沢田研二は元々バンド志向の強い人のようで、エキゾティクスもバックバンドとは考えておらず、自分もバンドメンバーのひとりと考えていたようです。なので、こう言った曲では特に一体感が生まれるのでしょうね。
で、松田聖子がそうであったように、80年代のジュリーもまた様々なミュージシャンの楽曲を取り入れ、歌謡界を軽々と飛び越えていくんですね、
で、松田聖子がそうであったように、80年代のジュリーもまた様々なミュージシャンの楽曲を取り入れ、歌謡界を軽々と飛び越えていくんですね、
6番目のユ・ウ・ウ・ツ
「おまえにチェックイン」に続いて1982年9月10日に37枚目のシングルとして発売されたのは、「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」。いい曲です。
「ユ・ウ・ウ・ツ」と言うぐらいですから陰りのある曲ではあります。「おまえにチェックイン」のような疾走感はない。
が、エキゾティクスとしての一体感を感じさせる曲です。
「ユ・ウ・ウ・ツ」と言うぐらいですから陰りのある曲ではあります。「おまえにチェックイン」のような疾走感はない。
が、エキゾティクスとしての一体感を感じさせる曲です。
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作詞の三浦徳子は80年代に入ってからの沢田研二のシングルではお馴染みですが、作曲の西平彰は「誰?」って感じる方が多いのかもしれませんね。
西平彰、エキゾティクスのキーボード奏者でありサブリーダーです。一般的にはあまり馴染みがない方かもしれませんが、吉川晃司や氷室京介、宇多田ヒカル、大黒摩季、岡村靖幸など多くのミュージシャンへの楽曲提供、アレンジャー、キーボード奏者として知られています。オフコースからL'Arc〜en〜Cielまで幅広く日本の音楽界を支えている方なんですよ。
西平彰、エキゾティクスのキーボード奏者でありサブリーダーです。一般的にはあまり馴染みがない方かもしれませんが、吉川晃司や氷室京介、宇多田ヒカル、大黒摩季、岡村靖幸など多くのミュージシャンへの楽曲提供、アレンジャー、キーボード奏者として知られています。オフコースからL'Arc〜en〜Cielまで幅広く日本の音楽界を支えている方なんですよ。
6番目のユウウツ
via www.youtube.com
現在までのところ、シングルのオリコン10位以内のランクインは、「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」が最後となっています。
なんか意外な感じです。沢田研二と言えばシングルヒットを出し続けているイメージがありますからね。
なんか意外な感じです。沢田研二と言えばシングルヒットを出し続けているイメージがありますからね。
晴れのちBLUE BOY
39枚目のシングルとなる「晴れのちBLUE BOY」は素晴らしい!もっとヒットして良かったと思うのは私だけではないはず。
アダム&ジ・アンツを思わせるジャングルビート。エイドリアン・ブリューを思わせる冒頭のギター。洋楽ファンにはおなじみのアレンジで嬉しくなってしまいます。
沢田研二の歌いっぷりには惚れ惚れするほどお見事。エキゾティクスも最高だ。作曲した大沢誉志幸もアレンジした大村雅朗も素晴らしいです。が、この曲を名曲に押し上げたのは作詞の銀色夏生ではないですかね。彼が最も大きな貢献をしたのではないかとにらんでいます。
「僕は朝までスポーツマン」とか「言いたいことはヤシの実の中」とか、分かるようで全く分からん不思議な言葉のオンパレードには圧倒されます。
沢田研二の歌いっぷりには惚れ惚れするほどお見事。エキゾティクスも最高だ。作曲した大沢誉志幸もアレンジした大村雅朗も素晴らしいです。が、この曲を名曲に押し上げたのは作詞の銀色夏生ではないですかね。彼が最も大きな貢献をしたのではないかとにらんでいます。
「僕は朝までスポーツマン」とか「言いたいことはヤシの実の中」とか、分かるようで全く分からん不思議な言葉のオンパレードには圧倒されます。
沢田研二 - 晴れのちBLUE BOY
via www.youtube.com
この後エキゾティクスとは「きめてやる今夜」「どん底」「渡り鳥 はぐれ鳥」と3枚のシングルを残しますが、残念ながら1984年4月25日発売の42枚目のシングル「渡り鳥 はぐれ鳥」が最後となってしまいます。
シングル・ヒットがなくなっていき、口の悪い人はジュリーの時代は終わったとか何とか言いだすわけですが、そもそもライブではほとんどシングル曲を歌わないことで知られている沢田研二ですから、「一等賞が好き」と言いながらも、ヒット自体はそれほど気にしてないのかもしれませんね。
その後、沢田研二はテレビよりもライブに重点を置くようになり、アイドルからアーティストへと独自の進化を遂げることになります。
で、75歳を過ぎた今日でもアリーナクラスで元気にライブを行っているわけですからスゴイですよね。
シングル・ヒットがなくなっていき、口の悪い人はジュリーの時代は終わったとか何とか言いだすわけですが、そもそもライブではほとんどシングル曲を歌わないことで知られている沢田研二ですから、「一等賞が好き」と言いながらも、ヒット自体はそれほど気にしてないのかもしれませんね。
その後、沢田研二はテレビよりもライブに重点を置くようになり、アイドルからアーティストへと独自の進化を遂げることになります。
で、75歳を過ぎた今日でもアリーナクラスで元気にライブを行っているわけですからスゴイですよね。