前田日明 アキラ現れるところ乱あり
2016年11月25日 更新

前田日明 アキラ現れるところ乱あり

前田日明をみていると その強さだけではなく なにか訴えかけてくるもの、メッセージ性を感じてしまう 前田日明には スタイルがあり 意志があり そして恐らく今も夢があり それを追い続けていることだろう

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プロレスラーにならないか?

プロレスラーにならないか?

「プロレスラーにならないか?」

「とんでもない!
ちょっと自分は無理です」

「君はモハメッド・アリが好きか?
ヘビー級ボクサーになる気はないか?」

「ヘビー級ボクサーだったら考えてもいいです」

「じゃあモハメッド・アリの弟子にしてやろう
モハメド・アリのジムと提携してるので
(実際は提携の事実はなかった)
一緒のジムに入ってボクシングのヘビー級チャンピオンも目指せる
ただ君はまだ体ができてないんで
ウチで1~2年間体を大きくしてアリの弟子になったらいい」

「新日本プロレスに1~2年食べさせてもらってトレーニングさせてもらって、
どうやってお返しすればいいんですか?」

「ちょっとだけ試合してくれればいいから」
前田は
金を貯めなくてもアメリカに行けると思い
新日本プロレスの門を叩くことになった

新日本プロレス入門

新日本プロレス道場 - YouTube

1970年代くらいの時の道場での練習風景です、カッコイイです!
左:前田日明、右:坂口征二

左:前田日明、右:坂口征二

「入門したころの体重は73kgでガリガリでした
練習がキツいのは覚悟の上だからあきらめていたけれど体重を増やすのに苦労したね
山盛りのドンブリ飯を5杯から10杯きっかり食わされるから
それを山本小鉄さんがビール飲みながらみて「今何杯だ?」とかいってくるんだよ
もうひと口も入らないところを「食え食え」ってね
戻しても怒られるし、あれはたまらなかった」
まさに"親"のような存在でした

まさに"親"のような存在でした

「とくに可愛がってもらったのは山本小鉄さんですかね
小鉄さんには本当にいろんなことを教えていただきました
自分は中2のときに両親が離婚したりして、
親や大人を信用出来なくなり、
どこか性格がねじ曲がった子供でした
小鉄さんはそんな自分を厳しくも温かく育ててくださって
まさに"親"のような存在でした
新日本プロレスに入門して一から躾だとか教育を受けていたんですが
たぶん小鉄さんは自分に会った初めのころ、
自分のやっていることをみては何千回もため息をついたと思いますね
生みの親さえ信用できないのになんで他人を信頼できるんだという気分でしたからね
いわゆる反抗期で他人に対して不信感ばかり抱いていた時期だったんです」
「いいから持って行け!」

「いいから持って行け!」

「こんなことがありました
入門してまだ2ヵ月ぐらいしか経っていないころでしたか
大阪にいたうちのオヤジが十二指腸潰瘍から腹膜炎を起こして病院に担ぎ込まれたんです
それで小鉄さんに「オヤジが危篤らしいんですけど・・・」といったら、
「いますぐ会いに行け!」といわれまして
自分が小鉄さんにお尻を向けた瞬間、ポケットにこんな分厚い札束を入れられました
「いいから持って行け!」って
それで手術代とか入院代とかぜんぶ払ったんですよ
自分の交通費だけではなく病院の費用まですべて支払えるくらいの額のお金をいただいて
ビックリしました
それまではただ怖いだけの人かなって思っていましたけど
こんなに自分のことを思ってくれていたんだと知って驚きましたし
ものすごく感謝しましたね」
「お前、なんてことをいうんだ!」

「お前、なんてことをいうんだ!」

「でも行儀悪いことをいったりやったりすると
すぐにバチーンと殴られて、
「お前、なんてことをいうんだ!」とか
「なんてことをするんだ!」って怒られました
それでも懲りずにまたやると
今度はバーンと椅子が飛んできました
その後、小鉄さんの付き人になったんですが、
とにかく自分をひとりの人間として一から矯正してくれたのが小鉄さんでした」
見かねた小鉄さんが 「じゃあ、おれがやるよ」といってく...

見かねた小鉄さんが 「じゃあ、おれがやるよ」といってくれたんです

そして
入門して1年
前田のデビュー戦の相手も山本小鉄だった
「自分はなにをするかわからない危険な新人でしたから
誰も選手が立候補してくれなかったんです
見かねた小鉄さんが
「じゃあ、おれがやるよ」といってくれたんです
そして小鉄さんはその試合のために毎日2、3時間スクワットをやっていました」
「強くなりたいねん」

「強くなりたいねん」

元来、前田は
空手家として外国に行き
世界と戦いたいという気持ちだけだった
プロレスラーになりたいわけではなかった
もっというと

「強くなりたいねん」

それだけだった
だからプロレスの練習でも問題を起こした
純粋であり過ぎるが故に・・・
 (1533143)

入門してはじめて猪木とスパーリングしたとき
前田が

「何をやってもいいんですか?」

って聞くと猪木さんは

「いいよ」

と答えてくれた
そして前田は金的を蹴って目突きをやった
猪木は倒れ
他のレスラーが飛んできて前田はボコボコにされた
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