1986年
1986年と言えば、バブルの始まりとされている年ですね。何が流行ったかと言えば、前年の「スーパーマリオブラザーズ」に続いてファミリーコンピュータ用ゲームソフト「ドラゴンクエスト」が社会現象となるほどの爆発的な大ヒットを記録しています。
更にはこの年、革新的な商品が売り出されました。その名も「写ルンです」。
更にはこの年、革新的な商品が売り出されました。その名も「写ルンです」。
確かに写ったんすよ。これは素晴らしいアイデア商品でした。カメラは高級、高額というイメージを覆しましたよね。
さて、巷にボディコンのお姉さんたちが溢れていたこの年、日本ではどのような曲が流行っていたのでしょうか?1986年版、売上枚数でみる「年間ベスト10」、いってみましょう!
さて、巷にボディコンのお姉さんたちが溢れていたこの年、日本ではどのような曲が流行っていたのでしょうか?1986年版、売上枚数でみる「年間ベスト10」、いってみましょう!
10位 青いスタシオン
覚えてますか?1986年はキャッツやホワッツマイケルなどがウケて空前のネコブームだったんですよ。そう「おニャン子クラブ」もブレイクしてます。
おニャン子、可愛かったですねぇ。会員番号12番の河合その子がおニャン子クラブ在籍最後の曲としてリリースしたのが「青いスタスィオン」で、1986年の邦楽ヒット曲 ランキングの第10位です。
おニャン子、可愛かったですねぇ。会員番号12番の河合その子がおニャン子クラブ在籍最後の曲としてリリースしたのが「青いスタスィオン」で、1986年の邦楽ヒット曲 ランキングの第10位です。
via aftermath.jp
この曲、作曲者は後藤次利です。後藤次利といえばサディスティック・ミカ・バンドのベーシストですね。売れっ子のミュージシャンであり、作・編曲家でそあります。そして、アイドルキラーとしても有名なお方。3度結婚されておりまして、最初の夫人はシモンズの玉井タエ、2度目が木之内みどり。そして3度目が河合その子というわけです。
「青いスタスィオン」河合その子
via www.youtube.com
河合その子がソロ活動を開始したのは1985年の7月、ドラマ「スケバン刑事」へのゲスト出演でした。その後、9月にソロデビュー曲「涙の茉莉花LOVE」を発売し、12月28日には品川プリンスホテルで初のソロコンサートを行い、翌年4月1日におニャン子卒業とかなり早い展開を見せてくれました。
因みに後藤次利と結婚したのは1994年です。
因みに後藤次利と結婚したのは1994年です。
9位 OH!! POPSTAR
84年からの快進撃が留まることを知らずといったところでしょうか、チェッカーズです。これがまたヒットするだけの事あって実にいい曲でした。が、本人たちはあまり気に入っていなかったようで、ライブで歌われることはあまりなかったようですよ。
「OH!! POPSTAR」は、チェッカーズの10枚目のシングルであり、東宝映画「タッチ 背番号のないエース」の挿入歌としても使われました。
8位 スキップ・ビート
サザンオールスターズの桑田佳祐が1年間限定で結成したKUWATA BAND(クワタバンド)。KUWATA BANDは4枚のシングルを発売したのですが、3枚目のシングル「スキップビート」が堂々の年間売上8位となっています。
via www.amazon.co.jp
何だかよく分かりませんが、このジャケットは良いですねぇ。リリース時にはオリコンで見事に第1位に輝いています。意外なことですが、当時はサザンオールスターズでもKUWATA BANDでもオリコン1位となった曲がなかったそうです。桑田佳祐にとって初のシングル1位。「スキップビート」は記念すべき曲となっています。
KUWATA BAND スキップビート
via www.youtube.com
「スキップビート」を「スケベ」と歌うところが実に桑田佳祐的ですよね。