、一種の都市伝説だそうだ!!。
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札幌オリンピックといえば、この曲!!
虹と雪のバラード トワ・エ・モワ
「虹と雪のバラード」(にじとゆきのバラード)は1972年2月に開催された1972年札幌オリンピックのテーマソングである。本曲は作詞:河邨文一郎、作曲:村井邦彦。五輪開幕2年前の1970年、NHKが河邨に作詞を依頼したのが始まり。
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1971年2月から3月までNHK『みんなのうた』の「札幌五輪のうた」のコーナーで流された。1964年東京オリンピックのテーマ曲である「東京五輪音頭」や日本万国博覧会のテーマ曲である「世界の国からこんにちは」の例に倣い、この曲も複数歌手による競作となり、トワ・エ・モワ、黛ジュン、菅原洋一、ピンキーとキラーズ、佐良直美、トワ・エ・モワと同一の芸能事務所に所属していたジャッキー吉川とブルー・コメッツやスクールメイツなどが歌唱したが、最終的にトワ・エ・モワ版が定着し、この年の『第22回NHK紅白歌合戦』でもトワ・エ・モワがこの曲を歌った。