吉田秀彦 相手がどんなに大きくても、またどんな格闘技でも逃げることなく真っ向勝負する柔道家
2017年3月10日 更新

吉田秀彦 相手がどんなに大きくても、またどんな格闘技でも逃げることなく真っ向勝負する柔道家

柔道では全日本体重別、世界選手権、オリンピックを制覇。全日本無差別でも2位。総合格闘技ではホイス・グレイシー、ドン・フライ、佐竹雅昭、ヴァンダレイ・シウバ、ミルコ・クロコップ、マーク・ハント、石井慧、菊田早苗、ジョシュ・バーネット、田村潔司、中村和裕らと対戦。そして43歳で柔道の現役に復帰!!!

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決勝戦を故障棄権

 (1684320)

2001年11月、
講道館杯-100㎏級に出場
決勝で鈴木桂治と対戦
1分29秒、
背負い投げを放った瞬間
「ブチッ」と音がして右太ももに激痛が走った
両者とも畳に倒れたが吉田だけが顔を歪めて動けなかった
試合再開後も右足を引きずり鈴木と組み合うと悲鳴を上げた
組み手争いもままならなず
2分30秒で「棄権」となった
この試合の直後、吉田秀彦は
「来年4月29日の全日本選手権で引退します」
と表明した

1回戦負けで引退

 (1684314)

2002年4月
7回目の全日本選手権は
最年長として選手宣誓もしたが
1回戦で負けた
決勝戦は
明治大学の教え子である棟田康幸と井上康生の対戦だった

吉田道場

 (1684312)

2002年6月
吉田秀彦は
10年勤めた新日本製鉄を退社し
5年間指導した明治大学柔道部の監督も退任
そして東京、小田急線鉛線、梅ヶ丘駅前に
「吉田道場(http://www.yoshidadojo.com/)」を開いた

VIVA JUDO

 (1682526)

そして「VIVA JUDO」というイベントを始めた

VIVA JUDO

プロ格闘家となる

 (1684292)

吉田秀彦は
「子供たちに夢を与えたい」
という気持ちからプロの格闘技のリングに上がる

vs ホイス・グレーシー

 (1684306)

2002年8月28日、
ホイス・グレイシーと
1R10分×2
道着着用、
顔面への攻撃、グラウンド状態での打撃筋枝
延長、判定なし
勝敗はギブアップ、TKO、反則失格のみで決定する
というルールで対戦
吉田秀彦は袖車絞めの形に入り
「(ホイスが)落ちた(失神した)!」とアピール
レフリーストップのないルールだったがレフリーが試合をストップ
しかしホイスはスクっとすぐに立ち上がり
「落ちていない」と猛抗議
判定が覆ることはなかったが
おそらく落ちて(失神して)いなかったというのは事実なため後味の悪い試合となった

vs ドン・フライ

 (1684301)

2002年11月24日、
ドン・フライに腕ひしぎ十字固めで1本勝ち

vs 佐竹雅昭

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