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アンリ・ルコント(Henri Leconte, 1963年7月4日 - )は、フランス・パ=ド=カレー県リレ出身の元男子プロテニス選手。
1988年の全仏オープンテニス男子シングルス準優勝者。
左利き。バックハンドは片手打ち。
自己最高ランキングはシングルス5位、ダブルス6位。ATPツアーでシングルス9勝、ダブルス10勝を挙げた。
1980年に地元全仏オープンの男子ジュニアシングルス部門で優勝し、プロ選手に転向。
1984年には同じフランスのヤニック・ノアとペアを組み、全仏オープンのダブルス優勝を果たしている。1988年全仏オープンでシングルス決勝進出を果たしたが、マッツ・ビランデルに 5-7, 2-6, 1-6 のストレートで完敗。1983年のヤニック・ノア以来となる、地元フランス人選手としての全仏オープン優勝を逃した。
当時不動の世界ナンバー1だったレンドルをして「ルコントが絶好調の時は僕でも勝てない」と言わしめた天才レフティ。
まけろう
まけろう
●サービス :C
●ストローク :B
●ボレー :A
●フットワーク :A
スピンをきかせたサービスから鋭いボレーを武器とする、サーブ&ボレースタイルの代表的選手。
打ち合いを避け、ネット際でボレー攻撃にかけよう。
●ストローク :B
●ボレー :A
●フットワーク :A
スピンをきかせたサービスから鋭いボレーを武器とする、サーブ&ボレースタイルの代表的選手。
打ち合いを避け、ネット際でボレー攻撃にかけよう。
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モデルとなった選手=ジョン・マッケンロー
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ジョン・マッケンロー(John McEnroe, 1959年2月16日 - )は、アメリカの男子プロテニス選手。
左利き。身長180cm、体重75kg。
ATPツアーでシングルス77勝、ダブルス71勝を挙げ、シングルス・ダブルスとも世界ランキング1位になった数少ない選手のひとりである。
グランドスラムではシングルス優勝7回・ダブルス優勝9回・混合ダブルス優勝1回の計17回の優勝を飾った。ダブルスでは旧友ピーター・フレミングと組んで57個(うち4大大会7勝/同一ペアの優勝記録としては歴代2位)のタイトルを獲得した。
他にも年間最終戦優勝3回、最多タイトル獲得記録(シングルス・ダブルス合計)、シングルス通算世界1位在位記録歴代5位・ダブルス通算世界1位在位記録歴代3位など数々の記録を保持する。
審判にクレームをつけたり、暴言を発する言動が頻繁にあったことから、“悪童マッケンロー”と呼ばれた。
こねえず
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モデルとなった選手=ジミー・コナーズ
ジミー・コナーズ(Jimmy Connors, 1952年9月2日 - )は、アメリカ・イリノイ州ベルビル出身の元男子プロテニス選手。フルネームは James Scott Connors (ジェームズ・スコット・コナーズ)という。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(U.C.L.A.)出身。
ビョルン・ボルグ、ジョン・マッケンロー、イワン・レンドルらと並び、男子テニスの歴史を通じて最も輝かしい黄金時代を築いた名選手のひとりである。コナーズは1970年代の男子テニス界に長らく王者として君臨した。
左利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
4大大会通算8勝は、フレッド・ペリー、ケン・ローズウォール、イワン・レンドル、アンドレ・アガシと並ぶ男子テニス歴代8位タイ記録。 ATPツアーのシングルスではいずれも男子歴代1位のツアー109勝、シングルス1243勝などの大記録を持つ。
世界ランキング1位連続保持記録「160週」は歴代2位(当時歴代1位、2007年2月26日にロジャー・フェデラーがコナーズの記録を更新し、2008年8月17日まで「237週」を記録)。また世界ランキング1位通算在位記録「268週」は当時歴代最長で、現在でもフェデラー(302週)、サンプラス(286週)、レンドル(270週)に次ぐ歴代4位(当時歴代1位)である。
闘志溢れるプレーで高い人気を集め、観客を自分の味方につける術にも優れた選手だった。
きゃっちゅ
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モデルとなった選手=パット・キャッシュ
パット・キャッシュ(Pat Cash, 1965年5月27日 - )は、オーストラリア・メルボルン出身の元男子プロテニス選手。
1987年のウィンブルドン男子シングルス優勝者である。
自己最高ランキングはシングルス4位、ダブルス6位。ATPツアーで1987年ウィンブルドンを含むシングルス7勝、ダブルス12勝を挙げる。
右利き。強靭なリスト(手首)を生かしたバックハンド・ストロークを特徴とした。
びょるぐ
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