1988ソウルオリンピックレスリング男子日本代表はまさに最強だった
2017年3月28日 更新

1988ソウルオリンピックレスリング男子日本代表はまさに最強だった

レスリングと言えば、吉田沙保里、伊調馨という霊長類最強女子がいる日本は、女子レスリングが有名ですが、1988年ソウルオリンピックでは男子レスリングがまさに最強と言える状態でした。

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1988ソウルオリンピックレスリング男子日本代表はまさに最強だった

レスリングと言えば、吉田沙保里、伊調馨という霊長類最強女子がいる日本は、女子レスリングが有名ですが、1988年ソウルオリンピックでは男子レスリングがまさに最強と言える状態でした。

男子レスリング日本勢メダルラッシュ

ソウルオリンピックでは男子レスリング勢はまさにメダルラッシュ、東京オリンピック以来の大活躍となりました。獲得したメダルは男子レスリングだけで、金2個、銀2個の計4個の大活躍。
どうしてもDNA的にもパワーに劣ってしまう日本人が勝つことは至難の業。想像を絶する努力をしていたことは容易に想像ができます。それだけにソウルでの男子レスリングの快挙は偉業と言えるでしょう。
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小林孝至 レスリングフリースタイル48kg級金メダル

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小林 孝至(こばやし たかし、1963年5月17日 - )は、日本の元レスリング選手。ソウルオリンピック・フリースタイル48kg級金メダリスト。身長150cm。

現在は埼玉県三郷市早稲田の柔道接骨院「元気堂整骨院」オーナー、財団法人日本レスリング協会広報副委員長。茨城県稲敷郡牛久町(現:牛久市)出身。

土浦日大高校時代からレスリングを始め、レスリング選手権において高校3冠を2年連続で達成するなどの成績を残した。日本大学在学中のロサンゼルスオリンピック選考会において、高校の先輩である入江隆に敗れて出場機会を逃した。同大学文理学部体育学科を卒業後、ユナイテッドスティール(後にユニマット⇒ジャパンビバレッジと商号変更)に入社。

1988年のソウルオリンピックレスリングフリースタイル48kg級の日本代表となり、オリンピック初出場で金メダルを獲得した。

これらの功績が評価され、その後勤務先では3階級特進を果たした。1991年にレスリングを引退。そののち総合格闘技PRIDEに請われ、ジャッジを務めた。

2001年11月、有限会社パシフィックボイス(現・株式会社パシフィックボイス)とメディア出演や講演活動などに関するマネージメント契約を結ぶ。

2007年6月、埼玉県三郷市早稲田2-18-6に柔道接骨院「元気堂整骨院」を開業(他所にある同名の治療院とは無関係)。ただし院長は別の人がやっている。

金メダル紛失事件も衝撃的だった

小林孝至選手と言えば、公衆電話ボックスに金メダルを置き忘れていくと言う前代未聞の事件でもお馴染み。なんでも戻ってくる日本らしく無事戻ったが、その後「元気が出るTV」などバラエティで数多くいじられた。

オリンピック100人の伝説 金メダルを2度手にした男 小林孝至

佐藤満 レスリングフリースタイル52kg級金メダル

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佐藤 満(さとう みつる、1961年12月21日 - )は、日本のアマチュアレスリング選手。秋田県八郎潟町出身。秋田商業高校、日本体育大学、日体大大学院修了。専修大学教授(学位は、日本体育大学からの体育学修士および昭和大学からの博士(医学))。

2012年11月、プロ野球球団の北海道日本ハムファイターズがドラフト1位指名した大谷翔平(花巻東高)と 入団交渉した際、提示した資料「夢への道しるべ~日本スポーツにおける若年期海外進出の考察~」に、資料作成協力者として、日本ハム球団ホームページ内の資料に名前が記載されている。

宮原厚次 レスリンググレコローマン52kg級銀メダル

宮原 厚次

宮原 厚次

宮原 厚次(みやはら あつじ、1958年12月20日 - )は、鹿児島県曽於郡大隅町(現曽於市)出身の元アマチュアレスリング選手で現在は元自衛隊所属の日本代表コーチ。2014年12月20日定年退官。最終階級は一等陸佐。1984年ロサンゼルスオリンピック男子レスリンググレコローマンスタイル52kg級金メダリスト。

太田章 レスリングフリースタイル90kg級銀メダル

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太田 章(おおた あきら、1957年4月8日 - )は、日本のレスリング選手(フリースタイル)。秋田県秋田市出身。血液型B型。

早稲田大学スポーツ科学部教授、日本レスリング協会元強化委員、埼玉県所沢市元教育委員。

柔道で全国大会に行った時に、同い年の山下泰裕を見て、これは勝てないと思い高校からレスリングに転向した。

TBS「筋肉番付」の初代力持ち(綱引き)チャンピオンである。
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