ジョージ・フォアマン 「老いは恥ではない」45歳で2度目の世界ヘビー級チャンピオンとなった象をも倒すパンチを持つ男
2017年9月14日 更新

ジョージ・フォアマン 「老いは恥ではない」45歳で2度目の世界ヘビー級チャンピオンとなった象をも倒すパンチを持つ男

1968年、メキシコシティオリンピックで金メダル獲得。 1973年、無敵のジョー・フレージャーを倒し世界ヘビー級チャンピオンになる。 1974年、モハメド・アリにノックアウトされ、やがてリングから消えた。 1994年、マイケル・モーラーを逆転KOで倒して再び世界チャンピオンなる。 アーチ・ムーアやロベルト・デュランなど40歳を超えても戦い続けたチャンピオンはいた。 しかしジョージ・フォアマンは10年間のブランクを経てカムバックし、しかも世界チャンピオンになった。 彼はその間、牧師をしていて、復帰の理由も慈善活動の費用を稼ぐためだった。 少年時代、小学校を留年し中学校を卒業できず犯罪にさえ手を染めた彼が・・・ 圧倒的な強さ、栄光、勝利、すべてを失うような敗北、そして奇跡のカムバック。 まさにアメリカンドリーム。

16,438 view

Gerge Foreman vs Joe Frazier II

ジョージ・フォアマンはジョー・フレージャーと再戦。
フォアマンは低い前傾姿勢のフレージャーに右アッパーを突き上げた。
5R、フォアマンのパンチでフレージャーがマウスピースを口から飛ばし崩れ落ちた。
エイトカウントで立ち上がった数秒後、フォアマンのパンチを浴び再びダウン。
額から血を流しながら、立ち上がろうとするフレージャーをレフリーが止めた。
5RTKOで勝ったフォアマンは、フレージャーを見下ろし野次を飛ばしてくる客を睨みつけた。
これがジョー・フレージャーのラストファイトとなった。
32勝4敗27KO。
4つの負けはモハメド・アリとジョージ・フォアマンに2回ずつ負けたものだった。

神に出会う

 (1908684)

Round 12: George Foreman vs. Jimmy Young [17.03.1977]

この後、ジョージ・フォアマンはディノ・デニスとペドロ・アゴスタに連勝。
そして1977年3月17日、ジミー・ヤング と対戦。
しかしヤングを攻め切ることができず12R(最終ラウンド)、焦って放った右アッパーをヤングにカウンターをとられダウン。
すぐに立ち上がり、ラッシュしたが、判定負け。
 (1908685)

ジョージ・フォアマンは、ヤング戦の試合後、ロッカールームで聖書的体験をする。
頭の中で神の声がして、どこか遠くに運ばれていくのを感じた。
そこは宇宙の底の底、無以外何もない場所だった。
フォアマンは自分が死んでいくのだと思い、自分を支えてくれた人たちに感謝の気持ちを伝えていなかったことを後悔した。
そして本当に死を覚悟したとき、巨大な手が自分を抱え上げ無の世界から運び出した。
瞬間、自分が控室のベッドで寝ていることに気づいた。
トレーナー、ドクター、ボディガード、マッサージ師、兄弟、みんなが自分を囲んでみていた。
フォアマンは自分を恐ろしい場所から救い出してくれた偉大な手を思い出していった。
「おい、イエス・キリストが俺の中に乗り移ったんだ」
「だがジョージ、あんたはそんなにクリーンじゃないぞ」
「クリーンにしなきゃな」
そういうとみんなを押しのけシャワールームに向かった。
シャワーを終えると裸のままスタッフ1人1人に感謝の言葉をかけキスをした。
もし勝てばモハメド・アリと再戦しタイトルを取り戻せるかもしれないという大事な試合だったが、ジョージ・フォアマンは敗れ神と愛に出会った。
28歳だった。

牧師

 (1908687)

神に出会ったジョージ・フォアマンは、自分の家族を抱きしめ心の底からいった。
「愛しているよ」
みんなどうして急にこんなに優しくなったのか不思議がった。
教会に依頼されて、ジミー・ヤング戦での体験を話したことをきっかけになり、ジョージ・フォアマンは熱心な牧師となり、やがて自分の教会を持った。
急激に変わったフォアマンを気味悪がって避ける人もいたが、その人気はすさまじく講演やキリスト教の普及活動を全米および海外で行った。

George Foreman, Inspirational Speaker

ジョージ・フォアマン青少年センター(George Foreman Youth and Community Center )

 (1905993)

Youth Center - The Official Site of George Foreman(http://www.georgeforeman.com/youth_center)
 (1906063)

1983年、ジョージ・フォアマンは、自分の教会の1ブロック離れた場所にあった倉庫を買いとり改装し、「ジョージ・フォアマン青少年センター(George Foreman Youth and Community Center )」を立ち上げた。
バスケットコートやボクシングリングがつくられ、トレーニング器具やスポーツ用具を運び入れた。
 (1905995)

George Foreman FIGHT EXPO | November 1st, 2014

会費は年1ドル。
ルールは、スポーツマンシップとフェアプレー、そして自由だった。
多くの少年少女とその保護者が集い、スポーツだけでなく勉強や芸術を楽しんだ。
家庭に問題を抱えた子供、あるいは少年院を出たばかりの子供は、あいさつ、言葉遣い、読み書ききや算数、マナーなども教わった。
オドオドと気弱な初年が、真剣にスポーツの練習をするうちに自信を持ち、自尊心を持ち自重するようになることもあった。

挑戦

107 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

イベンダー・ホリフィールド  戦慄の忍耐力 オリンピック の悲劇  そしてヒーローに

イベンダー・ホリフィールド 戦慄の忍耐力 オリンピック の悲劇 そしてヒーローに

幼き日の聖書的体験。アメリカンフットボールとボクシングに熱中した少年時代。マイク・タイソンとの出会い。そしてオリンピックでの悲劇。
RAOH | 329 view
モハメド・アリ   アメリカに、大切なのは肌の色ではなく、心であり魂であり精神だと教えた男。

モハメド・アリ アメリカに、大切なのは肌の色ではなく、心であり魂であり精神だと教えた男。

ローマオリンピックボクシングライトヘビー級金メダリスト。 「蝶のように舞い、蜂のように刺す」ボクシングで、ソニー・リストン、ジョージ・フォアマン、ジョー・フレージャーらとの名勝負を行いながら、3度も世界最強の座に就いたグレーティスト・チャンピオン。 信念に基づきベトナム戦争の徴兵を拒否し、その制裁として世界ヘビー級チャンピオンのタイトルを剥奪され、3年6ヵ月間、試合ができず、全盛期のキャリアを失いながらも、法廷でアメリカ政府と争い、無罪を勝ち取ったザ・ピープルズ・チャンピオン。 モハメド・アリは、常に常識と権威に挑み続け、大切なのは、心であり魂であり精神だと教えてくれた。
RAOH | 7,865 view
【ジョージ・フォアマン】45歳で世界ヘビー級王者に返り咲いた伝説のボクサー

【ジョージ・フォアマン】45歳で世界ヘビー級王者に返り咲いた伝説のボクサー

象をも倒すといわれたパンチ力で最強と呼ばれながら『キンシャサの奇跡』でモハメド・アリに敗れたジョージ・フォアマン。 一度は引退するもカムバックを果たし、20年ぶり45歳で世界ヘビー級王者に返り咲いた伝説のボクシング王者について栄光から挫折そして復活の経歴、モハメド・アリやマイク・タイソンとの比較、ヘビー級最強説を紹介。
きちんとチキン | 68,690 view
イベンダー・ホリフィールド  圧倒的!!  無敵のクルーザー級時代。

イベンダー・ホリフィールド 圧倒的!! 無敵のクルーザー級時代。

悲劇のロスアンゼルスオリンピックの後、プロに転向。超タフなドワイト・ムハマド・カウィとの死闘を制しWBA世界クルーザー級チャンピオンとなり、WBA、WBC、IBF、3団体のタイトルの統一にも成功。すぐに「最強」の称号を得るため、マイク・タイソンが君臨するヘビー級への殴りこみを宣言した。
RAOH | 285 view
マイク・タイソン vs イベンダー・ホリフィールド  不遇の黒人たちがボクシングに活路を見出し、アメリカの過酷な環境が最高のボクサーを産んだ。

マイク・タイソン vs イベンダー・ホリフィールド 不遇の黒人たちがボクシングに活路を見出し、アメリカの過酷な環境が最高のボクサーを産んだ。

マイク・タイソン、イベンダー・ホリフィールド、リディック・ボウ・・・ 1980~90年代、アメリカのボクシングは最強で、無一文のボクサーが拳だけで数百億円を手に入れることができた。しかしボクサーはお金のためだけにリングに上がるのではない。彼らが欲しいのは、最強の証明。そして人間は考え方や生き方を変えて人生を変えることができるという証だった。
RAOH | 3,811 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト