「UWF(ユー・ダブリュー・エフ)」
UWF(ユー・ダブリュー・エフ)は、日本のプロレス団体。
正式名称はユニバーサル・レスリング・フェデレーション、ユニバーサル・レスリング連盟。
設立時期により第1次と第2次に分かれる。
設立当初は古代ギリシャのパンクラチオンの復興を目指していたが離合集散を繰り返して第2次UWF崩壊後は分派した団体間、個人間で誹謗、中傷が頻発。
これらUWFの思想から派生したプロレス団体と格闘技団体を総称してUWF系と呼ぶ。
略称はU系。
第1次UWFはファン及び専門誌では旧UWFとも呼ばれる。
1984年に新日本プロレスの専務取締役兼営業本部長だった新間寿を中心に所属選手の前田日明、剛竜馬、グラン浜田、フリーのラッシャー木村らによって立ち上げられた。
第2次UWFはファン及び専門誌では新生UWFとも呼ばれる。1988年、前田が設立。
「骨法(こっぽう)」
骨法(こっぽう)とは、当身技を主体とする徒手武術のこととされる。
ただし、隠し武器術である「骨法」(「強法」とも呼ばれる)や柔術の一部ではない、「骨法」という名称の独立した徒手格闘術が、日本武術の中に存在していたと主張するのは堀辺正史の系統のみである。
堀辺によると、骨法は柔術等の日本の伝統徒手武術と全く異なる武術としている。
堀辺は、骨法は奈良時代の武人、大伴古麻呂より伝わる日本独自の拳法としている。
野見宿禰と当麻蹴速の対決が、現在の相撲と違い、激しい蹴り合いであったことを、古代より日本に拳法が存在した証拠とし、ここから相撲の起源であるとしている。
奈良時代の神亀3年に志賀清林によって「突く・殴る・蹴る」の三手が禁じ手にされたといわれ、一般的には古代の相撲の異称とされる「手乞」は禁じ手制定以前の、この武術の呼称であるとしている。
純粋な武術を「手乞」・武術を応用した医療行為が「骨法」とする主張もある。
中川カ〜ル「いざ表に出たら骨法のベールが剥がれたというけど、表に出たものがぜんぜん違うものですから」
――中川さんはブレイクする前の初期骨法に在籍されていたいたそうですね。
中川 ブレイクしかけた頃の骨法になりますね。
入会したきっかけは、『週刊少年サンデー』で竜崎遼児先生が『闘翔ボーイ』というプロレス漫画を連載してまして。俺は竜崎先生のアシスタントをやってたんですね。
――あ! 『闘翔ボーイ』といえば……。
中川 そうなんですよ(笑)。その漫画の中に骨法が出てくるんですけど、そこで取り上げたことで骨法がブレイクしたところもあるんですよね。
これ、『闘翔ボーイ』の単行本なんですけど、表紙に写ってるのは廣戸(聡一)さんですね。
「極真空手(きょくしんからて)」
極真会館(きょくしんかいかん)は、空手団体の一つ。
正式名称は国際空手道連盟 極真会館(こくさいからてどうれんめい きょくしんかいかん、英語: International Karate Organization Kyokushinkaikan,IKO)。
創始者は大山倍達。
前身は大山道場。極真の由来は「千日を以って初心とし、万日を以って極とす」という言葉の“心”を“真”に変え、名称とした。
最盛期は1990年代の大山存命中で各都道府県へ支部が設置され、世界123ヵ国に公認支部道場が1,000以上、会員1,200万人の規模だった。
しかし1994年に大山が亡くなると弟子たちが各々極真会館を名乗り、団体毎に門下生や大会や付随する各種大会が行われている。
「シュートボクシング」
シュートボクシング (Shoot Boxing、略称SB) は、キックボクシングの技に加え、投げ技および立った状態での関節技(極め技や絞め技)が認められている立ち技の新興格闘技。
ポイントの加減の基準がハッキリしているためキックボクシングよりスポーツライクである。類似の格闘技としてロシアのドラッカや中国の散打がある。
元日本キックボクシング協会のミドル級・ウェルター級の王者であったシーザー武志(キックボクシング当時西尾ジム所属)によって1985年に創立される。
1980年代中期に当時一大ムーブメントを起こした前田日明、佐山聡、高田延彦、藤原喜明らの第1次UWFおよび、佐山聡を通じて知り合った「プロレスの神様」ことカール・ゴッチから啓発を受けて、スタンド状態における「打つ・蹴る・投げる・極める」を認めたルール、そしてロングスパッツとレガースの着用を考案した。
「ムエタイ」
ムエタイ(タイ語: มวยไทย、英語: Muay Thai, Thai boxing)は、格闘技の一種で、発祥地・タイでは国技に指定されている。
ムエタイの選手はナックモエという。
両手、両肘、両脚、両膝の八箇所を用いて相手と戦う。
タイの地方では一般的なスポーツで、日本人の子供が剣道・柔道・空手に通うのと同じ感覚で地元の講師の元に通う。
また祭りなどの際に、人集めの催し物として行われることが多い。
竜崎遼児先生のTwitterで闘翔ボーイの呟き抜粋~
骨法が登場しなかったらどんな作品になっていただろう。
— 竜崎遼児 (@ryoji_2894) March 2, 2016
とても考えられない。
取材しやすいようにとアシ君は道場生にしちゃうし。
アシ君、古株といえるくらいまで稽古していた。
本当にお世話になりました。
合掌。 pic.twitter.com/cKrTr7JBC5
@pokeman_manga
— 竜崎遼児 (@ryoji_2894) May 30, 2016
後編です。
プロレスファンの皆さま、ごめんなさい、です。
作画当時ボクシングファンでしたから。
今描いたとしたら?
やっばりボクシング勝たせるかな(笑) pic.twitter.com/JjOBd3AgCp
これは嬉しいですね~
おそらく『闘翔ボーイ』の取材以来のシュートボクシング。しかも、Girls S-Cup
— 竜崎遼児 (@ryoji_2894) August 2, 2014
当時は女子選手の試合がある、ということだけで驚きだったが、現在はとんでもなく技術も迫力も進化している。
困った。
見たいものばっか増えるよ。 pic.twitter.com/8uTxnne5F2
ここに闘翔ボーイが紹介されていて、中川カ~ルさんは竜崎先生のアシスタントをされていた方です♪