吉田秀彦 相手がどんなに大きくても、またどんな格闘技でも逃げることなく真っ向勝負する柔道家
2017年3月10日 更新

吉田秀彦 相手がどんなに大きくても、またどんな格闘技でも逃げることなく真っ向勝負する柔道家

柔道では全日本体重別、世界選手権、オリンピックを制覇。全日本無差別でも2位。総合格闘技ではホイス・グレイシー、ドン・フライ、佐竹雅昭、ヴァンダレイ・シウバ、ミルコ・クロコップ、マーク・ハント、石井慧、菊田早苗、ジョシュ・バーネット、田村潔司、中村和裕らと対戦。そして43歳で柔道の現役に復帰!!!

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 (1684378)

1991年、
吉田秀彦は全日本柔道選手権大会に出場した
昭和5年から始まった歴史ある大会で
試合は「体重階級別」ではなく「無差別」で行われ
日本一柔道が強い男を決めるトーナメントである

vs 小川直也

 (1684372)

吉田秀彦は勝ち進み
準決勝で明治大学の先輩で
この大会5連覇中、この5年日本人に負けなしという小川直也と当たった
身長差は13㎝
体重差は44㎏
両者は攻め合い
決定的な差がなく判定となったが
僅差で吉田が勝った

vs 金野潤

 (1684368)

決勝はの相手は
前年度2位の金野潤だった
試合開始2分
金野のカニバサミで右膝を痛めた
7分には
金野の脇固めに入られ左肘を痛めた
吉田のブラブラになった左腕を金野は腕がらみで攻めた
吉田は怒りのドロップキックで金野を蹴り放し
その後も怒りのカニバサミまで繰り出すなど
闘志むき出しで戦った
しかし判定で負けた

アトランタオリンピック

 (1684361)

-78kg級から-86㎏級に階級を上げ
アトランタオリンピックに出場するが
まさかの1回戦敗退
敗者復活戦で勝ち上がるも3位決定戦で左肘を痛め
結果は5位

明治大学柔道部監督

 (1684358)

バルセロナで金メダル、
アトランタで1回戦負け
27歳にして人生の天国と地獄を経験した吉田秀彦は
1997年に明治大学柔道部の監督になった

8年かかって世界選手権を獲る

 (1684344)

1999年、
バーミンガムで行われた世界選手権で優勝
世界選手権は
1991年、3位
1993年、2位
1995年、2位
と4度目の挑戦での初制覇
うれしすぎて決勝戦で勝った瞬間は
内股で投げた相手の体の上に乗ったままガッツポーズをとって叫んでいた

シドニーオリンピック

 (1684327)

2000年9月20日、
31歳にして3回目のオリンピック
-90㎏級
1回戦、ポイント勝ち
2回戦、(相手が攻めないため)反則勝ち
3回戦、
44秒、相手の内股を
畳に右手をついてかわそうとした瞬間
右肘を脱臼し敗退した
周囲から
「引退か?」
ともいわれたが
本人は
「今は余計なことを考えず練習をやろう
答えは自然と出てくる」
と翌日から明治大学の道場に通った

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