アントニオ猪木の燃える事件簿1  プロレスラー時代編
2016年12月19日 更新

アントニオ猪木の燃える事件簿1 プロレスラー時代編

1960年代にプロレスラーになってから、1989年に国会議員になるまでのアントニオ猪木のまとめ。 「プロレスこそすべての格闘技の頂点」、「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」というストロングスタイルのプロレスで、人々を熱狂させ、現在の総合格闘技の源流となる異種格闘技戦を行った燃える闘魂の事件簿。

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異種格闘技戦

アントニオ猪木は、「プロレスこそ全ての格闘技の頂点である」と「ストロングスタイル」を標榜し、その証明のため、プロレスvs柔道、空手、ボクシングなど異種格闘技戦を行った。

ミュンヘン五輪、柔道金メダリスト、ウィリアム・ルスカをバックドロップ3連発で沈めた。

現ボクシング世界ヘビー級チャンピオン、スーパースター、モハメド・アリと夢の対戦。
不自然なルールによって、猪木はスライディングキック(アリキック)に終始し、15Rドロー、「世紀の凡戦」ともいわれた。
アリは左脚を負傷して入院。
猪木はこの一戦で何億という借金を背負い込んだ。

パキスタンの英雄、アクラム・ペールワンの適地に乗り込み、3R15秒、腕をへし折って、自らがペールワン(No.1)であることを証明した。

「熊殺し」の異名を持つ極真空手家、ウイリー・ウイリアムスとの一戦は、猪木がウイリーに腕ひしぎをかけたままリング下に転落。
そこに両陣営のセコンドも入り乱れ、収拾がつかず、引き分けとなった。

映画「ロッキー」のモデルといわれるヘビー級ボクサー、チャック・ウエップナーのパンチで何度かダウンしたが、延髄斬りから逆エビ固めで決めた。

新日本プロレスの勝利

新日本プロレスOP

こうして猪木の新日本プロレスは急成長していった。
そしてやがて馬場の全日本プロレスのテレビ中継はゴールデンタイムから消え、故:力道山の国際プロレスは倒産した。

糖尿病596事件

 (1800526)

1982年、案と似猪木は、繰り返されるハードなトレーニングとハードな食事のため、正常値が約100~140である血糖値が596の糖尿病にかかった。
インシュリン注射の力で治すのは自分の哲学に反するため、自然治癒で血糖値180まで下げて、44日後にはカムバック戦を行った。
その方法は、どんぶり千切りキャベツを主食にし、
「糖尿病で血糖値が上がった際、氷風呂に入り全身の筋肉をガチガチと痙攣させ血糖を消費させるため」
と大量の氷を入れた水風呂に入った。
(ある医師は「とんでもないことだ」と驚愕し、「普通の人間は真似してはいけない」と語っている。)
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