柴田政人を背に栄光のゴールを駆け抜けた黒鹿毛の相棒ウイニングチケット
2016年11月25日 更新

柴田政人を背に栄光のゴールを駆け抜けた黒鹿毛の相棒ウイニングチケット

凱旋門賞馬トニービンの初年度産駒としてこの世に生を受けたウイニングチケット。 「柴田政人にダービーを勝たせるために生まれてきた馬」として、今なおファンの間で語り継がれる。 そんな記憶に残る名馬の蹄跡を辿っていこう。

1,389 view

それは伊藤雄二調教師の直感から始まった

藤原牧場で、産まれてまだ3日しかたってないウイニングチケットを見て
「走る!」と直感した伊藤師。
それまでにマックスビューティー・シャダイカグラ・ダイイチルビーなどの
名馬を手掛けていた名伯楽の第六感が、のちに伝説をつくることとなる。
関西の名伯楽と呼ばれた

関西の名伯楽と呼ばれた

破竹の4連勝!!

デビュー戦では5着に敗れたものの、2戦目の新馬戦から葉牡丹賞→ホープフル
ステークス→弥生賞と4連勝を飾った。
弥生賞では、縦長の展開のなか最後方を追走しファンをハラハラさせたが、最後は
流す余裕をみせて2馬身差の勝利。
皐月賞の有力候補へ名乗りをあげた。

弥生賞 1993 ウイニングチケット 1993年 3月 7日(日) 2回中山4日 天候: 曇 馬場状態: 良 11R 第30回報知杯弥生賞 3歳・オープン・G2(馬齢) (混)(指定) 芝 2000m 11頭立 1 ウイニングチケット 2 ナリタタイシン 3 ステージチャンプ 4 ツジユートピアン 5 サンエイキ...

1番人気で皐月賞に挑むも・・・

1番人気で迎えた皐月賞。
4コーナーで先団に取りつき直線を迎えるものの、伸びず5着入線。
他馬の降着により繰り上がり4着となった。
しかし最大目標は日本ダービー。
敗れはしたが、陣営に悲観の色はなかった。

1993年 4月18日(日) 3回中山8日 天候: 晴 馬場状態: 良 10R 第53回 皐月賞 ナリタタイシン 3歳・オープン・G1(定量) (牡・牝) 芝 2000m 18頭立 1 ナリタタイシン 2 ビワハヤヒデ 8 ガレオン 3 シクレノンシェリフ 4 ウイニングチケット 5 アンバーライオン 6 ラガー...

主戦・柴田政人騎手

ウイニングチケットの手綱を任されていたのは、関東のベテラン・柴田政人騎手。
柴田のダービーへの思いは、並々ならぬものがあった。
「ダービーを勝ったら騎手をやめてもいい」という台詞はあまりにも有名。
柴田は馬事公苑の研修生時代、同期生と共にシンザンが優勝したダービーを現地観戦して以来、その華やかさに強く惹かれ、ダービーに騎乗することを目標のひとつとした[24]。その後、デビュー3年目の1969年にダンデイボーイでダービーに初騎乗(23着)。しかし以後はアローエクスプレスの乗り替わり、皐月賞を制したミホシンザンの骨折休養などがあり、ほとんどの機会で有力馬に騎乗することができず、1993年まで18回の騎乗で 1988年コクサイトリプル、1991年イイデセゾンの3着が最高という成績であった。同年の頃より柴田は「ダービーを勝ちたい」と公言するようになり[13]、柴田のダービー優勝はファンの関心事ともなっていった。

東京競馬場に政人コールが響き渡った日

そして迎えた1993年5月30日、第60回日本ダービー。
ウイニングチケット・ビワハヤヒデ・ナリタタイシンと人気を分け合うが、
最終的に1番人気に押されたのはウイニングチケットだった。

レースでは中団のインを追走するも、直線半ばで先頭を捕まえにかかる。
一度はビワハヤヒデに内から差されかけるも、柴田の渾身のムチに応え
もうひと伸びしたところがゴールだった。
19回目の挑戦にして悲願の日本ダービー制覇を果たした騎手の柴田政人はその後の勝利騎手インタビューで「世界のホースマンに60回のダービーを勝った柴田ですと伝えたい。」と語っている。

1993年 5月30日(日) 3回東京4日 天候: 曇 馬場状態: 良 9R 第60回 東京優駿 日本ダービー ウイニングチケット 3歳・オープン・G1(定量) (牡・牝) 芝 2400m 18頭立 1 ウイニングチケット 2 ビワハヤヒデ 3 ナリタタイシン 4 ガレオン 5 マイシンザン 6 テイエムハリケー...
 (1644985)

その後のウイニングチケット

秋になりクラシック最後のレース・菊花賞に向け動き出したウイニングチケット。
前哨戦の京都新聞杯を勝つも、本番ではビワハヤヒデの3着に敗れた。
その後も勝ちを重ねることはできず、1994年10月31日屈腱炎により引退することを
発表した。

31 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

「柴田政人の悲願! ウイニングチケットが叶えた日本ダービー制覇の夢」

「柴田政人の悲願! ウイニングチケットが叶えた日本ダービー制覇の夢」

第60回東京優駿(日本ダービー)優勝馬「ウイニングチケット」。そのドラマティックな競走馬としての生き様に魅了されたファンは多い。記録よりも記憶に残る名馬「ウイニングチケット」を振り返ってみましょう。
taketake | 4,685 view
【GII3勝】最強の兄弟馬にも先着した実力馬マチカネタンホイザ

【GII3勝】最強の兄弟馬にも先着した実力馬マチカネタンホイザ

重賞4勝、うちGII3勝。GIでは一度も連に絡めなかったものの、7度の掲示板を記録。善戦ホースのイメージが強いマチカネタンホイザですが、実は、あのビワハヤヒデ、ナリタブライアン兄弟の両方に先着した、唯一の馬でもあります。そんな実力馬の足跡をたどります。
izaiza347 | 305 view
1992年、無敗で皐月賞とダービーを制したミホノブルボンが死去

1992年、無敗で皐月賞とダービーを制したミホノブルボンが死去

1992年の皐月賞・日本ダービーを制したミホノブルボンが、老衰のため死亡していたことが分かった。28歳だった。”坂路の申し子”と言われ、人気だったミホノブルボンの訃報をお伝えする。
「新 芦毛伝説 ビワハヤヒデ」

「新 芦毛伝説 ビワハヤヒデ」

芦毛の名馬ビワハヤヒデ。半弟にナリタブライアンがおり、常に比較され続けたビワハヤヒデは、15戦連続連対というあのシンザンに次ぐ大記録も持っています。そんなビワハヤヒデの軌跡を振り返ってみましょう。
taketake | 2,982 view
自身の試練と闘いながら、父の無念を背に乗せて挑み続けたサラブレッド「カツラノハイセイコ」

自身の試練と闘いながら、父の無念を背に乗せて挑み続けたサラブレッド「カツラノハイセイコ」

アイドルホース「ハイセイコー」の初仔として誕生しながらも、苦しい新馬の時代を経験し、長い闘病生活を乗り越え、復活を果たしたサラブレッド「カツラノハイセコ」を振り返る
ナベゲン | 3,838 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト