1988年、B'zとしてデビューした稲葉浩志
1988年9月21日、「だからその手を離して」でB'zとしてのデビューを果たした稲葉浩志。
1990年リリースの5thシングル「太陽のKomachi Angel」が初のオリコンチャート1位を獲得してブレイクします。
1990年リリースの5thシングル「太陽のKomachi Angel」が初のオリコンチャート1位を獲得してブレイクします。
日本を代表するロックバンドB’z「稲葉浩志」の人間性と歌唱能力をまとめます。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
90年代のB’zは最高でした、とくにアルバム「Loose」のころ。稲葉浩志の声やパフォーマンスに酔いしれた人も多かったことでしょう。B’zの激しいパフォーマンスと裏腹に、稲葉は実は物静かな人なんですよね。そんな彼についてまとめてみました。
デビュー当初のデジタルサウンドから次第にロック色の強いにサウンドへと変化していったB'z。
特にデビュー5年目あたりから、その傾向が顕著になっていきました。
特にデビュー5年目あたりから、その傾向が顕著になっていきました。
B’zのアルバム”The 7th Blues”は彼らの音楽姿勢における大きなターニングポイントとなった。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
B’zを語るには実に様々な切り口があろうかと思います。私は主に90年代、B’zの熱烈なファンでした。そんな私にとって「The 7th Blues」は衝撃的かつB’zが猛烈に好きになるきっかけとなったアルバムでした。
そのころにはすでに、日本を代表する人気アーティストへの成長を遂げていたB'z。
そんななかで、稲葉浩志がソロ活動を始めたのは1997年1月29日、初のソロアルバム「マグマ」のリリースから。
その翌年、デビュー10年で初のソロシングル作品をリリースします。
そんななかで、稲葉浩志がソロ活動を始めたのは1997年1月29日、初のソロアルバム「マグマ」のリリースから。
その翌年、デビュー10年で初のソロシングル作品をリリースします。
1998年12月16日 1stシングル「遠くまで」
表題曲「遠くまで」と「CHAIN」「Not Too Late」収録
「遠くまで」が表題曲であるものの本人曰く「気持ちはトリプルA面」。
表題曲をどれにするのか迷ったようで「(表題曲を決めるのが大変だから)もうシングルはやりたくない。」とまで発言していたそう。
この時の経験が2ndシングル「KI」の形式に繋がることに。
表題曲をどれにするのか迷ったようで「(表題曲を決めるのが大変だから)もうシングルはやりたくない。」とまで発言していたそう。
この時の経験が2ndシングル「KI」の形式に繋がることに。
稲葉浩志 / 遠くまで
via www.youtube.com
「遠くまで」は、稲葉本人のコンセプトを反映させており、草木が生い茂る森の中を、稲葉本人がかがみながら縫う様に進む姿から、ニューヨークを歩く様子へと変化し、カメラワークは、稲葉を中心として円を描く動きに変わり、次第に稲葉の周囲にいるニューヨークの人々が、吸血鬼や動物に変化している様に稲葉には見えているという設定で、周りを気にしながら生きているという、詞の内容をイメージさせる映像となっている。
この前後で、B'zがリリースしたシングルには
1998年7月8日 HOME
1999年6月9日 ギリギリchop
が、あります。
1998年7月8日 HOME
1999年6月9日 ギリギリchop
が、あります。
1998年7月8日 HOME
B'z / HOME
via www.youtube.com
1999年6月9日 ギリギリchop
B'z / ギリギリchop
via www.youtube.com
2003年6月11日 2ndシングル「KI」
「AKATSUKI」「静かな雨」「I'm on fire」収録
1stシングルから実に5年近くの月日が経ってからの2nsシングルとなりました。
当初「AKATSUKI」を表題曲に予定するものの「すべて平等で聴いてもらいたい」という意向によってタイトルは「KI」に。
由来には稲葉のイニシャル、敬愛、タイアップであったK-1がかかっているそう。
当初「AKATSUKI」を表題曲に予定するものの「すべて平等で聴いてもらいたい」という意向によってタイトルは「KI」に。
由来には稲葉のイニシャル、敬愛、タイアップであったK-1がかかっているそう。
稲葉浩志 / AKATSUKI
via www.youtube.com