もう一度見たい!沢村賞を3回受賞した平成の大エース「斎藤雅樹」
2016年11月25日 更新

もう一度見たい!沢村賞を3回受賞した平成の大エース「斎藤雅樹」

80~90年代のプロ野球で圧倒的なピッチングを見せた平成の大エース「斎藤雅樹」の功績を振り返る。

13,769 view
・最多勝利:5回 (1989年、1990年、1992年、1995年、1996年)
・最優秀防御率:3回 (1989年、1990年、1996年)
・最多奪三振:1回 (1995年)
・最高勝率:3回 (1990年、1992年、1996年
・MVP:1回 (1990年)
・沢村賞:3回 (1989年、1995年、1996年)
・ベストナイン:5回 (1989年、1990年、1992年、1995年、1996年)
・最優秀投手:5回 (1989年、1990年、1992年、1995年、1996年)
・ゴールデングラブ賞:4回 (1990年、1992年、1995年、1996年)
・月間MVP:5回 (1989年6月、1990年5月、1990年7月、1994年6月、1995年7月)
・最優秀バッテリー賞:1回 (1996年、捕手:村田真一)
・最優秀JCB・MEP賞:2回 (1990年、1995年)
・JA全農Go・Go賞:1回 (最多奪三振賞:1995年5月)
・東京ドームMVP:1回 (1994年)

現役引退後の斎藤雅樹

引退後、2002年〜2003年の2年間、1軍投手コーチを務める。
2004年〜2005年には沢村賞選考委員を務めた。
2004年からはフジテレビ野球解説者・スポーツ報知評論家を務めた。
2005年オフに原辰徳監督と共に1軍投手コーチとして復帰。
2008年〜2009年は2軍投手コーチを務め、2010年からは再び1軍投手コーチを務める。
24 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

ドラフト外入団・雑草【西本聖】の”怪物・江川”との因縁

ドラフト外入団・雑草【西本聖】の”怪物・江川”との因縁

巨人という同じチームでライバル関係にあった西本聖と江川卓。高校時代、無名の投手から沢村賞投手となった西本と怪物だった江川。同じチームにエースは二人並び立たない。果たしてそうだったのだろうか?
tiro | 20,674 view
巨人の三本柱の一角・斎藤雅樹の「野球殿堂入りを祝う会」に王貞治ら球界関係者350人が出席!

巨人の三本柱の一角・斎藤雅樹の「野球殿堂入りを祝う会」に王貞治ら球界関係者350人が出席!

巨人・斎藤雅樹2軍監督の「野球殿堂入りを祝う会」が東京・文京区の東京ドームホテルで開かれた。王貞治ソフトバンク球団会長を始め、金田正一氏、堀内恒夫氏、原辰徳前巨人監督、高橋由伸監督ら球界関係者350人が出席した。
怪物【江川卓】が世の中を騒がせた事件あれこれ!!

怪物【江川卓】が世の中を騒がせた事件あれこれ!!

「空白の1日」「江川問題」は世間を騒動に巻き込み、「江川る(えがわる)」という言葉をも生んだ。並外れた投手・江川は、怪物として甲子園に登場した時から世の中を騒がし続けた。そんな江川が引き起こした事件を選んでみた。
tiro | 16,928 view
【桑田真澄】正確なコントロールと、計算された組み立てで野球人生を歩み続ける男!

【桑田真澄】正確なコントロールと、計算された組み立てで野球人生を歩み続ける男!

174cm、80kgという野球選手としてはけっして恵まれた体格とは言えない桑田真澄。そんな桑田がどのようにしてPL学園の黄金時代を築き、名門巨人軍のエース背番号「18」を21年間に渡り背負ってきたのか。彼の野球人生を振り返り、その時々のエピソードを見てゆくと「桑田真澄」という男の野球哲学が浮き彫りになってくる!
TheLineKing | 48,792 view
【平松政次】ミスターG・長嶋茂雄をメッタ斬りした男

【平松政次】ミスターG・長嶋茂雄をメッタ斬りした男

凄まじい切れ味の「カミソリシュート」を武器に、大洋ホエールズのエースとして通算201勝を挙げた平松政次。その201勝のうち51勝が巨人からの勝利であり、長嶋茂雄が最も苦手としていた投手だった。
tiro | 11,470 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト