みなさん、こんにちは。筆者のはんまのままです。
記憶をくすぐる大人のメディア「Middle Edge」でご紹介するのは、東北訛りがトップスターになっても抜けきることがなく素朴さが残りながらも演歌歌手でありながらアイドル並の人気を博した新沼謙治さんです。
今回はそんな新沼謙治のデビュー当時から現在の活躍までをご紹介したいと思います。
記憶をくすぐる大人のメディア「Middle Edge」でご紹介するのは、東北訛りがトップスターになっても抜けきることがなく素朴さが残りながらも演歌歌手でありながらアイドル並の人気を博した新沼謙治さんです。
今回はそんな新沼謙治のデビュー当時から現在の活躍までをご紹介したいと思います。
「スタ誕」から始まった歌手、新沼謙治
via columbia.jp
1956年に岩手県大船渡市に生まれた新沼謙治。彼もあのマンモスオーディション番組の出身者だということは知っている人も多いと思いますが、けして一度の挑戦で歌手デビューとなったわけではありませんでした。
via tower.jp
この番組からたくさんの歌手や俳優たちが排出されました。
有名なところでは花の中三トリオと呼ばれた、森昌子、桜田淳子、山口百恵や老若男女問わず知らない人はいないというほど話題になり全米デビューも果たしたピンクレディー、アイドル全盛期とも言われた80年代を代表する中森明菜や小泉今日子など名実ともに華々しく活躍した人ばかりです。
有名なところでは花の中三トリオと呼ばれた、森昌子、桜田淳子、山口百恵や老若男女問わず知らない人はいないというほど話題になり全米デビューも果たしたピンクレディー、アイドル全盛期とも言われた80年代を代表する中森明菜や小泉今日子など名実ともに華々しく活躍した人ばかりです。
スター誕生予選会
1:49頃に新沼謙治が出てきます。
via www.youtube.com
番組がスタートしたころは人気コメディアンの萩本欽一が司会で公開オーディションということもあり視聴率は良かったと言われています。
また、昨日まで近所に住んでいた人が歌手としてデビューするという憧れの歌手になれる機会が身近になったと思わせてくれる番組として人気も高く、1度落選しても再挑戦できるので合格者の中には何度目かで歌手デビューへとつながった人も多く存在しているという特徴があります。
また、昨日まで近所に住んでいた人が歌手としてデビューするという憧れの歌手になれる機会が身近になったと思わせてくれる番組として人気も高く、1度落選しても再挑戦できるので合格者の中には何度目かで歌手デビューへとつながった人も多く存在しているという特徴があります。
via tower.jp
今回の主人公、新沼謙治も例外ではなく4度も予選会で落ちるという経験をしています。5回目で本選へと勝ち進み歌手としてデビューすることができています。
最終回の風景 その2 [1983年]
via www.youtube.com
人気のアイドル?
演歌歌手としてデビューすることになった新沼謙治ですが、その人気ぶりはトップアイドルも顔負けの人気でアイドル雑誌として有名だった明星や平凡の表紙を飾ったこともあります。
当時の映像や画像を見ても鼻筋がスッと通っていて当時の女性たちに人気が出たのもわかるような気もします。
当時は表紙を飾れるような人気があるようであれば演歌歌手であってもアイドル並みに注目されました。他にも新御三家として活躍していた野口五郎や兄弟デュオで人気があった狩人なども飾っています。
当時の記憶として演歌歌手としてよりもアイドル(?)としての活動の方が強く印象に残っている人も多いのではないでしょうか。
デビュー:1976年