四国・九州アイランドリーグ 高知ファイティングドッグスに入団
【伊良部投手コメント】
今回高知ファイティングドッグスに入団し、四国・九州アイランドリーグでプレーすることになりましたが、NPBからリリースされた選手の受け皿となるようなこういう独立リーグが増えると言うことはとてもいいことだと思います。ここで実戦で投げることによってピッチングスキルのレベルアップをし、再び日本のトップリーグを目指したいと思います。今日契約を交わして自分自身とてもエキサイトしています。大勢の方に見ていただきたいので、皆さんぜひ球場に足を運んでください。
再び、NPBを目指すとの発言をしている。
自殺
2011年7月27日、ロサンゼルス近郊の自宅で、伊良部が首を吊った状態で死亡しているのが発見された[17]。42歳没。伊良部は7月24日を最後に人前から姿を消しており、地元の警察の捜査では自殺とされている[17]。自殺の理由としては、事業に失敗したこと、死の1ヵ月ほど前から妻子と別居状態が続いていたこと(既に離婚していたとする説もある[18])などで、精神的に追い詰められていた事情が指摘されている[19]。また、伊良部は日本で指導者となることを希望していたが受け入れる球団はなく、解説者や評論家の道も閉ざされており、野球人としての将来に不安を抱いていたとする指摘もある[20]。
via www.asahi.com
イラブは悪童?! いや、永遠の野球小僧だった!!
伊良部秀輝はグラウンド内外でトラブルは絶えず、どうしても悪童とのイメージが先行してしまっていた。しかし、野球への情熱は、40歳になって現役復帰をしたことにも表れていた。練習方法や投球フォームへのこだわりが強く、研究熱心で理論派でもあった。
中学生のときかな。テレビで、サチェル・ペイジ(※5) というピッチャーが亡くなったときの特番を見て度肝を抜かれました。長身のピッチャーで、鞭のようにしなる体。ものすごい細いんだけれど、全身を使って投げる。これはただ者ではないと。あんなふうに投げたいと思って、さんざん真似しました。ロッテに入ってからも最初の6年間ぐらいは、彼のように投げたいと思っていましたね。彼以外でも、ぼくと同じぐらいの上背のピッチャー(身長190cm)がどのように体を使うのかを研究しようとすると、日本にいないので、どうしてもメジャーのピッチャーになってしまうんです。グッデンとかクレメンス(※6)とか。
――当時はメジャーリーグの映像はなかなか見られませんでした。どうやって研究したんですか?
伊良部 雑誌の分解写真を見て、どうやって投げているんだろうって、絶えずそんなことを考えていました。
――その当時から、ヤンキースに行きたいと思っていた?
伊良部 そうですね。90年代半ばから、常にワールドチャンピオンを狙える、非常に強いチームでしたから。野球のユニフォームを着た人間ならば、ワールドチャンピオンのチームでやりたいと思うでしょ? それでぼくがヤンキースに入ったとき、グッデンとクレメンスの2人がいたんです。まさか、こんなところに自分が本当に来れるなんて……。
95年のロッテ時代に監督だったボビー・バレンタイン氏はAP通信に対し、「ワールドクラスの投手だった。ノーラン・ライアンが彼を見た時、こんな逸材は見たことがないと話していた。まさに剛腕だった」と伊良部さんの死を悼んだ。