日本の高度成長を精神的な支柱として支えたのは大横綱の大鵬だった!!
2017年2月22日 更新

日本の高度成長を精神的な支柱として支えたのは大横綱の大鵬だった!!

60年代、日本の急速な経済成長下、私たち国民の精神的な支柱になっていたと言っても過言ではない、大横綱大鵬。当時のことを思い出しながら、大横綱大鵬の足跡を辿ってみよう。

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横綱【大鵬】 vs 横綱【柏戸】 (ほぼ全取組映像)

(大鵬の相撲には)型がないとは?!

相撲には人により個々にとりやすい相撲の型ができて来るそうである。例を言うと、ぶつかって素早く前褌を取り、一気に前に押し込むのも一つの型、相手の胸に素早く入り込み、両よつを掴み投げ技を繰り出すのも一つの型である。大鵬が1963年(昭和38年)5月場所に最初の6連覇を達成した頃、「型のある相撲」と評されていた柏戸が休場を繰り返していたことで、「型のない相撲」の大鵬が一人勝ちしている状況から、当時の相撲解説者であった神風正一などから「(大鵬の相撲には)型がない」と盛んに批判され始めた。しかし、二所ノ関親方は「型がないのが大鵬の型」と反論していた。大鵬自身は当時の時津風理事長が言った「『これは大鵬しかできるものがいなかった』という相撲の内容を示せばいい。後世に至ってもどの力士も真似のできないもの、それが大鵬の型である」という言葉で自分の相撲に確信を持てるようになったという。
裏を返せば、大鵬はどんな相手の型であれ、応戦することができ、相手の弱点を見つけ出すことができるオールマイティーな力士だったのではないでしょうか!!。

病との戦いの始まり!!

1964年(昭和39年)は13度目の優勝を果たし、人気も実力も絶頂の時期だった。欧州招待旅行に出かけた後の名古屋場所、2日目から3連敗という成績で、5日目から休場。体が思うように動かない。初土俵以来、初めての休場となった。最低血圧が124もあり、「本態性高血圧」と診断された。大鵬にとって、病との戦いの始まりとなる。慢心を正すため、禅寺で5日間ほど坐禅を組み、心身共に復調し始めた頃、巡業先で左膝を強くひねり、「全治1週間」の診断。翌日の新聞では、「秋場所休場は決定的、もはや再起不可能か」と報道。これを見た大鵬は、これまでにない異常なほどの闘志を燃え上がらせた。お灸をはじめ、体に良いと思われるあらゆることを実行し、秋場所出場に備えた。結果は、秋場所とそれに続く九州場所の連続優勝。完全復活を果し、再起不能説を完全に払拭した。
 その3年後、26回目の優勝を全勝優勝で飾った翌場所(九州)、ヒジを骨折してしまう。この時、大鵬はまだ27歳、再起をかけた療養生活が始まったのである。退院後、基礎体力を取り戻すため、砂浜で走るトレーニングを開始。それに付き合ってくれたのが、芳子夫人であった。夫人が先に走り、それを大鵬が追いかける。次第に距離を伸ばしていき、やがて全力疾走できるまでになった。
 こうして8ヶ月のブランクの後に迎えたのが、1968年(昭和43年)秋場所。
引退を噂する声が高まる中での出場であった。しかし、結果は予想に反し14勝1敗、27回目の優勝となった。この日ばかりは、涙が溢れ出るのを止めることができなかったと大鵬は述べている。
1971年(昭和46年)1月場所には32回目の優勝を果たし、同年3月場所でも12勝と健在ぶりを示したが、同年5月場所で栃富士勝健に敗れた際に尻から落ちたことで体力の限界を感じ、さらに5日目には新鋭だった貴ノ花利彰に同じく尻から落ちる敗戦を喫した。その後大鵬自身、翌6日目の福の花孝一戦を「これで自身最後の相撲としたい」と申し出たが、日本相撲協会から「死に体で土俵に上がる事は出来ない」と却下。結局福の花戦は不戦敗となり、貴ノ花との取組が現役最後の一番となった。

引退後

 引退後、36歳の若さで脳梗塞で倒れた大鵬は左半身不随となった。入院生活は1ヶ月半に及んだ。退院後の2年間は、持ち前の闘志で激しいリハビリ生活を続けた。施設では、誰が見ていようと気にせず、必死に四つん這いになって懸命に前に進もうとする。弟子たちは、それを隠そうとするが、「邪魔だ。自分の体のことだから、周りにどう思われようが関係ない」と言って取り合わなかった。元大横綱のプライドを捨ててリハビリに真剣に打ち込む大鵬や、それを助ける夫人の姿は、周りの人々の感涙を誘った。
 2013年1月19日、慶応病院に入院していた大鵬の容態が急変した。意識のない大鵬を抱きかかえながら、夫人は必死に叫んだ。「お父さん、何やってるの。いつまでも寝てるの?」「横綱として頑張ってきたんでしょ。まだ横綱でしょ!」。夫人がふと大鵬の顔を見ると、その目から涙が流れていたという。大鵬は、常日頃「相撲は自分との戦いだ」と言っていた。その戦いを終え、大鵬は夫人の腕の中で静かに息を引き取ったという。享年72歳だった。
晩年の大鵬

晩年の大鵬

大鵬の武勇伝!!武勇伝!!武勇でんでんででんでん!!!

若い頃は大変な酒豪で、一日の酒量が一斗(18リットル)に達し、ビールを一升瓶で20本(36リットル)飲んだこともあったという。塩辛い物も好きであり、酒のつまみに大ぶりの明太子を2腹も3腹も食べながら飲んだと伝わる。現役時代には同い年の親友(誕生日が9日違い)である王貞治と夜通し飲み明かしたこともあり、酔い潰れた王が一眠りして起きると大鵬が変わらないペースで飲んでいたという。しかしその飲酒量の多さが後に健康を害した大きな原因と言われている。

大鵬の輝かしい通算戦績

最高位 横綱(昭和36年9月)
生涯戦歴 872勝182敗136休/1045出(87場所)
 幕内戦歴 746勝144敗136休/881出(69場所)、32優勝、12準優勝、1技能賞、2敢闘賞、
       1金星 幕内在位:69場所
 横綱戦歴 622勝103敗136休/716出(58場所)、29優勝、8準優勝
 大関戦歴 58勝17敗/75出(5場所)、2優勝、2準優勝
 関脇戦歴 25勝5敗/30出(2場所)、1優勝、1準優勝、1技能賞
 小結戦歴 11勝4敗/15出(1場所)
 前頭戦歴 30勝15敗/45出(3場所)、1準優勝、2敢闘賞、1金星
 十両戦歴 44勝16敗/60出(4場所)、1優勝
 幕下戦歴 35勝13敗/48出(6場所)
 三段目戦歴 27勝5敗/32出(4場所)、1優勝
 序二段戦歴 13勝3敗/16出(2場所)
 序ノ口戦歴 7勝1敗/8出(1場所)
 前相撲戦歴 1場所
対横綱戦勝利:43勝(若乃花幹士 (初代)と並び歴代1位タイ、勝率も6割を超えている)
年間最多勝:6回(当時最多受賞回数・現在、白鵬翔の9回、北の湖敏満の7回に次いで歴代3位。1960年 - 1964年の5年連続最多勝も当時最多、現在白鵬翔の9年連続に次いで歴代2位タイ)
1960年(66勝24敗)、1961年(71勝19敗)、1962年(77勝13敗)、1963年(81勝9敗)、1964年(69勝11敗10休)、1967年(70勝6敗14休・柏戸と同数)
連続6場所勝利:84勝(1966年3月場所-1967年1月場所、1966年5月場所-1967年3月場所、1966年7月場所-1967年5月場所)
通算(幕内)連続勝ち越し記録:25場所(玉錦三右エ門に次いで当時歴代2位、現在歴代10位タイ・1960年5月場所-1964年5月場所)
幕内連続2桁勝利記録:25場所(当時歴代1位、現在白鵬51場所・北の湖37場所に次いで歴代3位・1960年5月場所-1964年5月場所)
幕内連続12勝以上勝利:11場所(当時歴代1位、現在歴代5位・1962年7月場所-1964年3月場所)
幕内最高優勝32回は2016年(平成28年)現在、白鵬に次ぐ2位の記録だが、引退当時は最多優勝記録であった。様々な金字塔を打ち立てたが、特に入幕(1960年)から引退(1971年)までの12年間、毎年必ず最低1回は優勝した記録は「一番破られにくい記録」と言われる。

流行語「巨人・大鵬・卵焼き」は大鵬本人はきらいだった!!

当時の子供たちの好きな物を並べた「巨人・大鵬・卵焼き」という流行語は、当時の大鵬の人気と知名度を象徴する有名な言葉であるが、大鵬本人は「巨人と一緒にされては困る」と語ったこともある。その理由は、大鵬自身がアンチ巨人(巨人が嫌い)だったことと、団体競技の野球と個人競技の相撲を一緒にされたくない気持ちがあったこと、そして何よりも、「大鵬の相撲には型がない」と批判されていた時期に「大人のファンは柏戸と大洋ホエールズ」などと評論家から揶揄されたことがあったためであるという。ただし、後年に出版した自伝には『巨人 大鵬 卵焼き ― 私の履歴書』という題名を付けた。また、巨人の選手の中でも、自身と同じ1940年(昭和15年)5月生まれであり、なにより自分と同じ努力家として知られた王貞治とは大変親しく、若い頃にはよく一緒に酒を飲んでいたという。この「巨人・大鵬・卵焼き」という言葉は、1960年代前半の高度経済成長期に、通産官僚であった堺屋太一が、当時若手官僚の間で時代の象徴として冗談で言い合っていたこのフレーズを、記者会見の中で「日本の高度成長が国民に支持されるのは、子供が巨人、大鵬、卵焼きを好きなのと一緒だ」と答えて紹介したことがきっかけで広まったとされている。
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