ミドルエッジ世代ですとお子さんたちがいらっしゃる方も多いかと思います。そうしますと、きっと今頃、お子さんたちは夏休み。ああ夏休み。
夏休みに家族でどこかに行かれた方も多いかもしれません。私が国内旅行先としてあこがれたのは北海道でした。
ふと、思いませんか?「北海道」。なんでホッカイドウと言うのだろうか?と。
夏休みに家族でどこかに行かれた方も多いかもしれません。私が国内旅行先としてあこがれたのは北海道でした。
ふと、思いませんか?「北海道」。なんでホッカイドウと言うのだろうか?と。
「北海道」地名の由来
元々はアイヌの皆様が暮らされる地域です。日本語地名は最近なのです。正確には明治2年(1869年)に決まった名称です。それ以前、蝦夷と呼ばれるか、江戸時代の松前藩があったことから「松前」と呼ばれたりされておりまして、要するに日本人側からは特定の名称は定まっていませんでした。松前という名称は現在も「松前漬」や民俗芸能「松前神楽」など現在に伝わっております。
そう考えますと、そう言えば、夏の甲子園や柔道などでよく耳にする「東海大〇〇」、野球といえば南海ホークスがあったななどなど…「〇海」と書く事がちらほら見受けられます。
キーワードは「海」と「道」
「海」と「道」。これがキーワード。この由来は7世紀頃、日本が「律令国家」として動き出した頃まで遡ります。ちなみに「律令」とは「社会規範を規定する刑法的な律と社会制度を規定する行政法的な令」の2つ(ウィキペディアより)。現在もこの流れの中で私たちは暮らしております。
さておき。その律令制の下で日本全体が整備されまして、その区分けを「五畿七道」と定めました。「五畿」は畿内とも言いまして大和・山城・摂津・河内・和泉のこと。まあ、要するに関西圏限定の区分け。「七道」は日本全土の区分けで東海道・東山道・北陸道・山陽道・山陰道・南海道・西海道の7つ。
そう!ここで「海」と「道」が出てくるのです。道というだけあって、道路つまり地理的な区分けです。東海だの北陸だの山陰だの山陽だのと、現在でも使っている区分けがここで誕生したのです。
ちなみに七道は具体的には
さておき。その律令制の下で日本全体が整備されまして、その区分けを「五畿七道」と定めました。「五畿」は畿内とも言いまして大和・山城・摂津・河内・和泉のこと。まあ、要するに関西圏限定の区分け。「七道」は日本全土の区分けで東海道・東山道・北陸道・山陽道・山陰道・南海道・西海道の7つ。
そう!ここで「海」と「道」が出てくるのです。道というだけあって、道路つまり地理的な区分けです。東海だの北陸だの山陰だの山陽だのと、現在でも使っている区分けがここで誕生したのです。
ちなみに七道は具体的には
東海道 | 東海道現在の茨城、千葉、埼玉、東京、神奈川、山梨、静岡、愛知、三重(熊野地方を除く)の各都県を合わせた地域。 |
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東山道 | 現在の青森、岩手、秋田、宮城、山形、福島の東北6県と、栃木、群馬、長野、岐阜、滋賀の各県を合わせた地域。 |
北陸道 | 現在の新潟、富山、石川、福井の各県を合わせた地域。 |
山陽道 | 現在の兵庫県南部と、岡山、広島、山口の各県を合わせた地域。 |
山陰道 | 現在の京都府北部と兵庫県北部および、鳥取、島根の各県を合わせた地域。 |
南海道 | 現在の香川、徳島、愛媛、高知の四国4県と、三重県熊野地方、和歌山県、淡路島を合わせた地域。 |
西海道 | 現在の福岡、佐賀、長崎、大分、宮崎、熊本、鹿児島の九州7県の地域。 |
北海道は当時、行政上は日本の範疇ではなかったので、五畿七道に含まれていません。視野に入ってきたのは江戸時代。そして明治時代です。
ですから、明治時代に入ってすべてを新体制で臨もうとした際に新たに「北海道」としてこの区分けに加わったのです。
と、サクッと書きたいところですが、いやいやどうして。当初挙がった地名候補は6つもありました。ザザッと書くと①日高見道②北加伊道③海北道④海島道⑤東北道⑥千島道の6つ。多い…。
最終的には探検家であり開拓使の開拓判官であった松浦武四郎(まつうら たけしろう、文化15年(1818年)~明治21年(1888年))の『北海道々国郡名撰定上書』をもとに北海道に決まり、明治2年8月15日の太政官布告で、「蝦夷地自今(いまより)北海道ト被稱(しょうされ)十一ヶ国ニ分割國名郡名等別紙之通被 仰出候(おおせいだされそうろう)事」と周知されました。
松浦さんは文化人でもありまして、その雅号は「北海道人」でした。これが地名の由来と言えなくもないので、そう考えると、五畿七道+松浦さん=「北海道」ということになります。
ですから、明治時代に入ってすべてを新体制で臨もうとした際に新たに「北海道」としてこの区分けに加わったのです。
と、サクッと書きたいところですが、いやいやどうして。当初挙がった地名候補は6つもありました。ザザッと書くと①日高見道②北加伊道③海北道④海島道⑤東北道⑥千島道の6つ。多い…。
最終的には探検家であり開拓使の開拓判官であった松浦武四郎(まつうら たけしろう、文化15年(1818年)~明治21年(1888年))の『北海道々国郡名撰定上書』をもとに北海道に決まり、明治2年8月15日の太政官布告で、「蝦夷地自今(いまより)北海道ト被稱(しょうされ)十一ヶ国ニ分割國名郡名等別紙之通被 仰出候(おおせいだされそうろう)事」と周知されました。
松浦さんは文化人でもありまして、その雅号は「北海道人」でした。これが地名の由来と言えなくもないので、そう考えると、五畿七道+松浦さん=「北海道」ということになります。
最後に「県」について
現在の私たちは「藩」ではなく「県」で暮らしていますが、今の47都道府県になる前、明治4年(1871年)の廃藩置県から47だったかというと、全く違いまして。
直後は何と3府302県。多すぎぃ!正確には1使3府302県(使は「開拓使」)。さすがに多すぎたのか、年内にサクサク整理され1使3府72県に。
その後、「使」が消えて「庁(北海道・樺太)」が出来たり、県が増えたり減ったりしながら、太平洋戦争が過ぎ、そして昭和47年(1972年)に沖縄返還!沖縄県が復帰して現在の47都道府県になりました(正確には1都1道2府43県)♪
直後は何と3府302県。多すぎぃ!正確には1使3府302県(使は「開拓使」)。さすがに多すぎたのか、年内にサクサク整理され1使3府72県に。
その後、「使」が消えて「庁(北海道・樺太)」が出来たり、県が増えたり減ったりしながら、太平洋戦争が過ぎ、そして昭和47年(1972年)に沖縄返還!沖縄県が復帰して現在の47都道府県になりました(正確には1都1道2府43県)♪
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