欽ちゃんファミリーの男性アイドル「イモ欽トリオ」
欽ちゃんファミリー・・・タレント萩本欽一が手掛けたテレビ番組から出てきた歌手やタレントのことを指しますがその中でもグループでアイドル活動をしていたのは「わらべ」と「イモ欽トリオ」と「CHA-CHA」と3組だけでした。
わらべ
テレビ朝日系のバラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!?」に出演していた高部知子、倉沢淳美、高橋真美の3人で結成された企画型ユニットグループで、「めだかの兄妹」や「もしも明日が・・・。」などのヒット曲を持っています。
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CHA-CHA
日本テレビ系で放送されていたバラエティー番組「欽きらリン530!!」で結成されていた茶々隊のメンバーを絞り込んで結成されたのが「CHA-CHA」でした。結成当時はジャニーズ事務所所属の中村亘利が参加していたことで有名でした。メンバーは 勝俣州和、中村亘利、松原桃太郎、西尾拓美、木野正人の5名でデビューし、後に木野正人が脱退して4名となりました。
イモ欽トリオ
山口良一(ヨシオ)、西山浩司(ワルオ)、長江健次(フツオ)という設定でフジテレビ系で放送されたバラエティー番組から出てきた企画型男性ユニットでその人気はデビュー曲がミリオンセラーになったくらいです。
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作詞・松本隆、作曲編曲・細野晴臣とヒットすること間違いなしという感じのタックですが、当時流行していたテクノポップの波にうまく乗った形でした。
ユニット名の「イモ欽トリオ」もYMO、欽ちゃん、当時人気のジャニーズのアイドルたのきんトリオ(田原俊彦、野村義男、近藤真彦でたのきん)から肖った名前でした。
ユニット名の「イモ欽トリオ」もYMO、欽ちゃん、当時人気のジャニーズのアイドルたのきんトリオ(田原俊彦、野村義男、近藤真彦でたのきん)から肖った名前でした。
イモ欽トリオ ハイスクールララバイ (1981) 2 - YouTube
当時の歌番組から
via youtu.be
ヨシオこと山口良一
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1977年東映演技研修所に入所し1979年に佐藤B作が主宰者となっている劇団東京ヴォードヴィルショーに所属しデビューとなります。1981年に「欽ドン!良い子悪い子普通の子」でブレイクしました。
少年時代から夢は落語家と言っていたこともあって流暢な語りでテレビ番組の司会をしてみたり、リポーターなどにも挑戦していました。
少年時代から夢は落語家と言っていたこともあって流暢な語りでテレビ番組の司会をしてみたり、リポーターなどにも挑戦していました。
via blog.livedoor.jp
ワルオこと西山浩司
マッスルな体つきが印象に強い彼はスタ誕の出身者で「欽ちゃんと遊ぼうコーナー」というコーナーで5週連続チャンピオンになり司会者だった欽ちゃんに弟子入りしたという逸材で、そのコミカルな芸風と体つきが楽しさを一層を大きくしてくれていました。
現在も俳優として活躍していますが、彼の家族も有名人で妻は女優の吉内里美、娘は市川千尋でマッスルミュージカルにも出たことがあるパワフルレディのようです。
現在も俳優として活躍していますが、彼の家族も有名人で妻は女優の吉内里美、娘は市川千尋でマッスルミュージカルにも出たことがあるパワフルレディのようです。
via twitter.com
フツオこと長江健次
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イモ欽トリオの中でも一番モテていたとされている彼ですが3人の中も世間の注目を集めたことがありました。
高校在学中に「欽ドン!良い子悪い子普通の子」のワルオ役一般オーディションに応募し落選となったが、欽ちゃんのインスピレーションで終了後の会場にいた普通っぽい彼が落選から一転合格となって経歴で芸能界デビューとなしました。
高校在学中に「欽ドン!良い子悪い子普通の子」のワルオ役一般オーディションに応募し落選となったが、欽ちゃんのインスピレーションで終了後の会場にいた普通っぽい彼が落選から一転合格となって経歴で芸能界デビューとなしました。
大学進学のために芸能活動を一時休止として学業に専念することになった長江健二の代わりに2代目のフツオが選ばれたりしました。
大学へ進学できたことを機に芸能活動を出身の関西で開始したのですが、このことを萩本欽一に話していなかったということから欽ちゃんファミリーを破門されたとされています。
大学へ進学できたことを機に芸能活動を出身の関西で開始したのですが、このことを萩本欽一に話していなかったということから欽ちゃんファミリーを破門されたとされています。