元ロッテの本拠地 川崎球場
日本の国民的スポーツと言えば、やはりプロ野球!今では、ドーム型の近代的な球場も増えましたが、80~90年代はレトロ感溢れる球場もたくさん!その代表格の一つである川崎市にある元ロッテの本拠地・川崎球場をプレイバックしていきましょう。
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1954年~高橋ユニオンズの本拠地に!
社会人野球が盛んだった川崎市、1950年代、重工業地帯として、街が発展していくと同時に、新しい球場待望論が巻き起こった。そして1951年に川崎球場がオープンしました。
その3年後、初めて川崎球場を本拠地として使用したプロ野球チームは、同年に発足したばかりの高橋ユニオンズ(現在の千葉ロッテの前身)。チーム自体わずか3年の命でした。
その3年後、初めて川崎球場を本拠地として使用したプロ野球チームは、同年に発足したばかりの高橋ユニオンズ(現在の千葉ロッテの前身)。チーム自体わずか3年の命でした。
1954年、同年発足した高橋ユニオンズがプロ球団で初めて川崎球場をフランチャイズとした。同年6月にはプロ本拠地としては歴代6球場目となる照明設備が増設され、ナイターの開催が可能となった。当時の後楽園球場の照明が最大照度800Lxだったのに対し、川崎は最大1100Lxと高照度を誇っていた。ただ6基の鉄塔のうち右翼側の照明塔は、前述の敷地の関係上スタンドを跨ぐ格好で設けざるを得なかった。また設置当初はまだ電力供給が不安定だったため、周辺の工場群の電力消費がピークを迎える時間帯がたまたまナイターと重なった時には、電圧低下によって照明が消灯してしまうハプニングもしばしば発生した。
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1955年~大洋の本拠地に!
1955年には大洋ホエールズも本拠地として、高橋と合わせて2チームが本拠地としてました。
90年代にも東京ドームが巨人と日本ハムの本拠地ということがありましたよね。
90年代にも東京ドームが巨人と日本ハムの本拠地ということがありましたよね。
翌1955年からは大洋ホエールズも川崎をフランチャイズとし、セ・パ計2球団が川崎に本拠地を置くことになった。しかし、高橋ユニオンズが経営悪化により1956年オフに大映スターズとの合併によって消滅したため、2球団が川崎に本拠地を置いた期間はわずか2シーズンで終わっている。
1957年から1977年の21シーズンは大洋のみが川崎を本拠地とした。
1978年~ロッテの本拠地に!
大洋が横浜スタジアムに本拠地を移転したのに伴い、川崎球場は年間数試合のみ行う準本拠地に。
そこに、ロッテ(現千葉ロッテ)が、本拠地として1978年に名乗りをあげる。
準本拠地として残したい大洋は、なかなかロッテの移転を認めませんでした。
そこに、ロッテ(現千葉ロッテ)が、本拠地として1978年に名乗りをあげる。
準本拠地として残したい大洋は、なかなかロッテの移転を認めませんでした。
大洋ホエールズは当初、横浜スタジアム移転の際に「保護地域である神奈川県内の準本拠地として継続使用する」という理由から、横浜スタジアムへの本拠地移転を断念したロッテオリオンズの川崎球場の本拠地使用を認めませんでしたが、川崎市などの説得もありロッテの川崎移転という形で終止符を打ちました。
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川崎球場と言えば砂埃!?
前述したように、ロッテの本拠地になった頃は、既に出来上がってから30年近く経っていて、老朽化が激しかった川崎球場。
ロッテ移転の条件として、市は改修を約束していましたが、なかなか実現せず、ボロボロの球場としてお馴染みでした。
なかでも、試合中に巻き起こってしまう砂埃はある意味名物に!?
ロッテ移転の条件として、市は改修を約束していましたが、なかなか実現せず、ボロボロの球場としてお馴染みでした。
なかでも、試合中に巻き起こってしまう砂埃はある意味名物に!?
川崎球場流しそうめん - YouTube
via youtu.be
川崎球場と言えば、観客100人!?
川崎球場のイメージで、ミドルエッジ世代が記憶に強く残っているのが、珍プレー好プレーでのあまりに少ない観客ではないでしょうか?よくカップルだけの映像が繰り返し使われていましたよね。
当時は、観客数を正しく公表していなかったため、1000人とかと発表していましたが、実際は100人いや数十人という声もあるほどです。
当時は、観客数を正しく公表していなかったため、1000人とかと発表していましたが、実際は100人いや数十人という声もあるほどです。
🐳⚾ 2020/4/10 16:26
捕鯨が制限されて大洋漁業は現横浜DeNAを身売りしたんでしょうか?