1989年バブル絶頂~2004年球界再編問題「たかが選手が」球団vs選手会  ライブドアvs楽天  旧vs新  置き去りになった近鉄ファン
2020年6月14日 更新

1989年バブル絶頂~2004年球界再編問題「たかが選手が」球団vs選手会 ライブドアvs楽天 旧vs新 置き去りになった近鉄ファン

近鉄とオリックスの合併、球界再編問題、ストライキ、IT企業のプロ野球参入合戦、近鉄バッファローズ消滅、オリックスバッファローズ、楽天イーグルス誕生 夢と感動がいっぱいのプロ野球の裏側では、それを支えるドロドロの利権と古い体質を持つ巨大な権力があった。

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2004年6月30日、IT企業;ライブドアは近鉄に買収を申し入れたことを発表した。
近鉄、オリックスは
「既に断っており、今後も申し入れは拒否する」
と表明。
巨人オーナー:渡邉恒雄オーナーは
「オレも知らないような人が入るわけにはいかんだろう」
と発言した。
7月4日、ライブドアのホリエモンこと堀江貴文社長大阪ドームで観戦。
ファンから
「近鉄の救世主」
と大歓迎された。
近鉄ファンだけでなく多くの人が
「プロ野球にはびこる古い体質を破壊してくれるのでは?」
という期待感を持った。

たかが選手が

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7月7日、プロ野球選手会会長:古田敦也は、球団数が減り多くの選手がリストラされてしまうことを危惧していた。
記者に
「直接オーナー側と会ったほうがいいのでは?」
と聞かれ
「出来ればそうしたいんですけど、機会を設けてくれないでしょう」
とコメントした。
7月8日、渡邉恒雄はスポーツ記者に
「明日、選手会と代表レベルの意見交換会があるんですけれども、古田選手会長が代表レベルだと話にならないんで、できればオーナー陣といずれ会いたいと・・・」
といわれ
「無礼なこというな。
分をわきまえなきゃいかんよ。
たかが選手が」
と発言。
この対話拒否の態度に、選手会は反発し合併に反対の姿勢を示した。
多くのファンがそれに同調。
7月10日、選手会は臨時大会を招集し、
・近鉄に対しオリックスとの合併交渉を1年間凍結し、合併が最良の選択か否かを討議するよう求める
・日本プロ野球機構に、1年間近鉄が球団名の命名権を販売することを許可するよう求める
・合併が強行されようとした場合、ストライキ権行使もあり得る
・ただしストライキ実施に当たってはファンへの配慮を十分に行う
4点を決議し
・アメリカのメジャーリーグが導入している「ラグジュアリー・タックス」(贅沢税)導入
・高額年俸選手を対象とする年俸減額制限の緩和
・プロ野球ドラフト会議の完全ウェーバー方式化
・フリーエージェント選手の移籍にかかる補償金の廃止
・新規参入球団に課せられる加盟金の金額(新規参加60億円、譲受参加30億円)の見直し
・テレビ放映権のコミッショナー一括管理
なども提案した。
この日より始まったオールスターゲームで選手は12球団のチームカラーを織り込んだミサンガを着用。
「両球団の早急な合併と議論を尽くさないままの1リーグ化反対」
の意思を示した。
7月16日、近鉄選手会は合併反対の署名募集運動を開始。
大阪ドーム前に中村紀洋ら1軍選手全員が集まりファンの支援を訴えた。
7月23日、中日ドラゴンズ選手会が合併反対の署名運動を開始。
7月29日、巨人選手会が1日だけ合併反対の署名運動。
8月5日、広島選手会が合併反対の署名運動を行い、12球団の選手会がこの運動に参加した。
近鉄選手会の礒部公一会長は
「試合前にミーティングをし、最後まで戦う姿勢でいたいという意思統一を行いました」
と選手会主導による無期限のストライキ発動を提案。
8月10日、オリックスと近鉄が基本合意書に調印。
8月19日、ライブドアは近鉄を買収できない場合、新球団を設立してプロ野球に参加する方針を固め、9月にもプロ野球に参入する姿勢を明かした。
そして広島の松田元オーナーに挨拶状を送り、プロ野球参入時の協力などを要請。
松田元オーナーは好意的な姿勢を示した。
阪神の久万俊二郎オーナーも
「私でよければ応じたい。
10年は持ちこたえる覚悟があるか聞きたい」
とライブドアの堀江貴文社長との会談に前向きな姿勢をみせた。

広島東洋カープ採決棄権

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8月26日、近鉄の株主2人がオリックスとの合併の差し止めを求める仮処分を大阪地方裁判所に申し立てた。
8月27日、続いて選手会も合併を行わないよう求める仮処分を東京地方裁判所に申し立てた。
8月31日、プロ野球実行委員会は、訴訟の行方を見極める必要があるとして合併承認を見送った。
9月3日、東京地裁は
「すでに近鉄とオリックスの合併は12球団の代表者会議で承認されている。
特別委員会で議決に諮る事項ではない」
と選手会の申立を却下。
9月4日、大阪地裁は
「近鉄の第三者への売却は、合併より近鉄本社に有利になる見込みは無い」
と株主側の申立を退けた。
選手会と株主は即時抗告。
9月6日、神戸市で選手会の会合が行われ、8日に開かれるオーナー会議の内容によっては11、12日の公式戦の選手会主導でストライキを実施することを決定。
9月8日、東京高裁は選手会の合併差し止めの仮処分申請の即時抗告を棄却。
しかし同時に
「日本プロ野球選手会には団体交渉権がある」
「団体交渉で誠実交渉義務を尽くさねば不当労働行為にもなる」
「日本プロ野球組織の対応は誠意を欠いており、今後は誠実な交渉を求める」
と指摘した。
この同じ日にプロ野球オーナー会議が開かれ、近鉄とオリックス以外の10球団で合併に関する採決が行われた。
しかし広島東洋カープのオーナー:松田元は
「カープは地域によって支えられており、その地域の理解を得られない採決には参加できない」
と棄権。
8人の侍など広島カープには感動的な話が多いが、新たに伝説が1つつけ加えられた。

ダイエーの意地

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残りの9球団は賛成し、近鉄とオリックスの合併が「承認」された。
この会議で西武ライオンズオーナー:堤義明は、他球団の合併について
「何の進展もなかった」
と報告。
「2005年シーズンは11球団(セリーグ6チーム、パリーグ5チーム)で行うことになった」
とした。
当初、西武ライオンズの合併相手は、千葉ロッテマリーンズ、福岡ダイエーホークスだった。
しかし最終的に、球団単独保有に固執するダイエーの拒否により計画が頓挫した事を明かした。
ダイエーは、2001年1月に有利子負債が1兆8000億円に達し、創業者:中内功が退任。
以後、リストラを含め様々なことが行われたが、本業のスーパーマーケットの売上低落に歯止めがかからなかった。
2003年には福岡ドーム球場とホテルをアメリカの企業再生専門投資会社:コロニーキャピタルへ売却することを決めた。
2004年に取引主力3銀行(UFJ銀行、三井住友銀行、みずほコーポレート銀行)から産業再生機構(2003~2007年の4年間だけ存在した政府系の特殊会社)の傘下に入っての再建を通告されたが拒否。
その後、アメリカのゴールドマンサックス、サーベラス、リップルウッドとドイツのドイツ証券がスポンサーを申し出ている事を明らかにし、あくまで産業再生機構を使わず自主自力民間再建を目指した。
しかし数日後、取引主力3銀行会社は「機構を利用しない場合は資金援助を取り付けない」と発表。
また福岡ドーム球場を売却したコロニーキャピタルと
「30年間はダイエーが福岡ドームを使用していかなければならない」
「違反した場合には、900億円の損害賠償を支払う」
という契約を結んでいたおり西武ライオンズとの合併も困難だった。
(2004年10月13日、結局、ダイエーは産業再生機構の利用を決定した。
しかし結果的に自力再建にこだわり続けたダイエーの強硬な姿勢が「第2の合併」「1リーグ制」を挫折させた)

巨人抜きでは興業が成り立たたない球界の現実

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その後、巨人オーナー:渡邉恒雄オーナーが
「仮にパリーグが4チームになった場合はパリーグへの移籍も視野に入れる」
と発言。
セリーグ6チーム、パリーグ4チームより、セリーグ5チーム、パリーグ5チームでバランスよく運営した方がいいということだったが、
「1リーグが認められないならそれも1つの案」
パ・リーグ側には歓迎する声もあったがセリーグ側は一斉に反発。
巨人抜きでは興業が成り立たたない球界の現実が浮き彫りになった。
選手会は
「巨人がどちらに行っても構わない。
それは問題ではなく球団数削減が問題」
とした。
渡邉恒雄の発言は、巨人戦の収益無しでは存立できないセリーグの球団やファンに危機感を与えた。
その後、現状維持を望む世論が広がっていった。
9月9日、10日、日本プロ野球機構、 球団、選手会が労使交渉を行った。
そして以下のことについて、回答期限を9月17日17時とし、それによって合意がなされた場合、9月18日以降のストライキを中止することが決められた。
・近鉄とオリックスの合併の1年間凍結については2005年シーズンの日程のシミュレーションを立てた上で改めて検討する
・加盟料(新規参入60億円、譲渡の場合は30億円)を撤廃し保証金制度を設置
・2005年度はセリーグ6チーム以上、パリーグ5チーム以上を確保
・ドラフト制度改革などの専門委員会を設置
こうして9月11、12日のストライキはひとまず回避された。
交渉終了後、ロッテの瀬戸山隆三代表が
「近鉄とオリックスの合併は覆らない」
と発言。
古田敦也選手会長は記者会見場を退席する際、瀬戸山代表から握手を求められたが拒否した。

ライブドア vs 楽天 IT戦争勃発

 (2193243)

9月15日、日本最大手のインターネットショッピングモール「楽天市場」を運営する楽天が、プロ野球参入を検討していることを表明。
本拠地は同社の創業者で社長の三木谷浩史の出身地である兵庫県のヤフーBBスタジアム。
そして近鉄・オリックスの合併後、保有枠から漏れた選手らを中心に結成するというプランを発表した。
9月16日、ライブドアは
・日本プロ野球機構に正式に参加申請を行ったこと
・申請の受理から30日以内に審査結果が通知されること
・球団運営会社「ライブドアベースボール」を設立したこと
・新規チームの本拠地を宮城県の宮城球場としたこと
を発表した。

ストライキ

 (2193242)

9月16日、17日、改めて球団側と選手会が交渉。
選手会は、近鉄オリックスの合併の1年間凍結、あるいはライブドアや楽天の新加盟などを求めた。
球団側は
「合併凍結は行わない」
「加盟申請の審査には時間がかかる」
一切主張を変えず17日17時までだった回答期限を2時間延長しても合意に至らなかった。、
そして20時30分、交渉は決裂。
21時10分、選手会、球団側双方が会見を行った。
球団側として、阪神、中日、ヤクルト、広島、横浜(巨人を除くセリーグ5球団)とパリーグの日本ハム、ダイエーは、近鉄とオリックスの合併凍結は無理でも、来季からの新規参入は認めようとしたが、巨人、オリックス、西武、ロッテは
「時間がない」
と認めようとしなかった。
選手会側は18日、19日のストライキ決行を発表した。
その夜、古田敦也選手会長は、各局の深夜ニュース番組に生出演した。
9月18、19日、70年のプロ野球の歴史の中で初めてのストライキが行われた。
多くのマスコミは選手会に好意的で、毎日新聞は
「ストライキはNPBの怠慢である」
と多くのファンの気持ちを代弁した。
しかし渡邉恒雄が主筆を務める読売新聞とその系列のマスコミは、選手会によるストライキに批判的だった。
夕刊フジは、
「選手会は無能の集まり」
選手会や古田敦也選手会長を痛烈に批判した

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