1996年1月4日、東京ドームで武藤を破ってリベンジに成功するもの、一度対抗戦の果実に手を出したUWFインターには安定顧客がつかず、結局ネタ切れとなって12月にUWFインターナショナルは解散しました。
総合格闘技興行PRIDEへ、かつての最強看板の名折れ・・・
UWFインター時代の同門の安生洋二がヒクソン・グレイシーに道場破りを仕掛けるも返り討ちにあった因縁の結果、PRIDE創生期に選手として活動、ヒクソン・グレイシーと2度対戦(PRIDE.1、PRIDE.4)するが敗退。特に初戦において、エースクラスの日本人レスラーの総合格闘技での敗北はこれが最初でありプロレスファンの深い失望を招くとともに、A級戦犯としてプロレスマスコミからバッシングを受け、さらにアントニオ猪木からは「よりによって一番弱い奴が出て行った」と酷評される。
via middle-edge.jp
「400戦無敗の男」ヒクソン・グレイシーは本当に強いのか? - Middle Edge(ミドルエッジ)
90年代後半に格闘技やプロレスファンだった者ならば、高田がやられ船木が倒されたこの男を知らないはずもありません。「400戦無敗の男」ヒクソン・グレイシー。彼は本当に400戦無敗だったのでしょうか。
総合格闘家として勝てなかった高田、しかしUインター時代の仲間たちはそれぞれの道で輝く
PRIDE最後の舞台、高田があえてUインターの名前を出し、「高山!金原!田村!安生!垣原!宮戸!中野!」と叫んだ様子を見て、彼の決して楽ではなかったプロレスラー・格闘家人生を想った人間は多かったことでしょう。
そのU戦士たちをみていきましょう。
そのU戦士たちをみていきましょう。
高山善廣
プロレス界の帝王にまで上りつめた男、高山 善廣 - Middle Edge(ミドルエッジ)
日本人離れした体格でUインター、全日本、フリー(高山堂)と時代を歩み、日本国内3大メジャー団体(新日本・全日本・ノア)のヘビー級シングル、タッグタイトルを奪取したプロレス界の帝王、高山善廣。激しく素晴らしい試合とともに彼のレスラー道を振り返ってみましょう。
金原弘光
「UWFの智将」金原弘光
Uインターの後にリングスへ、リングス最後のエースとも。
格闘家として戦い続け、2013年3月9日「U-SPIRITS」にて近藤有己とUWFルールで引退試合。
試合後に「完全燃焼しました」と語り、「毎朝、神棚に手を合わせるんですが、今朝は涙が出ました。それだけ俺は真面目にやってきたんだなって思いました。天才たちがいる中で、才能のない自分がこれだけ出来たのは真面目にやってきたからだし、いろんな人が応援してくれたからです。ありがたかった。本当に皆さん、ありがとうございました」と述べました。
その実直な人柄で、多くの人々から慕われました。
格闘家として戦い続け、2013年3月9日「U-SPIRITS」にて近藤有己とUWFルールで引退試合。
試合後に「完全燃焼しました」と語り、「毎朝、神棚に手を合わせるんですが、今朝は涙が出ました。それだけ俺は真面目にやってきたんだなって思いました。天才たちがいる中で、才能のない自分がこれだけ出来たのは真面目にやってきたからだし、いろんな人が応援してくれたからです。ありがたかった。本当に皆さん、ありがとうございました」と述べました。
その実直な人柄で、多くの人々から慕われました。
田村潔司
介錯を務めた男、田村潔司
「俺と真剣勝負してください」からの高田延彦との因縁。孤高の天才とも称された田村潔司はUインターの後にリングス、総合格闘技へと進みました。
高田引退戦後のマイクアピールでは、「高田さん、ありがとうございました。そして色々と、暖かい目で見ていただいて、色々とご迷惑をおかけして、すみませんでした。今、正直、何を言っていいか分かりませんが、今日引退される実感がないんですが、最後に22年間、夢と感動を与えていただいて、ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。」とコメント。
高田引退戦後のマイクアピールでは、「高田さん、ありがとうございました。そして色々と、暖かい目で見ていただいて、色々とご迷惑をおかけして、すみませんでした。今、正直、何を言っていいか分かりませんが、今日引退される実感がないんですが、最後に22年間、夢と感動を与えていただいて、ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。」とコメント。
安生洋二
グレイシー道場破り、「Mr.200%」安生洋二
衝撃的だったグレイシー道場での返り討ちは、高田延彦をPRIDEへと誘う出来事となりました。
一方でMr.200%や、ブレイク前の高山らとゴールデン・カップス結成など、当時より毛色の違った能力を持つ選手で、その能力は後にハッスルで生かされることに。
一方でMr.200%や、ブレイク前の高山らとゴールデン・カップス結成など、当時より毛色の違った能力を持つ選手で、その能力は後にハッスルで生かされることに。
【Mr.200%】安生洋二率いるゴールデンカップス結成のきっかけは? - Middle Edge(ミドルエッジ)
安生洋二率いるゴールデンカップスは新日本プロレスとの対抗戦で結成されました。そのリーダーであった安生は起伏に満ちた格闘家、レスラー人生を送りました。本記事でデビューから引退までを振り返ってみましょう。
垣原賢人
稲妻伝承、「カッキーカッター」垣原賢人
Uインター後は、全日⇒ノア⇒親日と渡り歩いた垣原賢人。
2014年12月、Facebookで悪性リンパ腫に侵されていることを公表し闘病生活中。
2015年8月18日には垣原を応援する有志主催により大日本プロレスが後楽園ホールの開催日程を提供し運営に協力する形で「Moving On〜カッキーエイド〜」が開催されました。
2014年12月、Facebookで悪性リンパ腫に侵されていることを公表し闘病生活中。
2015年8月18日には垣原を応援する有志主催により大日本プロレスが後楽園ホールの開催日程を提供し運営に協力する形で「Moving On〜カッキーエイド〜」が開催されました。
メジャー団体を渡り歩いてタイトルを総なめにしただけでなく、PRIDEでのドン・フライの壮絶な殴り合いは後々までの語り草となりました。