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大会初日の夜、廣重毅(城南支部支部長)は、三瓶啓二、三好一男、小林功らに
「5月の会議で松井を2代目館長と決めた以上、それに準ずる態度で接するべき」
と注意した上で話を聞いた。
そして盧山初雄に
「師範、もう1度話し合ったらいかがですか」
と進言。
こうして松井章圭、郷田勇三、盧山初雄、長谷川一幸、大石大吾、西田幸夫、三瓶啓二、三好一男、小林功らが酒席を囲んだ。
盧山初雄が聞いた。
「お前ら、なぜまだあんな態度をとるんだ」
「松井の態度が生意気なんです」
三瓶啓二、三好一男、小林功らは延々と松井批判を続けた。
盧山初雄は怒りをこらえながら不満を吐き出させることに努めた。
「私からみても松井は足りないところだらけだ。
だったら松井の足りない部分をみんなでフォローしてあげればいいじゃないか。
そうやってみんなで極真を守っていくことが総裁に対する恩返しだと思うよ。
違うか?」
「師範、すみませんでした。
これからは松井を館長としてみんなで頑張っていきましょう」
三瓶啓二は頭を下げた。
しかし裏では、三好一男、小林功、柳渡聖人、大濱博幸(広島県支部長)、藤原康晴(長野県支部長)らに
「松井ではダメだ」
と伝えた。
大会3日目(最終日)、途中で高木薫が帰ってしまうアクシデントもあったが、第11回全日本ウエイト制大会は、
軽量級、優勝:谷川光 準優勝:成嶋竜 3位:有永浩太郎 4位:茂木浩之
中量級、優勝:三明広幸、準優勝:池田祥規、3位:小井泰三 4位:杉原健一
重量級、優勝:新保智 準優勝:鈴木国博 3位:ニコラス・ペタス 4位:塚本徳臣
という結果で終わった。
「5月の会議で松井を2代目館長と決めた以上、それに準ずる態度で接するべき」
と注意した上で話を聞いた。
そして盧山初雄に
「師範、もう1度話し合ったらいかがですか」
と進言。
こうして松井章圭、郷田勇三、盧山初雄、長谷川一幸、大石大吾、西田幸夫、三瓶啓二、三好一男、小林功らが酒席を囲んだ。
盧山初雄が聞いた。
「お前ら、なぜまだあんな態度をとるんだ」
「松井の態度が生意気なんです」
三瓶啓二、三好一男、小林功らは延々と松井批判を続けた。
盧山初雄は怒りをこらえながら不満を吐き出させることに努めた。
「私からみても松井は足りないところだらけだ。
だったら松井の足りない部分をみんなでフォローしてあげればいいじゃないか。
そうやってみんなで極真を守っていくことが総裁に対する恩返しだと思うよ。
違うか?」
「師範、すみませんでした。
これからは松井を館長としてみんなで頑張っていきましょう」
三瓶啓二は頭を下げた。
しかし裏では、三好一男、小林功、柳渡聖人、大濱博幸(広島県支部長)、藤原康晴(長野県支部長)らに
「松井ではダメだ」
と伝えた。
大会3日目(最終日)、途中で高木薫が帰ってしまうアクシデントもあったが、第11回全日本ウエイト制大会は、
軽量級、優勝:谷川光 準優勝:成嶋竜 3位:有永浩太郎 4位:茂木浩之
中量級、優勝:三明広幸、準優勝:池田祥規、3位:小井泰三 4位:杉原健一
重量級、優勝:新保智 準優勝:鈴木国博 3位:ニコラス・ペタス 4位:塚本徳臣
という結果で終わった。
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1994年6月20日、第11回全日本ウエイト制大会終了翌日、大阪のホテルで全国支部長会議が行われ人事が発表された。
会長:福田赳夫
(政界を引退していたが元総理大臣。
大山倍達存は1994年に亡くなったが、1993年の全日本大会のパンフレットには、会長:福田赳夫、顧問:大内啓伍、海部俊樹、倉成正、相談役:亀井静香、河野洋平、中山正輝、三塚博と大物政治家の名が並んでいた。
田中角栄、佐藤栄作、三木武夫、園田直、竹下登、安倍晋太郎の名があったこともある。
スポーツの大会に政治家が役員として名前を連ねることは珍しいことではないが、文科省の管轄下にない極真会館の大会にこれだけの政治家が名前を連ねるのは珍しい)
理事長:梅田義嘉
館長:松井章圭
主席師範、最高顧問:郷田勇三、盧山初雄
全国支部長協議会
議長:西田幸夫
副議長:長谷川一幸、三瓶啓二
(全国支部長会議は、通常年2回、館長の要請で臨時で行われることもある全支部長が集まる会議。
支部長協議会議は、通常月1回行われる会議。
全国支部長協議会議長の要請で臨時で行われることもある)
選手権大会審判長:松島良一(群馬県支部長)、副審判長:桝田博(茨木健支部長)
第6回世界大会日本代表
監督:三瓶啓二
コーチ:緑健児
(第6回世界大会は翌年(1995年)に開催。
この後、三瓶啓二と緑健児は急接近し、後に三瓶啓二は緑健児を北九州支部長に推薦した)
会長:福田赳夫
(政界を引退していたが元総理大臣。
大山倍達存は1994年に亡くなったが、1993年の全日本大会のパンフレットには、会長:福田赳夫、顧問:大内啓伍、海部俊樹、倉成正、相談役:亀井静香、河野洋平、中山正輝、三塚博と大物政治家の名が並んでいた。
田中角栄、佐藤栄作、三木武夫、園田直、竹下登、安倍晋太郎の名があったこともある。
スポーツの大会に政治家が役員として名前を連ねることは珍しいことではないが、文科省の管轄下にない極真会館の大会にこれだけの政治家が名前を連ねるのは珍しい)
理事長:梅田義嘉
館長:松井章圭
主席師範、最高顧問:郷田勇三、盧山初雄
全国支部長協議会
議長:西田幸夫
副議長:長谷川一幸、三瓶啓二
(全国支部長会議は、通常年2回、館長の要請で臨時で行われることもある全支部長が集まる会議。
支部長協議会議は、通常月1回行われる会議。
全国支部長協議会議長の要請で臨時で行われることもある)
選手権大会審判長:松島良一(群馬県支部長)、副審判長:桝田博(茨木健支部長)
第6回世界大会日本代表
監督:三瓶啓二
コーチ:緑健児
(第6回世界大会は翌年(1995年)に開催。
この後、三瓶啓二と緑健児は急接近し、後に三瓶啓二は緑健児を北九州支部長に推薦した)
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同日13時、
「大山倍達総裁の遺言状の疑義について、午後2時より記者会見を行う」
というFaxが東京のマスコミ各社に届き、テレビ2社を含む20名が極真会館総本部に集まった。
14時、大阪で全国支部長会議が開かれている裏で、大山倍達が死去した日に誕生した生後2ヵ月の娘:桃果林を抱いた大山恵喜(次女)と大山喜久子(三女)が記者会見を開いた。
大山恵喜(次女は
「遺言書の内容はさておいて、その作成過程に疑義があり、今後の極真会館の発展のためにも到底用委任できるものではない」
といい、その理由を
・大山倍達の自筆の署名も口授の録音テープもないこと
・遺言書の証人に利害関係のない第3者がいないこと
・遺言書の作成時に母親が病室から出されたこと
とした。
「松井館長を認めないか?」
と聞かれると
「遺言書に疑いがある以上、指名された松井さんは真の後継者とはいえない。
でも松井さんはすでに館長気取りで会館にいます」
と答えた。
「6月1日に母が緊急全国支部長会議を招集しましたが梅田さんや松井さんがストップをかけて母を千葉県に拉致してしまったり、彼らの遺族に対する扱いに不満を持っています」
「遺言は代筆による不完全なものであり、大山倍達自身の署名も捺印もなければ、口述を録音したテープもない。
その上、遺言の作成遇程にあまりに不明な点が多く、偽造の可能佳が高い。
よってその遺言書に記されてる松井章圭氏を、自分たちは後継として認める事は出来ない」
「自分たちは大山倍達の死因そのものにも大きな懐疑を抱いている」
と訴えた。
そして遺言書の無効と執行差し止め請求を東京地裁に提訴することを発表した。
遺言書では、智弥子未亡人、長女の留壱琴、二女の恵喜、三女の喜久子に対し、毎月それぞれ100万円支払われる。
石神井の自宅、御宿の土地、湯河原の別荘など不動産も未亡人と娘たちが相続。
極真会館へ寄贈が指示されてる本部道場の土地と建物は相続税を考慮すれば、遺族にとって不利とはいえない。
「文面の通りにお金をいただけるんなら、こんなありがたい遺言書はない。
母はともかく、私たちは働く事が出来ます。
本部道場の建物と土地にしても、確かに遺言書通り極真会館に寄付した方が、金銭的に有利な事もわかってる。
不満なのは、お金のことではない。
遺言書がインチキで、作成に関わった人と、それに動いてる人たちが許せないといってるんです。
とにかく松井さんたちとは一緒にやっていくつもりはありません。
遺言書の偽造を一日も早く証明して、あの人たちには本部道場から出ていってもらいたいんです。
建物の相続税がかかるならば、石神井の家を売ってでもそれを払って、父が建てたあの建物を守りたいと思っています。
とにかく、あの人たちに父が残したものをこれ以上好きにされるのは、絶対に許せないんです」
大山恵喜(次女)は
「マスコミの皆さんの力を借りてこれら疑惑を晴らしたいと思っています」
と会見を締めくくった。
このショッキングな会見は、テレビ、新聞、雑誌などで報道され、新体制の極真会鎗と大山倍達の遺族との間に確執があることが露見した。
1994年6月23日、大山恵喜(次女)と大山喜久子(三女)の記者会見から3日後、盧山初雄、西田幸夫、廣重毅、山田雅捻が記者懇談会を開いた。
建前は新体制の人事の発表。
しかし実は遺族が開いた会見に対する釈明だったが、総本部ではなく池袋のメトロポリタンホテルで開いたり、呼ばれたのは格闘技専門誌の記者ので、名称も「懇談会」とするなど遺族を尊重する姿勢をみせた。
「遺言書は家庭裁判所に提出中で、手続きが完了次第、遺族に原本を返却する予定です。
遺族の方々に対しては今後も大山総裁の生前と変わらぬ思いで接していきたいと思っています」
(山田雅捻)
「裏で遺族を焚きつけている一部の支部長がいることをか突き止めています。
彼らに対しては処分も考えています」
(盧山初雄)
と説明した。
遺言書に大山倍達の署名捺印がないことについて、極真会館相談役でもある長島憲一弁護士はおかしなことではないという。
「民法では病気やケガで本人自身が遺言書を作成することが困難な場合、3名以上の証人の立ち会いのもとに代理人が口述筆記を行なうことが認められています。
これを危急時遺言といいますが、この遺言書がまさにそれに当たります。
遺族の方は本人の署名がないのがおかしいとおっしゃっていますが危急時遺言の場合は署名があるとかえって無効になってしまうのです」
格闘技ファンや門下生を含め世間はマスコミが伝える「極真の内紛」を静観するしかなかった。
「大山倍達総裁の遺言状の疑義について、午後2時より記者会見を行う」
というFaxが東京のマスコミ各社に届き、テレビ2社を含む20名が極真会館総本部に集まった。
14時、大阪で全国支部長会議が開かれている裏で、大山倍達が死去した日に誕生した生後2ヵ月の娘:桃果林を抱いた大山恵喜(次女)と大山喜久子(三女)が記者会見を開いた。
大山恵喜(次女は
「遺言書の内容はさておいて、その作成過程に疑義があり、今後の極真会館の発展のためにも到底用委任できるものではない」
といい、その理由を
・大山倍達の自筆の署名も口授の録音テープもないこと
・遺言書の証人に利害関係のない第3者がいないこと
・遺言書の作成時に母親が病室から出されたこと
とした。
「松井館長を認めないか?」
と聞かれると
「遺言書に疑いがある以上、指名された松井さんは真の後継者とはいえない。
でも松井さんはすでに館長気取りで会館にいます」
と答えた。
「6月1日に母が緊急全国支部長会議を招集しましたが梅田さんや松井さんがストップをかけて母を千葉県に拉致してしまったり、彼らの遺族に対する扱いに不満を持っています」
「遺言は代筆による不完全なものであり、大山倍達自身の署名も捺印もなければ、口述を録音したテープもない。
その上、遺言の作成遇程にあまりに不明な点が多く、偽造の可能佳が高い。
よってその遺言書に記されてる松井章圭氏を、自分たちは後継として認める事は出来ない」
「自分たちは大山倍達の死因そのものにも大きな懐疑を抱いている」
と訴えた。
そして遺言書の無効と執行差し止め請求を東京地裁に提訴することを発表した。
遺言書では、智弥子未亡人、長女の留壱琴、二女の恵喜、三女の喜久子に対し、毎月それぞれ100万円支払われる。
石神井の自宅、御宿の土地、湯河原の別荘など不動産も未亡人と娘たちが相続。
極真会館へ寄贈が指示されてる本部道場の土地と建物は相続税を考慮すれば、遺族にとって不利とはいえない。
「文面の通りにお金をいただけるんなら、こんなありがたい遺言書はない。
母はともかく、私たちは働く事が出来ます。
本部道場の建物と土地にしても、確かに遺言書通り極真会館に寄付した方が、金銭的に有利な事もわかってる。
不満なのは、お金のことではない。
遺言書がインチキで、作成に関わった人と、それに動いてる人たちが許せないといってるんです。
とにかく松井さんたちとは一緒にやっていくつもりはありません。
遺言書の偽造を一日も早く証明して、あの人たちには本部道場から出ていってもらいたいんです。
建物の相続税がかかるならば、石神井の家を売ってでもそれを払って、父が建てたあの建物を守りたいと思っています。
とにかく、あの人たちに父が残したものをこれ以上好きにされるのは、絶対に許せないんです」
大山恵喜(次女)は
「マスコミの皆さんの力を借りてこれら疑惑を晴らしたいと思っています」
と会見を締めくくった。
このショッキングな会見は、テレビ、新聞、雑誌などで報道され、新体制の極真会鎗と大山倍達の遺族との間に確執があることが露見した。
1994年6月23日、大山恵喜(次女)と大山喜久子(三女)の記者会見から3日後、盧山初雄、西田幸夫、廣重毅、山田雅捻が記者懇談会を開いた。
建前は新体制の人事の発表。
しかし実は遺族が開いた会見に対する釈明だったが、総本部ではなく池袋のメトロポリタンホテルで開いたり、呼ばれたのは格闘技専門誌の記者ので、名称も「懇談会」とするなど遺族を尊重する姿勢をみせた。
「遺言書は家庭裁判所に提出中で、手続きが完了次第、遺族に原本を返却する予定です。
遺族の方々に対しては今後も大山総裁の生前と変わらぬ思いで接していきたいと思っています」
(山田雅捻)
「裏で遺族を焚きつけている一部の支部長がいることをか突き止めています。
彼らに対しては処分も考えています」
(盧山初雄)
と説明した。
遺言書に大山倍達の署名捺印がないことについて、極真会館相談役でもある長島憲一弁護士はおかしなことではないという。
「民法では病気やケガで本人自身が遺言書を作成することが困難な場合、3名以上の証人の立ち会いのもとに代理人が口述筆記を行なうことが認められています。
これを危急時遺言といいますが、この遺言書がまさにそれに当たります。
遺族の方は本人の署名がないのがおかしいとおっしゃっていますが危急時遺言の場合は署名があるとかえって無効になってしまうのです」
格闘技ファンや門下生を含め世間はマスコミが伝える「極真の内紛」を静観するしかなかった。
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6月26日、東京都港区の青山葬儀所で大山倍達の葬儀が営まれ、国内外から6000名が訪れた。
その中には新日本プロレスの坂口征二社長、リングスの前田日明、シュートボクシングのシーザー武志、
USA大山カラテの大山茂と泰彦兄弟、正道塾の中村忠、佐藤塾の佐藤勝昭、大道塾の東孝、正道会館の石井和義などもいた。
遺影の中の大山倍達は、空手着を着て10段を示す10本の線が入った黒帯を握りしめていた。
松井章圭は弔辞のとき「館長」ではなく「葬儀委員長、松井章圭本部師範」と呼ばれた。
そして大山智弥子、津浦伸彦と退場通路に並んで参列者を見送った。
そのとき会場の外、弔問者の列の横で、大山恵喜(次女)と大山喜久子(三女)が、大山倍達の遺骨と位牌を持って抗議活動を始めた。
「父の死には不審な点があります。
遺言書についてもおかしな点があたくさんあります。
皆さん、真実を知ってください」
そういいながら先日の記者会見と同様の声明文を配った。
やがて盧山初雄の指示を受けた支部長や門下生300名が周囲を取り囲んだ。
この異様な光景は翌日のスポーツ紙によって報道された。
抗議活動を止められた大山恵喜(次女)は
「中に入りたくない」
と式は途中だったが遺骨を東京都練馬区上石神井の大山家に持ち帰り、押し入れの中に入れた。
押し入れには掃除機なども入っていたが、以後3年、ここが大山倍達の居場所となった。
弔問者は遺骨も位牌もない祭壇に手を合わせ続けた。
その夜、港区赤坂の明治記念館で、弔問のために来日した海外の支部長と国内の支部長が参加して臨時支部長会議が開かれた。
まず海外の支部長たちが松井章圭の2代目館長の是非が問われ、承認された。
そして「裏で遺族を焚きつけている一部の支部長」として高木薫が盧山初雄から追求された。
「お前が事務長や娘さんたちをけしかけているんだろう。
一体何をしているんだ」
「違います」
「事務長に手紙を出させたり娘さんたちに記者会見や抗議活動をさせたりしたのはお前じゃないのか」
「私がけしかけたのではありません。
師範、それはいいがかりですよ」
「あることないこと週刊誌に暴露しようとしているじゃないか」
「総裁の死や遺言書におかしな点があるから相談に乗ってほしいと奥さんにいわれたので話を聞いただけです」
「お前が極真の商標権をとろうと動いていることも知っているんだぞ。
ウエイト制では途中で帰ってしまうし、それが支部長のやることか」
郷田勇三も厳しい声を上げた。
高木薫は突っぱね続け、3人の押し問答は1時間以上も続いた。
結局、郷田勇三と盧山初雄は、「高木薫の除名処分」について、それまで黙って聞いていた約40名の他の支部長たちに問うた。
すると過半数の支部長が除名処分に賛成した。
しかし
「長年一緒にやってきた仲間をこのような形で簡単に除名するのはよくないと思います」
松島良一(群馬県支部長)
「採決は採決としてもう1度高木と話し合ってから結論を出したほうがいいのではないですか」
桝田博(茨木県支部長)
極真会館の審判長と副審判長というポストにある2人が反対を表明。
しかし高木薫は潔く
「いや。
私はもう皆さんと考え方が合わないし一緒にもやりたくない」
と自ら席を立ち去っていった。
4人の支部長(手塚暢人、安済友吉、小野寺勝美、林栄次郎)がそれを追った。
5人の支部長が会場から姿を消し、松井章圭はいった。
「自ら出て行ってしまったのだから仕方ありません。
改めて高木支部長は除名処分でよろしいですね?」
こうして高木薫は除名処分、他の4名は処分保留となった。
9月11日、6月26日の会議で高木薫を追って退場し、その後、松井章圭の呼びかけを拒否し続けた4名の支部長の除名処分が決まった。
9月26日、高木薫、手塚暢人、安済友吉、小野寺勝美、林栄次郎が東京地方裁判所に松井章圭に対して「職務停止」と「地位保全」の仮処分を申し立てた。
「家庭裁判所の確認が下りていない遺言書で指名された松井が2代目館長を名乗るのはおかしいし、我々を処分する権利はない」
この後、5人は遺族と頻繁に会合を重ね、旧知の支部長たちに連絡を送った。
「松井は故大山総裁に対し生前も現在 も「 裏切り者」 呼ばわり を し て い ます。
これ は大山 総裁 が国籍を韓国 から日本 へ移し、しかも大会 等では「 君が代」 の もと に平伏し て いる こと に対する 非難 です」
「偉大なる師、大山倍達亡き後、健全なる組織として極真会を一層発展させるために、我々、5支部長と共に立ち上がってくれる有志からの連絡を待ち望んでいます」
その中には新日本プロレスの坂口征二社長、リングスの前田日明、シュートボクシングのシーザー武志、
USA大山カラテの大山茂と泰彦兄弟、正道塾の中村忠、佐藤塾の佐藤勝昭、大道塾の東孝、正道会館の石井和義などもいた。
遺影の中の大山倍達は、空手着を着て10段を示す10本の線が入った黒帯を握りしめていた。
松井章圭は弔辞のとき「館長」ではなく「葬儀委員長、松井章圭本部師範」と呼ばれた。
そして大山智弥子、津浦伸彦と退場通路に並んで参列者を見送った。
そのとき会場の外、弔問者の列の横で、大山恵喜(次女)と大山喜久子(三女)が、大山倍達の遺骨と位牌を持って抗議活動を始めた。
「父の死には不審な点があります。
遺言書についてもおかしな点があたくさんあります。
皆さん、真実を知ってください」
そういいながら先日の記者会見と同様の声明文を配った。
やがて盧山初雄の指示を受けた支部長や門下生300名が周囲を取り囲んだ。
この異様な光景は翌日のスポーツ紙によって報道された。
抗議活動を止められた大山恵喜(次女)は
「中に入りたくない」
と式は途中だったが遺骨を東京都練馬区上石神井の大山家に持ち帰り、押し入れの中に入れた。
押し入れには掃除機なども入っていたが、以後3年、ここが大山倍達の居場所となった。
弔問者は遺骨も位牌もない祭壇に手を合わせ続けた。
その夜、港区赤坂の明治記念館で、弔問のために来日した海外の支部長と国内の支部長が参加して臨時支部長会議が開かれた。
まず海外の支部長たちが松井章圭の2代目館長の是非が問われ、承認された。
そして「裏で遺族を焚きつけている一部の支部長」として高木薫が盧山初雄から追求された。
「お前が事務長や娘さんたちをけしかけているんだろう。
一体何をしているんだ」
「違います」
「事務長に手紙を出させたり娘さんたちに記者会見や抗議活動をさせたりしたのはお前じゃないのか」
「私がけしかけたのではありません。
師範、それはいいがかりですよ」
「あることないこと週刊誌に暴露しようとしているじゃないか」
「総裁の死や遺言書におかしな点があるから相談に乗ってほしいと奥さんにいわれたので話を聞いただけです」
「お前が極真の商標権をとろうと動いていることも知っているんだぞ。
ウエイト制では途中で帰ってしまうし、それが支部長のやることか」
郷田勇三も厳しい声を上げた。
高木薫は突っぱね続け、3人の押し問答は1時間以上も続いた。
結局、郷田勇三と盧山初雄は、「高木薫の除名処分」について、それまで黙って聞いていた約40名の他の支部長たちに問うた。
すると過半数の支部長が除名処分に賛成した。
しかし
「長年一緒にやってきた仲間をこのような形で簡単に除名するのはよくないと思います」
松島良一(群馬県支部長)
「採決は採決としてもう1度高木と話し合ってから結論を出したほうがいいのではないですか」
桝田博(茨木県支部長)
極真会館の審判長と副審判長というポストにある2人が反対を表明。
しかし高木薫は潔く
「いや。
私はもう皆さんと考え方が合わないし一緒にもやりたくない」
と自ら席を立ち去っていった。
4人の支部長(手塚暢人、安済友吉、小野寺勝美、林栄次郎)がそれを追った。
5人の支部長が会場から姿を消し、松井章圭はいった。
「自ら出て行ってしまったのだから仕方ありません。
改めて高木支部長は除名処分でよろしいですね?」
こうして高木薫は除名処分、他の4名は処分保留となった。
9月11日、6月26日の会議で高木薫を追って退場し、その後、松井章圭の呼びかけを拒否し続けた4名の支部長の除名処分が決まった。
9月26日、高木薫、手塚暢人、安済友吉、小野寺勝美、林栄次郎が東京地方裁判所に松井章圭に対して「職務停止」と「地位保全」の仮処分を申し立てた。
「家庭裁判所の確認が下りていない遺言書で指名された松井が2代目館長を名乗るのはおかしいし、我々を処分する権利はない」
この後、5人は遺族と頻繁に会合を重ね、旧知の支部長たちに連絡を送った。
「松井は故大山総裁に対し生前も現在 も「 裏切り者」 呼ばわり を し て い ます。
これ は大山 総裁 が国籍を韓国 から日本 へ移し、しかも大会 等では「 君が代」 の もと に平伏し て いる こと に対する 非難 です」
「偉大なる師、大山倍達亡き後、健全なる組織として極真会を一層発展させるために、我々、5支部長と共に立ち上がってくれる有志からの連絡を待ち望んでいます」
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10月3日、松井章圭は自らを取締役として「(有)極真」を法務局に登記した。
それまで極真会館は、法律上、「権利能力なき社団」だった。
法人は大きく分けて、
1 社団法人、財団法人
2 株式会社などの営利法人
3 学校法人、社会福祉法人、中小企業協同組合
があるが、いずれも法律の規定に従って設立される必要があり、これら法律によって設立された法人以外の団体はすべて「権利能力なき社団」となる。
極真は、世界中に多くの支部と門下生を抱える巨大組織でありながら、大山倍達の個人商店だった。
しかし松井章圭はに極真を法人化させる必要があった。
「大山総裁存命中も、グレートマウンテンという財務管理目的の株式会社がありましたが、株主が総裁だったり遺族に帰属する部分があったりと権利関係の問題が複雑だったため、まっさらな状態で我々が運用・処理できる法人をつくる必要がありました。
総裁が亡くなった時点で極真会館は「権利能力なき社団」であり、これを代表するのは個人ですが個人で財務管理するわけにはいかないため便宜的に法人をつくろうということで(有)極真をつくったのです」
(松井章圭)
青少年育成を目的とする武道団体として、また税金の優遇を受けられるという点でも、社団法人、財団法人化することが望ましかったが、その審査は非常に厳しく、当面の策として有限会社を設立された。
それまで極真会館は、法律上、「権利能力なき社団」だった。
法人は大きく分けて、
1 社団法人、財団法人
2 株式会社などの営利法人
3 学校法人、社会福祉法人、中小企業協同組合
があるが、いずれも法律の規定に従って設立される必要があり、これら法律によって設立された法人以外の団体はすべて「権利能力なき社団」となる。
極真は、世界中に多くの支部と門下生を抱える巨大組織でありながら、大山倍達の個人商店だった。
しかし松井章圭はに極真を法人化させる必要があった。
「大山総裁存命中も、グレートマウンテンという財務管理目的の株式会社がありましたが、株主が総裁だったり遺族に帰属する部分があったりと権利関係の問題が複雑だったため、まっさらな状態で我々が運用・処理できる法人をつくる必要がありました。
総裁が亡くなった時点で極真会館は「権利能力なき社団」であり、これを代表するのは個人ですが個人で財務管理するわけにはいかないため便宜的に法人をつくろうということで(有)極真をつくったのです」
(松井章圭)
青少年育成を目的とする武道団体として、また税金の優遇を受けられるという点でも、社団法人、財団法人化することが望ましかったが、その審査は非常に厳しく、当面の策として有限会社を設立された。
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10月29日、30日、第26回全日本大会が開催された。
翌年の第6回世界大会の日本代表の選抜も兼ねた大会の決勝戦は、八巻建志 vs 数見 肇。
2人共、廣重毅の城南支部だった。
廣重毅は独特の空手観を持っていた。
「ウエイトトレーニングで全身をパワーアップさせ、砂袋で拳や脛を強くして攻撃すれば相手は倒れる」
というような単純明快なパワー空手を
「力任せの空手では、より力が強い相手には負ける」
とフォーム、呼吸、脱力などにも重点を置いて指導した。
また道場生1人1人の体格や体格に合わせて空手を考え指導する空手の職人だった。
その指導や厳しくも愛情に満ちていて、弟子との信頼関係は深かった。
かつて全日本大会で松井章圭を苦しめ、大山倍達に審判を替えさせ、判定で勝った松井章圭に
「勝った気がしない」
といわせた堺貞夫も城南支部だった。
松井章圭はその後、決勝戦で黒澤浩樹に勝ったが、黒澤浩樹は城西支部だった。
廣重毅の城南支部は1978年6月、山田雅捻の城西支部は1978年8月に設立された。
その後、隣り合うテリトリーで長年ライバル関係を続けてきた。
大山倍達が亡くなった1994年の全日本大会のベスト8のうち7名を城西支部と城南支部で占めた。
極真の試合のルールでは顔面を突くことを禁じられていたが、顔面パンチはないとばかりに前へ前へ出ていく方が、特に初級レベルでは有利だった。
しかし本当に強い空手を追求していた廣重毅は、そういうことを
「試合のルールの悪用」
「実戦的ではない」
と否定。
城南の道場生には、そういった戦い方を禁じ、顔面ナシの試合でも顔面アリの空手を望んだ。
合理的な考え方と練習をする城西支部は、試合で倒す組手、勝つ組手を実践し、全日本大会など大きな大会でも派手に勝っていた。
それに比べ城南支部はあまり活躍できていなかった。
あるとき城西支部の道場生が城南支部の道場生に
「城南は弱い」
といったことがあった。
それを知って「カチンときた」廣重毅は、本気で試合で勝つことに取り組み始めた。
ただし
「あのような組手はやらない」
と誓いながら。
そして緑健児、八巻建志 、数見 肇、塚本徳臣など世界クラスの強豪を育てた。
城南支部の道場生に「城南は弱い」といったのは黒澤浩樹だといわれている。
翌年の第6回世界大会の日本代表の選抜も兼ねた大会の決勝戦は、八巻建志 vs 数見 肇。
2人共、廣重毅の城南支部だった。
廣重毅は独特の空手観を持っていた。
「ウエイトトレーニングで全身をパワーアップさせ、砂袋で拳や脛を強くして攻撃すれば相手は倒れる」
というような単純明快なパワー空手を
「力任せの空手では、より力が強い相手には負ける」
とフォーム、呼吸、脱力などにも重点を置いて指導した。
また道場生1人1人の体格や体格に合わせて空手を考え指導する空手の職人だった。
その指導や厳しくも愛情に満ちていて、弟子との信頼関係は深かった。
かつて全日本大会で松井章圭を苦しめ、大山倍達に審判を替えさせ、判定で勝った松井章圭に
「勝った気がしない」
といわせた堺貞夫も城南支部だった。
松井章圭はその後、決勝戦で黒澤浩樹に勝ったが、黒澤浩樹は城西支部だった。
廣重毅の城南支部は1978年6月、山田雅捻の城西支部は1978年8月に設立された。
その後、隣り合うテリトリーで長年ライバル関係を続けてきた。
大山倍達が亡くなった1994年の全日本大会のベスト8のうち7名を城西支部と城南支部で占めた。
極真の試合のルールでは顔面を突くことを禁じられていたが、顔面パンチはないとばかりに前へ前へ出ていく方が、特に初級レベルでは有利だった。
しかし本当に強い空手を追求していた廣重毅は、そういうことを
「試合のルールの悪用」
「実戦的ではない」
と否定。
城南の道場生には、そういった戦い方を禁じ、顔面ナシの試合でも顔面アリの空手を望んだ。
合理的な考え方と練習をする城西支部は、試合で倒す組手、勝つ組手を実践し、全日本大会など大きな大会でも派手に勝っていた。
それに比べ城南支部はあまり活躍できていなかった。
あるとき城西支部の道場生が城南支部の道場生に
「城南は弱い」
といったことがあった。
それを知って「カチンときた」廣重毅は、本気で試合で勝つことに取り組み始めた。
ただし
「あのような組手はやらない」
と誓いながら。
そして緑健児、八巻建志 、数見 肇、塚本徳臣など世界クラスの強豪を育てた。
城南支部の道場生に「城南は弱い」といったのは黒澤浩樹だといわれている。
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12月26日、高木薫、手塚暢人、安済友吉、小野寺勝美、林栄次郎の訴えを東京地方裁判所は却下した。
同日、大山留壹琴(長女)は、極真の関係者に手紙を送った。
「そもそも遺言という言葉を聞いたのは、父が死去した当日、梅田氏の話からです。
私たち遺族は父の口からは何も聞かされなかったので不思議に思いました。
ただ説明を求める間もありませんでした。
後で知ったことですが、第3者が数日かけて仕上げ、5人の方々が署名捺印した後、危急時遺言として家庭裁判所に提出したといいます。
遺言書なるものに記して内容は私たち遺族は絶対に納得できません。
私はいたずらに騒ぎを大きくするよりも家庭裁判所に遺言書が却下されれば混乱している弟子の方たちと話し合えばいいと思っていたし、不本意な結果となったら起訴して真実を知りたいと思っていました。
ところが遺言書に指名されたとして2代目館長を名乗る松井一派は、あたかも遺言書が法的に認知されたかのごとく行動しています。
なぜ家庭裁判所の手続きが終わるまで待てなかったのか。
彼らの既成事実の積み上げをただ黙認すれば、より大きな混乱の原因になると思い手紙を書きました」
大山智弥子、大山恵喜(次女)、大山喜久子(三女)は、高木薫らと一緒に行動をとったが、大山留壹琴(長女)だけは参加せず、独自路線をいった。
1974年生まれで、まだ大山道場だったため貧しい少女時代を過ごした長女は、極真会館になった後に生まれ、アメリカで暮らす妹たちを
「生まれながらのお嬢様で内弟子や支部長たちにチヤホヤされて育ったせいか、何でも自分の思い通りになると思っている」
大山倍達がかわいがっていた高木薫に助力を求められると受け入れてしまう母親も
「母は支部長たちはみんな父の弟子という感覚。
松井さんもかわいい弟子。
三瓶さんもかわいい弟子。
みんな同じくかわいい弟子。
だから分裂騒動もきちんと把握できないしなにもできない」
と思っていた。
夫:津浦伸彦こそ後継者にふさわしいという信念を持ち、この後も何度か関係者に手紙を送った。
同日、大山留壹琴(長女)は、極真の関係者に手紙を送った。
「そもそも遺言という言葉を聞いたのは、父が死去した当日、梅田氏の話からです。
私たち遺族は父の口からは何も聞かされなかったので不思議に思いました。
ただ説明を求める間もありませんでした。
後で知ったことですが、第3者が数日かけて仕上げ、5人の方々が署名捺印した後、危急時遺言として家庭裁判所に提出したといいます。
遺言書なるものに記して内容は私たち遺族は絶対に納得できません。
私はいたずらに騒ぎを大きくするよりも家庭裁判所に遺言書が却下されれば混乱している弟子の方たちと話し合えばいいと思っていたし、不本意な結果となったら起訴して真実を知りたいと思っていました。
ところが遺言書に指名されたとして2代目館長を名乗る松井一派は、あたかも遺言書が法的に認知されたかのごとく行動しています。
なぜ家庭裁判所の手続きが終わるまで待てなかったのか。
彼らの既成事実の積み上げをただ黙認すれば、より大きな混乱の原因になると思い手紙を書きました」
大山智弥子、大山恵喜(次女)、大山喜久子(三女)は、高木薫らと一緒に行動をとったが、大山留壹琴(長女)だけは参加せず、独自路線をいった。
1974年生まれで、まだ大山道場だったため貧しい少女時代を過ごした長女は、極真会館になった後に生まれ、アメリカで暮らす妹たちを
「生まれながらのお嬢様で内弟子や支部長たちにチヤホヤされて育ったせいか、何でも自分の思い通りになると思っている」
大山倍達がかわいがっていた高木薫に助力を求められると受け入れてしまう母親も
「母は支部長たちはみんな父の弟子という感覚。
松井さんもかわいい弟子。
三瓶さんもかわいい弟子。
みんな同じくかわいい弟子。
だから分裂騒動もきちんと把握できないしなにもできない」
と思っていた。
夫:津浦伸彦こそ後継者にふさわしいという信念を持ち、この後も何度か関係者に手紙を送った。
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1995年1月11日5時、総本部道場で稽古初め。
全国の支部長と道場生が気合を入れて汗をかいた。
稽古後、メトロポリタンホテルで支部長会議が行われ、松井章圭は、
「今年から会員制度を実施したいと思っています」
と発表した。
2代目館長就任後、当面の課題は、6月の第11回全日本ウエイト制大会と10月の第26回全日本大会、そして翌年に行われる第6回世界大会の開催だった。
巨額の費用が必要だったが、生前、大山倍達が
「極真は君たち門下生全員のものなんだよ。
もしも私が死んだ後に金が遺してあったら、私の墓に来て唾を吐きなさい」
といっていたように総本部の金庫は空同然だった。
門下生数1200万人というのは、累積入門者数なので実質的な道場生数はおそらく1/10以下。
極真会館の主な収入源は、道場生の入会費、月謝、昇級・昇段の認可料、大会の入場料などがあるが、それらを合わせて総本部に集まってくるお金はおそらく年間2~3億円。
そこから職員や指導員の人件費、会館の運営費まで出していかなければならない。
松井章圭は、全国を飛び回って、資金援助をしてくれる企業や後援者を訪ね歩いた。
そして何とか開催にこぎつけた第11回全日本ウエイト制大会と第26回全日本大会は、お家騒動のおかげもあって大観衆が詰めかけた。
「いつまでも他人様の米びつで飯は食えない。
やはり日々の組織活動の中から活動資金を捻出できなければいけない」
と松井章圭は、総本部による門下生の一元管理システムを導入しようと決意した。
当然、支部長から反対されることが予想されたが、松井章圭は
「支部長たちは門下生を自分だけの弟子と考えているが、門下生は等しく極真の会員で大山倍達総裁の弟子である」
と考えていた。
「組織を発展させるためにも総本部が末端組織まで一元管理することは必要不可欠です。
本来、総本部が道場生の実数を把握していないのはおかしな話です。
これはどんな組織であれ当たり前に行っていることです。
私は極真会館にもこの制度を導入しようと考えています」
まだ前時代的だった会員管理をコンピューターを導入し行うことを提案した。
支部は、入門者のすべての道場生と入門者をコンピューター登録。
総本部と支部のコンピューターはオンラインで結ばれ、情報を共有。
登録された道場生は、年会費と月会費を払い、写真つき会員証カードや、会報、グッズの割引販売、再入門時の入会費の免除などのサービスなどを受けられる。
年会費は、総本部が100%徴収。
月会費は、総本部が一括回収し、数%を徴収した後に各支部に戻される。
全国の支部長と道場生が気合を入れて汗をかいた。
稽古後、メトロポリタンホテルで支部長会議が行われ、松井章圭は、
「今年から会員制度を実施したいと思っています」
と発表した。
2代目館長就任後、当面の課題は、6月の第11回全日本ウエイト制大会と10月の第26回全日本大会、そして翌年に行われる第6回世界大会の開催だった。
巨額の費用が必要だったが、生前、大山倍達が
「極真は君たち門下生全員のものなんだよ。
もしも私が死んだ後に金が遺してあったら、私の墓に来て唾を吐きなさい」
といっていたように総本部の金庫は空同然だった。
門下生数1200万人というのは、累積入門者数なので実質的な道場生数はおそらく1/10以下。
極真会館の主な収入源は、道場生の入会費、月謝、昇級・昇段の認可料、大会の入場料などがあるが、それらを合わせて総本部に集まってくるお金はおそらく年間2~3億円。
そこから職員や指導員の人件費、会館の運営費まで出していかなければならない。
松井章圭は、全国を飛び回って、資金援助をしてくれる企業や後援者を訪ね歩いた。
そして何とか開催にこぎつけた第11回全日本ウエイト制大会と第26回全日本大会は、お家騒動のおかげもあって大観衆が詰めかけた。
「いつまでも他人様の米びつで飯は食えない。
やはり日々の組織活動の中から活動資金を捻出できなければいけない」
と松井章圭は、総本部による門下生の一元管理システムを導入しようと決意した。
当然、支部長から反対されることが予想されたが、松井章圭は
「支部長たちは門下生を自分だけの弟子と考えているが、門下生は等しく極真の会員で大山倍達総裁の弟子である」
と考えていた。
「組織を発展させるためにも総本部が末端組織まで一元管理することは必要不可欠です。
本来、総本部が道場生の実数を把握していないのはおかしな話です。
これはどんな組織であれ当たり前に行っていることです。
私は極真会館にもこの制度を導入しようと考えています」
まだ前時代的だった会員管理をコンピューターを導入し行うことを提案した。
支部は、入門者のすべての道場生と入門者をコンピューター登録。
総本部と支部のコンピューターはオンラインで結ばれ、情報を共有。
登録された道場生は、年会費と月会費を払い、写真つき会員証カードや、会報、グッズの割引販売、再入門時の入会費の免除などのサービスなどを受けられる。
年会費は、総本部が100%徴収。
月会費は、総本部が一括回収し、数%を徴収した後に各支部に戻される。
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「どういうことですか」
「理由がわかりません」
「得をするのは総本部だけじゃないですか」
「総裁もしなかったことをなぜやるのか」
「そんな権利があるのか」
とほぼ全支部長が反対。
松井章圭は
「最大の目的は会員数や会員の情報を総本部が把握することです。
そういう情報を得ることで組織運営の方向性がみえてきます。
当然、運営資金を確保する意味もあります。
総本部だけが得をするといいますが、総本部は支部と違い大規模な大会開催や海外視察など支出も支部の比ではありません。
それに皆さんにもメリットはあります。月会費は銀行引き落としにするわけですが国内に100万人以上の会員を持つ極真会館は銀行からすれば大口の顧客となるのでいろいろ便宜をはかってくれます。
支部ごとに行うより間違いなく引き落とし手数料を低く設定できます。
数%総本部が徴収しても安くなった手数料分で補える支部もあるでしょう。
それに大手の銀行と取引すれば、地元の支店を通して後援者などを紹介してもらえたり融資も個人契約より便宜をはかってくれたりするでしょう。
つまりスケールメリットが高いということです」
と説明した。
しかし多くの支部長は聞く耳を持たず、結局、会員情報の一元管理は決まったが、月会費の一括徴収は先送りとなった。
これまで新しく入門者が入ると、支部は書類に記入してもらい総本部に提出。
総本部はそれを帳面に書きこんだ。
緩い管理の下で、入門者を報告しなかったり、道場生の数を少なくする支部もあった。
3段以上は総本部で受けなければならないが、2段までは昇級昇段試験は支部で行われる。
受験料は10000円で、昇級、昇段すれば手数料が発生する。
支部は受験料の一部と手数料を総本部に納め、総本部は帯を発行する。
そういう取り決めだったが、お金を納めずに帯も自分のところで発行する支部もあった。
こうしたことを大山倍達も総本部も見て見ぬふりをしてきたが、会員制度が実現すればそれは不可能となる。
これまで三瓶啓二を中心としたグループや高木薫たちが反松井を表明していたが、これ以降、これまで松井章圭を受け入れ支持していた支部長たちも密かに批判の声を上げ始め、反松井派は数を増していった。
「支部長たちはその裏にある危険な意図を敏感に感じ取ったわけです。
いったん本部に全部お金が入って、そこからというシステムにしたかったみたいですが、そうなると支部長は松井君の単なる雇われマダムになる危険性があるわけです。
彼の人間性ならそれをやりかねない」
大濱博幸(広島県支部長)
「理由がわかりません」
「得をするのは総本部だけじゃないですか」
「総裁もしなかったことをなぜやるのか」
「そんな権利があるのか」
とほぼ全支部長が反対。
松井章圭は
「最大の目的は会員数や会員の情報を総本部が把握することです。
そういう情報を得ることで組織運営の方向性がみえてきます。
当然、運営資金を確保する意味もあります。
総本部だけが得をするといいますが、総本部は支部と違い大規模な大会開催や海外視察など支出も支部の比ではありません。
それに皆さんにもメリットはあります。月会費は銀行引き落としにするわけですが国内に100万人以上の会員を持つ極真会館は銀行からすれば大口の顧客となるのでいろいろ便宜をはかってくれます。
支部ごとに行うより間違いなく引き落とし手数料を低く設定できます。
数%総本部が徴収しても安くなった手数料分で補える支部もあるでしょう。
それに大手の銀行と取引すれば、地元の支店を通して後援者などを紹介してもらえたり融資も個人契約より便宜をはかってくれたりするでしょう。
つまりスケールメリットが高いということです」
と説明した。
しかし多くの支部長は聞く耳を持たず、結局、会員情報の一元管理は決まったが、月会費の一括徴収は先送りとなった。
これまで新しく入門者が入ると、支部は書類に記入してもらい総本部に提出。
総本部はそれを帳面に書きこんだ。
緩い管理の下で、入門者を報告しなかったり、道場生の数を少なくする支部もあった。
3段以上は総本部で受けなければならないが、2段までは昇級昇段試験は支部で行われる。
受験料は10000円で、昇級、昇段すれば手数料が発生する。
支部は受験料の一部と手数料を総本部に納め、総本部は帯を発行する。
そういう取り決めだったが、お金を納めずに帯も自分のところで発行する支部もあった。
こうしたことを大山倍達も総本部も見て見ぬふりをしてきたが、会員制度が実現すればそれは不可能となる。
これまで三瓶啓二を中心としたグループや高木薫たちが反松井を表明していたが、これ以降、これまで松井章圭を受け入れ支持していた支部長たちも密かに批判の声を上げ始め、反松井派は数を増していった。
「支部長たちはその裏にある危険な意図を敏感に感じ取ったわけです。
いったん本部に全部お金が入って、そこからというシステムにしたかったみたいですが、そうなると支部長は松井君の単なる雇われマダムになる危険性があるわけです。
彼の人間性ならそれをやりかねない」
大濱博幸(広島県支部長)
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1995年1月17日、阪神大震災が発生。
自宅や本部道場、分支部道場など甚大な被害を被り、
「後継者どころじゃなかった」
という中村誠に、反松井から合流を促す電話やFaxが届いた。
しかし松井章圭は現地へ訪ねていき、大先輩に対して心からのねぎらいの言葉をかけただけで帰っていった。
「反松井派の連中は自分のことしか考えず電話で一方的にいいっぱなしなのに、館長はそんなゴタゴタなんかなあーんもいわずに、ただお見舞いときた。
よし、俺はこの男を、なにがなんでも守り立てちゃろうと思った」
1995年2月、廣重毅は西田幸夫に電話を入れた。
「自分のところに多くの支部長から松井に対する苦情が入っています。
かなり深刻なので支部長協議会議長である先輩にも彼らの話を聞いてほしいのですが・・・・」
「私も以前から松井ではダメだと思っていた。
長谷川(一幸)師範と大石(大吾)師範と3人で何度か話している。
彼らも松井に館長を任せておくことはできないといっている」
廣重毅は、郷田勇三、盧山初雄に次ぐ極真の3重鎮が松井章圭に不信感を持っていることに驚いた。
廣重毅は、独走する松井章圭の反省を促すことを考えていたが、西田幸夫らは松井章圭の2代目自体に不満を持っているようだった。
廣重毅は、三好一男(高知県支部長)、小林功[栃木県支部長]、柳渡聖人(岐阜県支部長)、大濱博幸(広島県支部長)、藤原康晴(長野県支部長)らに会合を開くことを伝えた。
三瓶啓二にも連絡したが
アフリカ遠征が控えていると参加は断られ
「帰国後、会合の内容を教えてほしい」
といわれた。
自宅や本部道場、分支部道場など甚大な被害を被り、
「後継者どころじゃなかった」
という中村誠に、反松井から合流を促す電話やFaxが届いた。
しかし松井章圭は現地へ訪ねていき、大先輩に対して心からのねぎらいの言葉をかけただけで帰っていった。
「反松井派の連中は自分のことしか考えず電話で一方的にいいっぱなしなのに、館長はそんなゴタゴタなんかなあーんもいわずに、ただお見舞いときた。
よし、俺はこの男を、なにがなんでも守り立てちゃろうと思った」
1995年2月、廣重毅は西田幸夫に電話を入れた。
「自分のところに多くの支部長から松井に対する苦情が入っています。
かなり深刻なので支部長協議会議長である先輩にも彼らの話を聞いてほしいのですが・・・・」
「私も以前から松井ではダメだと思っていた。
長谷川(一幸)師範と大石(大吾)師範と3人で何度か話している。
彼らも松井に館長を任せておくことはできないといっている」
廣重毅は、郷田勇三、盧山初雄に次ぐ極真の3重鎮が松井章圭に不信感を持っていることに驚いた。
廣重毅は、独走する松井章圭の反省を促すことを考えていたが、西田幸夫らは松井章圭の2代目自体に不満を持っているようだった。
廣重毅は、三好一男(高知県支部長)、小林功[栃木県支部長]、柳渡聖人(岐阜県支部長)、大濱博幸(広島県支部長)、藤原康晴(長野県支部長)らに会合を開くことを伝えた。
三瓶啓二にも連絡したが
アフリカ遠征が控えていると参加は断られ
「帰国後、会合の内容を教えてほしい」
といわれた。
ニックネーム 2020/10/31 14:05
極真カラテは大山ファンクラブであって格闘の「術」ではなかったのかな…
悲しいなぁ…