1989年バブル絶頂~2004年球界再編問題「たかが選手が」球団vs選手会  ライブドアvs楽天  旧vs新  置き去りになった近鉄ファン
2020年6月14日 更新

1989年バブル絶頂~2004年球界再編問題「たかが選手が」球団vs選手会 ライブドアvs楽天 旧vs新 置き去りになった近鉄ファン

近鉄とオリックスの合併、球界再編問題、ストライキ、IT企業のプロ野球参入合戦、近鉄バッファローズ消滅、オリックスバッファローズ、楽天イーグルス誕生 夢と感動がいっぱいのプロ野球の裏側では、それを支えるドロドロの利権と古い体質を持つ巨大な権力があった。

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9月22日、楽天の三木谷浩史社長は、阪神とオリックス・近鉄の合併により誕生する新球団と競合することからヤフーBBスタジアムを本拠地とすることを断念し、ライブドアが本拠地として申請している宮城球場を本拠地として「楽天野球団」として加盟申請を行うことを表明。
同日、3度目の交渉で選手会と球団側の合意に達した。
・日本プロ野球機構は、2005年シーズンにセ・パ12チームに戻すことを視野に入れて新規参加チームの参加審査を行う
・新規参加チームの参加について審査小委員会を設け1ヶ月程度をメドに答申に諮る
・小委員会の審査過程を明らかにする
・加盟料(新規60億円、譲渡30億円)を廃止し代って「預かり保証金制度」
(総額30億円。
1億円は加盟手数料。
4億円は野球振興基金への寄付。
25億円は10年間、球団を保有した場合、返還される)
を取り入れる。
・2005年度に新規参加が認められた場合、日本プロ野球機構は、それが円滑に実施できるよう協力する
・新規参加チームのドラフトへの参加を認める
・日本プロ野球機構と選手会との間で「プロ野球構造改革協議会」を新設する。
こうして一連の球界再編問題に一応の終結宣言が出された。
12球団2リーグ制が存続に多くのファンは喜んだが、合併は中止されず近鉄とオリックスのファンには失望感があった。

オリックスバファローズ

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9月24日、合併後の球団名は「オリックス・バファローズ」、メイン本拠地を大阪ドーム(現:京セラドーム大阪)、神戸総合運動公園野球場(当時は「Yahoo!BBスタジアム」、2005年より「スカイマークスタジアム」、現在は「ほっともっとフィールド神戸」)を準本拠地として使用し、全ホームゲームをほぼ半数ずつ割り当てることが発表された。
10月12日、新監督には仰木彬が就任。
3年ぶり、69歳での復帰だった。

東北楽天ゴールデンイーグルス

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10月6日、楽天、ライブドアに対する第1回公開審査会が開かれた。
両社に本拠地となる宮城球場の改修、監督・フロント体制、経営面の資金調達などについて質疑応答が交わされた。
宮城球場は老朽化していたためプロ野球チームの本拠地として使用するためには大規模な改修が必要だった。
楽天は
「段階的に増改築を施し、2005年開幕時には23,000人収容で暫定オープンし、将来的には3万人規模に拡大させる」、
ライブドアは
「2005年のシーズン途中を目途に改修工事を完了させ3万人収容でオープンさせる」
と提案した。
改修工事費用について、楽天は32億円程度、ライブドアは20~30億円程度を要するとした。
10月13日、楽天は新規参入が認められた場合、田尾安志を監督とすると発表。
10月14日、楽天、ライブドアに対する第2回公開審査会が開かれた。
その中でアダルトサイトの扱いに関して質問があった。
楽天は
「本人確認はクレジットカードなど年齢確認が明確なものを使って厳正にやっており、青少年には利用できないようにしている」
ライブドアは
「サイトは道路や広場を提供しているので何をしているかは監視できない」
と説明した。
10月22日、楽天はチーム名を「東北楽天ゴールデンイーグルス」に決定。
「イヌワシ(ゴールデンイーグル)は東北6県に生息し、優雅に飛んで、狙った獲物を外さない。
いい名前だと思う。
長いので『楽天イーグルス』と呼んでもらいたい」
(三木谷浩史)
10月26日、ライブドアはインターネットで行ったアンケート結果、チーム名を「仙台ライブドアフェニックス」にすると発表。
11月2日、実行委員会は、「東北楽天ゴールデンイーグルス」と「仙台ライブドアフェニックス」から出されたプロ野球新規加盟申請の最終審査を行い、企業の経営体質や将来へ向けた経営の安定性に勝る楽天の新規参入を認めたと発表した。
ライブドアは、楽天よりも1ヶ月近く早く東北地方で球団を設立することを表明し、黒字経営に自信を示し、地元の8割も楽天よりライブドアを支持していたが負けてしまった。
こうして新しいプロ野球チームが宮城県仙台市に誕生した。
東北楽天ゴールデンイーグルス、通称:楽天イーグルス、あるいは東北楽天。
本拠地は宮城県仙台市にある楽天生命パーク宮城(楽天生命パーク)である。
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11月8日、オリックスバファローズと楽天で選手分配ドラフトが行われた。
まず楽天が、プロテクト枠(オリックスバファローズが旧オリックス、旧近鉄から選抜した選手25人)、外国人選手、FAを行使した選手、入団2年目までの選手を除く全選手の中から20人を選抜。
次に入団2年目までの選手を加えた全選手の中からオリックスバファローズが20人を選抜。
次に楽天が20人選抜。
指名されずに最後に残った選手はオリックスバファローズに配分され、40選手の楽天入りが決定した。
プロテクト枠入りを打診されて拒否する近鉄選手もいた。
オリックスバファローズは基本的にその意志を尊重したが、近鉄のエースだった岩隈久志だけは手放そうとしなかった。
11月17日、楽天イーグルスが初のドラフト会議に参加し、大学、社会人から6選手を指名した。
また山﨑武司、関川浩一、飯田哲也など自由契約となった選手や他球団から無償トレードで獲得。
オリックスバファローズに入団拒否していた岩隈久志も金銭トレードで獲得。
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2005年2月1日、楽天イーグルスが沖縄県久米島での春季キャンプで本格始動。
2月26日、球団として初のオープン戦となる読売ジャイアンツ戦に4対3で勝利。
オープン戦の戦績は16試合7勝8敗1分。
3月26日、公式戦開幕。
千葉ロッテマリーンズと対戦。
先発の岩隈久志が完投し3対1で勝利。
翌3月27日、ロッテ第2戦は0対26の大差で敗北。
その後4連敗。
4月1日、本拠地初戦となる西武ライオンズ戦、初回先頭打者;礒部公一がバックスクリーン直撃の球団初ホームランを放つなど16対5で2勝目。
しかしその後、11連敗。
5月、この年から始まったセ・パ交流戦は11勝25敗で最下位。
7月、10勝9敗1分けで球団初の月間勝ち越し。
8月、シーズン2度目の11連敗。
そして最下位(8月中に最下位が決まったのは53年ぶり)とパリーグ全球団への負け越しが決まった。
9月25日、最終戦終了後、田尾監督の解任が発表された。
38勝97敗1分。
勝率.281。
大差で負ける試合が多く、5位の日本ハムとは25ゲーム差、1位のソフトバンクとは51.5ゲーム差。
他球団との戦力差は明らかだった。
新監督は野村克也だった。
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