松岡修造!!!  反骨の御曹司、リアルエースを狙え、ラケットを握ったサムライ
2018年1月15日 更新

松岡修造!!! 反骨の御曹司、リアルエースを狙え、ラケットを握ったサムライ

独特のキャラクターと熱血ぶりで「太陽神」と恐れ崇められる男。 その現役時代は世界の頂点に挑んだが、決して天才タイプではなく力んでしまう不器用なタイプの選手。 ボールを思い切り打って、ひたすらボールを追いかけるというスタイルは、決してスマートでなくケガも多かった。 しかしその感情を込めたパワーは圧倒的だった。

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麻雀にハマり悟る

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あれほどテニスに夢中だった松岡修造だったが、中学3年生で麻雀を覚えるとハマってしまった。
一瞬一瞬に勝負のエッセンスが凝縮した緊迫感、危険な牌を捨てるときのスリル、高い手で上がったときの恍惚感。
朝から晩までずっと頭の中に牌が並び、犬の吠える声は「ロン!」に聞こえた。
学校が終わるとテニスに行かずに友人と卓を囲んだ。
ただただ麻雀が面白く夢中になれた。
しかしやがて自問自答し始めた。
「こんなことばかりしていていいのか?」
「もっとテニスが強くなりたかったんじゃないのか?」
「目標のないまま大学を出てなりゆきで就職して社会人になるのか?」
「そんな人生でいいのか?」
自分に語りかけるこの癖は、後にプロ選手になって「修造、ガンバレ」などと自分に励ましたり言い聞かせる自己暗示にまで発展していく。
日頃の練習でも自問自答することでポジティブな意志を強固にさせる効果があった。
しかしこのときはなかなか麻雀の魔力、怠惰な自由の誘惑に勝てなかった。
ただ深層心理で「ほんとうに自分がやりたいことは何だ?」という自らへの問いは消えることはなかった。
そしてやがて松岡修造は再びラケットをケースから取り出した。
「そうだ、この感触!
コレだ!」
現在、松岡修造はこの時期の自らの怠惰を、垂直跳びをするときに1度屈むように、人生のバネの力をためた時期だといっている。

柳川高校

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1984年の春。
怠惰、堕落、惰性、無気力、倦怠・・・
この甘え地獄を抜け出るために、また慶応高校の落第を回避するため、何よりテニス一色になるため松岡修造は決意した。
必ず大学に行くことを条件に父を説得し、慶応高校から福岡県の博多から1時間くらいの場所にある柳川高校に転校した。
柳川高校は数多くの選手を輩出した高校テニスの名門。
スパルタで生徒を鍛え、そのハードな練習と上下関係の厳しさは全国的に恐れられていた。
選手はみんな丸坊主。
軍隊のように先生の号令一下、キビキビと行動する。
松岡修造は、経済的に恵まれていたが心は希望に飢えていた。
夢に向かって一直線に頑張りたいというハングリー精神が旺盛だった。
都会のテニスボーイがこれまでと正反対の練習をさせられ、どんな苦しい目にあわされようと、慶応大学卒業という安心感を捨てようとテニスができるならかまわなかった。
桜田倶楽部の仲間は、ジュニアの試合で柳川高校の様子知っていたので、まるで戦場に行くように友を見送った。
松岡修造は柳川高校に2年で転入し、すぐに練習を始めた。
学校の授業が終わると毎日ハードな練習をこなし、日曜も6~18時まで練習だった。
その指導と練習は厳しく過酷だった。
ミスをすればラケットで頭をゴツン。
「アレ?」
といっても
「修造、なんで柳川弁使わんと?」
とゴツン。
太腿の後ろをシングルポール(ネットの高さを調整する器具)で叩かれると椅子に座れなくなり風呂にも入れなかった。
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柳川高校に来て松岡修造のテニスは攻撃的になった。
それまではどちらかというと敵のミスを誘うラリーテニスだったが、積極的にエースを狙うパワーテニスへと変化した。
サーブは160km/hあった。
またあれほど勉強や作文は嫌いだったのに、強くなりたい一心から日記をつけはじめた。
毎日、自分の気持ちを文字にして省みることが心の糧となった。
柳川高校に入って2か月後、「ウインブルドンへの道」という大会に出場。
全日本ジュニアランキング1位の太田茂を破って優勝した。
この大会で勝つと、イギリスのウインブルドンやフランスのフレンチオープンのジュニア選手権に出場できた。
しかしこの海外遠征の時期がインターハイと重なっていたので松岡修造は辞退した。
そしてインターハイで柳川高校はシングルス、ダブルス、団体戦の3冠となった。

単身渡米

ボブ・ブレッド

ボブ・ブレッド

3年生になった松岡修造は再び「ウインブルドンへの道」で優勝した。
ウインブルドンのコートに立つことは夢だった。
しかしインターハイでチームに迷惑をかけたくなかった。
悩んだ挙句、柳川高校を1年休学し、1年後戻るという条件でウインブルドンへ行った。
松岡修造を欠いた柳川高校はインターハイでベスト4。
連覇を逃した。
松岡修造は、フレンチオープンジュニアでは、2回戦に進出。、ダブルスでも2回戦進出。
ウィンブルドンジュニアでは、3回戦進出。
そして2ヶ月間の遠征で終えた松岡修造は、東京に戻った。
高校は休学中なので毎日桜田倶楽部で練習した。
フレンチオープンでプレーする松岡修造を世界的な名コーチ、ボブ・ブレッドがみて興味を持った。
その話が日本人カメラマンを通じて桜田倶楽部に伝わり、来日していたボブ・ブレッドにコンタクトをとった。
すると来てくれるという。
柳川高校に戻り大学推薦入学を目指すだけで終わってしまうことに不安を感じていた松岡修造は有頂天になった。
ボブ・ブレッドは松岡修造の練習をみた。
30分ほど打ち合い
「OK」
と手を差し出した。
そしていった。
「明日、アメリカに帰る。
サヨナラ」
もっとアドバイスが欲しかった松岡修造は拍子抜けしたが、それでも満足だった。
翌日、ボブ・ブレッドを空港まで送った日本人カメラマンから電話があった。
「修造、ボブからの伝言だ。
明日にでもアメリカに来い。
日本にいたら強くなれないよだって・・」
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TEAM HEAD: Training at the Bob Brett Academy in San Remo

18歳の松岡修造は、柳川高校を中退し、単身、アメリカに渡った。
ボブ・ブレッドの手配でパーマーアカデミーハイスクールに通いながらホップマンキャンプで練習をみてもらった。
外国人の中に混じってひたすらボールを追いトレーニングを積んだ。
英語習得のために、自分の周囲から辞書以外の日本語をすべて捨てた。
本や雑誌、音楽まで捨て、日記も英語で書き始めた。
数ヵ月後、相手のいっていることがわかるようになり、自分のいいたいことも伝えられるようになった。
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渡米1年後、ハイスクールを卒業し大学に進もうとしたときボブ・ブレッドがいった。
「腕試しにプロの試合に出てみよう」
「勝てないよ」
「つまらない恐怖心を持つな
人間は自分では思いもよらない能力がある
5年間頑張ってみろ
運がよけりゃシュウゾーは世界100位以内に入る力がある」
(世界100位以内?
よし!やってみよう!)

プロテニスは弱肉強食のピラミッド

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ATP(世界男子プロテニス選手会)の制度では、全豪、全仏、全英、全米という4大グランドスラム大会を頂点に、世界ランキング100位くらいの選手だけが出場できるグランプリ、チャレンジャー、そして世界ランキング1000~2000位の下位選手が競うサテライト(現:フューチャーズ)というようにピラミッド型に構成されている。
選手は、とにかく試合に勝つことでランキングを上げていくことを目指す。
サテライトの大会には世界中からエントリーがあるのでその出場者数はすごく、本戦の前に予選があった。
予選は7試合勝ち抜き本戦に出れるのは4人だけだった。
そこで勝つと5週目にその前の4週で優秀な成績を残した者たちだけのトーナメントに出られた。
そしてここではじめてポイントがもらえる。
このポイント数でランキングが決まった。
格上のトーナメントに出るにはポイントをたくさん稼がなくてはならなかった。
ウインブルドンなど4大大会に出るためには700ポイントが必要だといわれる。

グランドスラム

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