前田日明 アキラ現れるところ乱あり
2016年11月25日 更新

前田日明 アキラ現れるところ乱あり

前田日明をみていると その強さだけではなく なにか訴えかけてくるもの、メッセージ性を感じてしまう 前田日明には スタイルがあり 意志があり そして恐らく今も夢があり それを追い続けていることだろう

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それをみて自分は父を選んだんです

それをみて自分は父を選んだんです

前田が中学2年のとき、
両親が離婚することになり
(父45歳の熟年離婚)
前田は父と母のどっちについていく?という話になった

「父がね
「お前は男の子だから母親を守れ、俺は外国で1人で生きていくから」っていいながら涙を流すんですよね
それをみて自分は父を選んだんです」

高校時代

北陽高校

北陽高校

離婚後は父と2人暮らしをしていたが
ある日、父は

「2~3か月出張にいってくる」

といい韓国に行き
結婚し
以後
生活費を稼ぐために日本に戻ってきては
前田に1、2万円置いて、
また2か月、3か月、韓国へいくという生活を送った
前田は
高1の終わりから工事現場で働き始めた
やがて父は
韓国で離婚し
日本へ帰ってきたが
すぐに日本で女ができた
父はいった

「昔は15歳で元服だ
16過ぎてるんだから1人で暮らせ」
「頭に来てね
親父をちょっとやっちゃおうと思って
ある夜、包丁を持って玄関で父をジッと待ってたときがあるんです
たまたま帰ってくるって手紙書いてたその日に帰ってこなくて
一晩中待ってて
だんだん(空が)白み始めてくるから
アホらしくなって
なんと自分はバカバカしいことをやっているんだと
父親に振り回されて
自分の人生やないやないかと
自分で生きていこうと決めたんです」
そして
前田は普段は高校と仕事に行き
ホームレスの炊き出しに並んだり
「マグロ漁船に乗ったら1,000万円稼げる」という話を聞くと
「それだ!!」と思ったりしていた
空手とバイクに熱中

空手とバイクに熱中

また
高校時代の前田は
空手とバイクに熱中した
「空手の道場の先生は
わりと寛容に喧嘩も黙認する人で
「やるのはいいんだけど負けちゃいけないよ」と
初段をとったとき
路上教習があって
いちばん最初はホテル街に行って女をホテルに連れ込む男を見つけてシバいた
それ卒業したら
酔っ払い同士の喧嘩に入って止めるフリして両方をシバくんです
それをクリアしたら強そうなヤツ
最後は戦闘服を着てるやつに「行って来い、バッチとってこい」と
その時のバッチ1個だけ持ってますよ」
「俺らの時代にもチェーンを持っている奴とかがいた
でもチェーンなんて腕に巻きつけたら終わりじゃん
だから後はボコボコ
暴走族でバットや木刀を振り回す奴もいたけど
腕を取っちゃえばそれでおしまい
それこそ剣道の有段者とかなら別だけど
だいたい「おりゃー」って叫んでバットを振り回しているだけ
だから振り回している間はバットが当たらない場所で様子を見て
相手が疲れ出したら向かって行く
ナイフを持っていたら
自分の着ている服を脱いで腕に巻きつけるとか
そういう対処はうまかった」
「ワンパン(ワンパンチ)ですよ
ボクシングの試合みたいにずっと殴り合うなんてケンカではあり得ない
まあケンカには前口上もあるから
ケンカは口8割、実技1割、あと運1割」
「輪島さんお疲れ様です、僕ファンです」

「輪島さんお疲れ様です、僕ファンです」

「全ては空手が強くなるためだった
1回、高校の時、相撲取りを襲撃しようとしたんだ
大阪場所の時、部屋の外の公園で待ち伏せして
そしたら100kgくらいのザンバラ頭の序二段くらいの奴が出てきた
後ろから髪の毛を引っ張ってシバいてパンチが効かないようだったら逃げようと思っていた
それで髪の毛を掴もうとしたら後ろから大きな影が近づいてきたんだ
気配を感じて振り向いたら当時の大横綱、輪島
もうそれで作戦中止
「輪島さんお疲れ様です、僕ファンです」って
そしたら輪島さんが「君、体が大きいね、相撲をやらないか?」っていわれ、
「いえいえとんでもない、失礼しました」って立ち去った」
アメリカで空手の道場を開きたい

アメリカで空手の道場を開きたい

前田は
極真空手の大山倍達の弟子達のように
アメリカで空手の道場を開きたいという夢を持っていた
大学受験に失敗した後は
アメリカに行く金を貯めるためアルバイトに明け暮れた
佐山聡との出会い

佐山聡との出会い

あるとき
前田日明が先輩と公園で練習していると
佐山聡(初代タイガーマスク)がきて聞いてきた

「それはキックですか、空手ですか?」

そしてその後、1週間、
前田と佐山は道場で一緒に練習した
「佐山さんは
身長は小さかったですけど
サイコロみたいに横幅がありましたし
もう組んだらポーンって投げられてどうしようもなかったですね
「力は凄いなぁ」と思ってね」
当時、佐山聡は
アントニオ猪木の付き人やっていて
大阪で出会った前田日明のことを話した
猪木はそのことを新日プロレスの営業部長だった新間寿に話した
そして新間は前田日明を新日本プロレスに勧誘した
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