極真分裂.02  松井派、支部長協議会派、遺族派?
2020年10月27日 更新

極真分裂.02 松井派、支部長協議会派、遺族派?

1994年、大山倍達没後 激動の1年。

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ケープタウンでに行われるアフリカ選手権を視察し、その後、各支部で指導を行うため、松井章圭、三瓶啓二、緑健児、通訳として五来克仁(国際秘書、ニューヨーク支部長)、小林洋(極真会館公認契約カメラマン)は、2週間のアフリカ遠征に出発した。
到着した南アフリカのホテルでは、松井章圭がスイート、三瓶啓二と緑健児にはツインルームが用意されていた。
「押忍」
朝、松井章圭がホテルのロビーに出ていくと南アフリカ支部の支部長と門下生は立ち上がって十字を切った。
「押忍」
松井章圭は同じ挨拶を返した。
このときロビーにいた三瓶啓二はソファーに腰を下ろしたままだった。
ホテルのドアも車のドアも南アフリカの支部長が開けてくれたが三瓶啓二は松井章圭より先に入り、乗った。
夕食のときに松井章圭はいった。
「僕は先輩として三瓶師範を尊敬しています。
ただ僕は館長としてここにきているのです・
ですから公的な場では僕を立ててください。
お願いします」
「わかった」
三瓶啓二は松井章圭のほうをみずに答え、その後も態度を変えることはなかった。
五来克仁は松井章圭を館長として敬ったが、緑健児は三瓶啓二に従うような態度もみせた。
会議の会場に松井章圭が入るとアフリカの支部長たちは全員立ち上がって迎えたが、三瓶啓二だけは座ったまま無視。
逆に自分の前を挨拶もしないで通り過ぎる松井章圭に怒りの表情みせた。
緑健児はさすがに立ち上がったが、松井章圭の三瓶啓二に対する態度に不満の表情をみせた。
その後、三瓶啓二は
「おいおい、それはそうじゃなくてこうしろ」
と会議を進行していた松井章圭の肩を突いて発言を遮った。
松井章圭は最初は無視していたが、あまりにしつこいので
「おとなしく座っていてください」
といってジェスチャーでなだめた。
それでも三瓶啓二は態度を変えないので
「いま会議中ですから黙っていてください。
ご意見は後程伺いますから」
といった。
会議後、三瓶啓二と緑健児はいった。
「松井は何をカリカリしているんだ」
(三瓶啓二)
「松井先輩、館長だからって気取ってますよね。
何ですか、あの三瓶師範に対する態度は・・」
(緑健児)
三瓶啓二の非常識な態度と行動は、その後もずっと続いた。
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「三瓶師範、ちょっと話があるんですけど。
緑君も一緒に。
もしよろしければ小林さんも立ち会ってください」
帰国3日前、五来克仁も加わり5名全員が松井章圭の部屋に入った。
松井章圭はベッドに、三瓶啓二はそこから1番遠いソファーに座り松井章圭のほうをみようもしない。
「館長という立場上、三瓶先輩に対しては僭越といえるような態度や言動があったと思います。
まずそのことを謝ります。
失礼しました」
「いや、別にそんなことはどうでもいいよ」
「いいえ三瓶先輩、あえて先輩と呼ばせてもらいますが、自分にはまだいいたいことがあります」
松井章圭は三瓶啓二の数々の問題行動を挙げ、溜まりに溜まった鬱憤をぶちまけた。
「これらの行為が極真会館の将来を本当に思っておられる先輩のとる態度ですか。
自分は遊びで来ているんじゃない。
極真会館の公職としてこういう立場に立っているんです。
そのような場においては先輩後輩という立場を超えた立場というものがあってしかるべきじゃないですか。
このことを理解して、まずお互いが尊重し合うという関係に立てないですか。
僕は三瓶先輩を先輩として思わない日は1日もありません。
先輩が僕を館長として立ててくだされば僕だって先輩にキチンと対応します。
先輩が「館長、どうぞ」といってくれれば僕は「師範の方が先輩なのでどうぞ」といえるんです」
三瓶啓二も
「今日は直接打撃性でいこう」
と対応した。
やりとりが2時間ほど続いた後、三瓶啓二はいった。
「わかったよ。
今回は俺の負けだ。
これからはお前を立てるよ。
まあ、がんばれよ」
「やっとわかってくれた。
ここでのやりとりは他言無用にしよう」
と松井章圭がいい、小林洋が入れたワインで全員が乾杯。
しばらく談笑が続いたが
「それでもさ・・・・」
三瓶啓二が再び話を戻そうとした。
すると松井章圭がキレた。
「先輩、2時間もかけて話し合って、そこまでいうんでしたら話にならない。
さっき直接打撃制でいこうといいましたよね。
表へ出ましょう。
後輩が先輩に対してここまでのことをいうからには腹をくくっているんですよ。
やりましょうよ」
睨み合いが続いたが、先に目をそらしたのは三瓶啓二だった。
「いや、悪かったよ」
松井章圭は緑健児に目を移した。
「緑君もずっと僕に対して反発的な態度をとり続けていましたが、それは三瓶先輩への僕の態度が気に入らなかったということだけが理由ですか?」
松井章圭と緑健児は、大山倍達の生前は親しかった。
千葉県大会で戦ったこともあり、空手や稽古やトレーニングのことをよく話し合い、共に世界大会で優勝した。
「それだけじゃありません。
自分たちはまったく英語がわからないんです。
それなのに五来克仁は館長につきっきりで自分たちをケアしてくれない。
何をいっているかわからないしこちらの気持ちを伝えることもできませんでした」
「そうでしたか。
それじゃ次からはもう1人通訳をつけます。
三瓶先輩もわかってくれたなら僕はそれでいいですから、今までのことは全部水に流しましょう」
改めて全員で乾杯し、笑いを交えた雑談が続いた。
「最初はどうなることかと思ったが最後は空手家らしくきれいに終わった。
これが極真だね」
(小林洋)
翌朝、同部屋の三瓶啓二と緑健児は朝食のためにレストランにいった。
ビュッフェスタイルの朝食だったが椅子に座ったまま三瓶啓二は動かなかった。
「三瓶師範、取りにいかないんですか?」
「俺は館長を待ってるからいきたかったらお前は先にいけ」
結局、緑健児も一緒に待ち、松井章圭がレストランに姿を現すと立ち上がり
「おはようございます」
と頭を下げあいさつした。
松井章圭も丁寧にあいさつを返した。
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1995年2月15日、松井章圭がアフリカ遠征中、新宿京王プラザホテルで、大山智弥子を真ん中にして極真会館から除名された5名、高木薫、手塚暢人、安済友吉、小野寺勝美、林栄次郎が並んで
「大山智弥子・極真会館2代目就任」
の記者会見を開いた。
5人は
「松井たちがヤクザのように極真会館を乗っ取った」
「遺言書は総裁が死んだ後につくられた可能性もある」
「松井たちが預金通帳、現金、実印、土地建物の権利証を奪い、遺族の支払いも減らされ困っている」
「松井は全日本チャンピオン、世界チャンピオンにあったが、それは私は偶然じゃないかと」
と松井章圭を厳しく糾弾した。
大山智弥子
「あまり役に立ちそうにない館長ですけど、役に立ちたいと思っています。
私はね、館長という名をいただくほどの立場ではないんですよ。
でもやっぱり自分の気持ちを偽ってまで仏さんをお守りできないのでお仲間に入れてもらいました。
よろしくお願いします」
「私の気持ちとしては皆さんが松井さんともっと話し合ってほしいなという思いはあります。
夢にまでみますもん。
みんながニコニコしてるのを・・・
うれしいなと思っても実際に下に降りるともう嫌になっちゃう」
「私たち家族を大切にしてくれるなら私は松井さんでもいいのよ。
皆さん、極真が仲良く素晴らし団体になるようによろしくお願いしますね」
と何かが少しズレていた。
しかし大山智弥子の館長就任によって1つだった極真が割れた。
「極真会館」を名乗る団体が2つになり、松井章圭を館長とする極真を「松井派」、大山智弥子を館長とする極真は「遺族派」と呼ばれるようになった。
同時期、長谷川一幸、大石大吾、西田幸夫、廣重毅、小林功[栃木県支部長]、大濱博幸(広島県支部長)が東京港区新橋の第一ホテルで集まった。
「自分の後援会の人が、松井さんたちのやり方はヤクザの乗っ取りの手法だといっていました
許永中が乗っ取ろうとしているみたいですよ」
「それは俺も聞いている。
松井はヤクザの襲名披露のようなことをしようとしているらしい」
批判を繰り返し
「松井が館長ではダメだ」
という意見にまとまっていった。
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アフリカから帰国後、松井章圭は遺族派への対応を、郷田勇三と盧山初雄らと相談した。
その内容は不誠実なものに思えたが、遺族への配慮を含めて反対会見などは行わないことにした
これまで遺族には毎月200万円を支払われていた。
遺言書に記載されている400万円(妻と3人の娘に100万円ずつ)は満たしていなかったが、財務状況から仕方がなかった
また東京駅のホテル国際観光ホテルで、長谷川一幸、大石大吾、西田幸夫、廣重毅、小林功、大濱博幸ら1度目のメンバーに、アフリカら帰国した三瓶啓二、七戸康博、田畑繁(山形県支部長)、藤原康晴(長野県支部長)などを加え、2度目の会合が開かれた。
「もう松井ではダメだ。
松井の独占を許してはいけない。
我々が極真を守っていくべきだ」
西田幸夫がいうと大半は同調した。
「先輩、どういうことですか。
自分はアフリカでこれからは松井を立てて頑張っていくと松井本人と話してきたんです。
いろいろ不満もあったけどそういうことも全部話して、経理を公開するという言質もとって和解したんですよ。
それなのに戻ってきたら松井を降ろす話になっている」
それまで1番激しく松井章圭を批判していた三瓶啓二の変わりように全員が驚いた。
しかし三瓶啓二は
「でも先輩たちがそういうのなら自分は協力せざる得ないですよね。
自分は松井と頑張っていこうと話してきたけれどそういうことであれば先輩たちに従います」
と続けた。
その後は全員が松井体制の問題点を挙げていった。
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「そういえば密葬のときに梅田(義嘉)先生に後継者を発表させたのは山田(雅捻)先輩だと浜井(識安、石川県支部長)さんがいっていました」
(三瓶啓二)
反松井派にとって山田雅捻は疑惑の人物だった。
遺言の5人の証人のうち、大西靖人 、米津等史 が城西支部出身。
通夜の夜の記者会見(1994年4月26日)で何の肩書もない山田雅捻が司会を務め、「後継者は6月の全日本ウエイト制大会までにに発表する」といっておきながら、告別式(1994年4月27日)の出棺時に梅田義嘉が「遺言書に後継者として松井章圭君が指名されている」と発表。
その遺言書は大山倍達の直筆サインも口述録音もなく、書き直された疑いがある。
アフリカ遠征に通訳として同行した五来克仁も城西支部出身だったが、1度、極真をやめてUS大山に入門し、大山倍達の死後、すぐにニューヨーク支部長、そして国際秘書となった。
また「J-NETWORK事件」もあった。
少し以前に城西支部旧三軒茶屋分支部長で第1回全日本ウェイト制大会軽量級優勝者でもある大賀雅裕が、城南支部のテリトリー内にJ-NETWORKというキックボクシングのジムを出すという噂があると
緑健児は廣重毅に報告したことがあった。
「大賀さんが城南にキックのジムを出そうとしています。
これはルール違反だから抗議した方がいいと思います。
極真の分支部長がキックボクシングのジムを出すこと自体おかしいし指導員のほとんどが城西の人間らしいですよ。
J-NETWORKは城西支部のダミー道場なんじゃないですか?
もしジムを出すことを認めてしまったら全国にどこでもJ-NETWORKという名前で城西の道場ができてしまいます」
廣重毅は山田雅捻に抗議したことが、そのジムは城西支部の管轄下にあり、大賀雅裕は大山倍達が亡くなる直前に極真を退会していたことがわかった。
廣重毅は理解。
大賀雅裕は新しくジムを出すときは、事前にその地の極真の支部長に報告すると約束した。
その後、廣重毅は松井章圭から「大賀雅裕が新しいジムを出す」と連絡を受けた。
「大賀が神泉(東京都渋谷区)にジムを出すらしいぞ。
松井がいってきたよ。
もうすでに不動産なんかの契約はしたんだけどいいかって。
もしダメならやめさせるといってたけど了承したよ」
話を聞いた緑健児は、ますますJ-NETWORKが城西支部のダミー道場であり、山田雅捻と松井章圭が支援しているという疑いを強めた。
「師範、それはおかしいですよ。
賃貸契約した後に電話してくるというのは筋が通っていません」
そういった事実から反松井派は
「山田雅捻が黒幕ではないか?」
と疑った。
「密葬(告別式)のときに後継者の名前を発表させたのが山田師範なら、松井より松井の取り巻きが悪いのではないですか?
だったら山田師範を落とせばいいんですよ。
梅田先生に2代目を発表させたのが山田師範だということが明らかになれば、他の支部長も黙っていないでしょう。
山田師範の責任を問うはずです。
山田師範を極真から追放すれば松井もおとなしくなりますよ」
(柳渡聖人)
「浜井(識安)さんにその話を聞いたとき、いずれ証言してもらう日が来ると思うから、そのときは絶対に知らないといわないでほしいと頼んだら了解してくれた。
だから俺が会議の場で浜井さんから改めて言質を取り責任をもって山田先輩を追求する」
(三瓶啓二)
こうして彼らは全国の支部長を集め、松井章圭とその取り巻きを弾劾する会議を開くことを決めた。
そして彼らの呼びかけを受けた全国の支部長たちは、臨時全国支部長会議を開くことに賛成した。
この後、三瓶啓二は浜井識安に確認をとったが
「そんなことあるはずないだろう。
梅田先生も自分の意志だったといっているぞ」
といわれてしまった。
梅田義嘉は
「総裁が荼毘にふされ灰になる前に総裁の意志を伝えておきたいと、善かれと思い出棺の前に発表した」
といっていた。
しかし先輩を含む仲間に
「間違いだった」
とはいえなかった。
 (2233261)

1995年3月、郷田勇三は西田幸夫から電話を受けた。
「多くの支部長が松井章圭に我慢できないといっているので、支部長協議会か全国支部長会議を開いて話し合いたい」
そして数日後、突然、連絡もなしに西田幸夫がやってきた。
「師範、全員そのつもりですから。
師範もどうか自分たちに協力してください。
みんな待ってますから。
明後日です。
お願いします」
「全員って本当かよ。
それは支部長協議会でやるのか?
それとも支部長会議なのか?」
「一応、支部長協議会です」
「西田、そんなにすげなく帰るなよ。
今日はいい鰹が手に入ったから一緒に飯でも食いながら話そう」
「申し訳ありません。
今日はこれで失礼します」
郷田勇三は背中を向ける大山道場時代からの後輩にいった。
「支部長協議会なら議長であるおまえにも開く権利はあるが、支部長会議となれば館長の要請か了承がないと開けないぞ」
西田幸夫が帰ると郷田勇三は盧山初雄と松井章圭に電話を入れた。
1995年3月9日、メトロポリタンホテルに、松井章圭、郷田勇三、盧山初雄、西田幸夫、廣重毅が集まった。
西田幸夫、廣重毅から話を聞き、松井章圭、郷田勇三、盧山初雄事態は深刻さを知った。
「お前は明日の会議に出ない方がいい」
(盧山初雄)
「それはおかしいでしょう」
(松井章圭)
「お前がいたらみんな何もいえないんだよ」
(廣重毅)
「とにかくまず私たちが意見を聞いてくるから」
(盧山初雄)
「わかりました。
その代わりに10日の会議で出た内容を踏まえて11日にもう1度会議を開いてください」
 (2233262)

1995年3月10日、全国の支部長がメトロポリタンホテルに集まり、支部長協議会議長である西田幸夫が議事を進めていった。
「なぜ密葬のときに後継者を発表してしまったのか?」
「本葬後、香典は銀行が管理することになっていたのに松井が持って帰った」
「松井は極真のマークやロゴを個人名義で商標登録した」
「松井は館長になってから先輩に対する態度が横柄だ」
「松井はヤクザとつながっている」
など松井章圭に対する疑問や批判が挙げられ、意見が話し合われた。
そして
「密葬のときに梅田先生に2代目を発表させたのは山田師範と聞いたのですが本当ですか?」
と柳渡聖人が山田雅捻に質問した。
「いってません。
あれは梅田先生の意志でやったことでしょう」
そういわれても三瓶啓二を除く反松井派は
(それもお前がいわせたんだろう)
と思っていた。
「でも浜井先輩、山田師範が梅田先生を説得して密葬の場で発表させたって自分にそういいましたよね」
(三瓶啓二)
「知らないよ」
(浜井識安)
「そうですか」
反松井派は、追求することなく三瓶啓二に肩透かしを食らった。
西田幸夫は

1 絶対に松井体制を支持できない
2 松井が支部長たちの意見を真摯に受け止め改めるところを改めるなら松井体制を支持する
3 無条件で松井体制を支持する

の3択で支部長たちに挙手させることにした。
結果、大多数が2に手を挙げた。
1は、長谷川一幸、大石大吾、西田幸夫、三瓶啓二、三好一男、小林功、柳渡聖人、大濱博幸、藤原康晴、七戸康博など十数名。
3は、山田雅捻、1人だけだった。
郷田勇三と盧山初雄は、1で挙手した西田幸夫に驚いた。
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1995年3月11日、昨日のメンバーに松井章圭が加わって改めて会議が行われた。
議長は西田幸夫。
松井章圭は、質問を受けて説明し誤っていたと認めれば謝罪した。
「本葬の香典は銀行に預けると支部長会議で決まっていたはずだよね。
それなのになぜ持ち帰ってしまったのか。
我々はそれにものすごく不信感を抱いているんだ」
(三好一男)
「銀行はお金の合計額は出してくれても誰がいくら包んでくれたという詳細まで出してくれませんので、それではお礼の際に困ると思い、私が持ち帰り事務員たちと一緒にその明細をつくりました。
その後、お金は銀行に預けました。
ただそのときに事情をきちんと説明するべきでした」
(松井章圭)
「いったん会議で決まったことも勝手に変更したよね。
それでは会議を開く意味がないし独断でしょう。
極真会館は松井の私物じゃない。
例えば「総裁」の呼称は今後誰も使用しないと決まったのにどうして総裁を名乗っているんだ」
(三好一男)
「私は総裁と名乗ったことはありません」
(松井章圭)
「封筒に総裁・松井章圭と書いてあるじゃないか」
「それはそもそも会則に「国際空手道連盟総裁は極真会館の館長を兼ねる」という明文がありますよね。
だから従来の書式に倣って封筒には「国際空手道連盟総裁 極真会館館長 松井章圭」と書いてあります。
これは1つの規定ですから。
でも私は「総裁の松井です」と名乗ったことは1度もありません」
(松井章圭)
「独断といえば極真の商標権を松井の個人名義で登録したのも自分らは聞かされていない。
故人の名義なんておかしいし、極真を私物化している証拠だろう」
(三好一男)
「大山総裁存命中ならまだしも、亡くなられたことで「極真」というブランドがどのような形で悪用されるかわかりません。
そうならないためにも商標登録は急務だと考えていました。
ただ極真会館はまだ法人としての登記がなされていません。
法的に組織としてみなされていないのです。
商標を登録する法人格がないため、まず長である私の名前で登録しました。
いずれ財団法人など法人格を取得した際にはそちらに移行させるつもりです」
(松井章圭)
「皆さんから挙がった問題点をみると、とても細かい内容まで書いてあるけど、基本的に支部長会議は年に2回しかないわけでしょう。
全支部長の許可を得ないと何も進まないのでは組織は円滑に動かない。
要は館長の権限をどこまで認めるかという部分が重要であって、それについては支部長たちの間にかなりの誤認の差がある気がするよね」
(浜井識安)
「でも商標権の登録は大きなことですよ。
それを支部長の意見をまったく聞かずに個人の名前で登録するなんておかしいでしょう。
しかも総裁が亡くなった直後に動いているなんて納得できるわけがないじゃないですか」
(三好一男)
「皆さんの意見を聞かず話を進めてしまったことは謝ります。
ただ迅速にかつ個人名義で登録せざる得なかった状況についてはわかっていただきたい」
(松井章圭)
「山田師範にも腑に落ちない点が多々あります。
例えばニューヨーク支部長になった五来っていますね。
いつの間にかニューヨーク支部長になっていた五来ですよ。
彼はもともと山田師範の弟子でしたが極真を辞めてUS大山に入門した人間でしょう。
それを総裁が亡くなってすぐに極真に戻して、しかも支部長どころか国際秘書にまでしてしまった。
これも自分たちには何も知らされていないんですよ。
おかしいですよね」」
(三好一男)
「いやそれは誤解だよ。
総裁がまだ生きてらしたときに総裁自身が五来を支部長に任命したんですよ。
ちゃんと認可状もあるから確認してください」
(山田雅捻)
「大西(靖人、遺言状の承認の1人)もそうですよね。
彼も元城西支部じゃないですか。
しかも大西は極真を離れて極真に対抗するような団体を勝手に作った。
いわば極真を裏切った人間ですよ」
(三好一男)
「大西は極真に戻っていないでしょう。
大西は総裁に「極真に戻って支部長になれといわれたけど断った」といっていたよ。
組織の人間ではなく違った形で極真を応援していきたいといったら総裁は喜んでくれたと。
私とはまったく関係のない人脈で大西は総裁に再会した。
私には総裁に合ってこういう話をしましたとわざわざ報告してくれただけです。
私が大西と総裁を会わせたのではありません」
(山田雅捻)
 (2233264)

「J-NETWORK事件も廣重師範の許可なく城南のテリトリーにジムを出すっていうのはおかしでしょう。
しかも分支部長をやりながらキックボクシングのジムを出すなんて何を考えているんですか。
松井がJ-NETWORKの役員をやっているとも聞いているし」
(柳渡聖人)
「ちょっと待て。
確かにその話はしたけどJ-NETWORKについてはもう終わったから。
俺はちゃんと説明を受けたから問題ないんだよ。
みんなにも連絡が行ったでしょう?」
(廣重毅)
「そうですか・・・
じゃあJ-NETWORKについてはいいですけど・・・」
(柳渡聖人)
「よくないですよ。
終わっていません。
それを含めて全部、山田雅捻が仕組んだのではないですか」
(緑健児)
その後、山田雅捻への追求が続き、怒声が飛び交った。
「じゃあ私が責任を取って辞めればいいんでしょう!」
少しキレた山田雅捻がいった瞬間、松井章圭は拳で机を叩いた。
「みなさんは何をやっているんですか。
今回の会議の論点は僕のはずです。
山田支部長を集中攻撃するようなことはやめてください」
この大声で会議場は静かになった。
その後も何も決まらぬまま会議は進んだ。
「そもそも密葬のときに2代目を発表してしまったことが大きな問題だと思うんだよね、自分は。
だからいったん松井は館長を降りて、公平かつ公正にみんなで館長を選任すればいいんじゃないですか。
高木さんたちが事務長の館長就任を発表したことも踏まえて、事務長にもいったん館長を降りてもらって、どっちが館長としてふさわしいか選んだらいいのではないですか。
それならみんな納得すると思うんだけど」
(廣重毅)
「ちょっと待ってよ。
それはあり得ないでしょう。
みんなのいい分に納得できないのに松井が館長を降りるのはおかしいよ。
それに奥さんと松井を天秤にかけるというのも筋が通らない。
そもそも奥さんを担いだ高木さんたちは除名された人たちですよ」
(浜井識安)
「廣重、それじゃ大山総裁の意志はどうなるんだ。
松井を2代目に選んだのは大山総裁だろう。
松井を気に入らないからと総裁の意志を反故にして弟子が勝手に2代目を決めてもいいのか」
「松井がいったん降りても自分が必ず松井を再選させます。
もしそうならなかったら腹を切ります」
(廣重毅)
こうして会議は終わった。
「遺族派」に続いて、第3の極真、「支部長協議会派」が姿を現した。
彼らはその後、同志を集めていったが、松井章圭は
「たとえ1人になっても戦う」
と腹をくくった。
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数日後、郷田勇三の道場に廣重毅が駆け込んだ。
「松井が100人組手で八巻を潰そうとしています。
許せません」
八巻建志は、前年10月の全日本大会で優勝し、11月の世界大会でも日本代表の筆頭だった。
その全日本大会の1週間前に松井章圭は八巻建志に電話を入れた。
「今晩、食事でもしませんか」
そして夜、レストランで会った。
「大会終了後、100人組手をやりませんか?」
「それだけは勘弁してください」
「何故できないんですか?」
「世界大会に勝ちたいんです。
100人組手で体を壊したら元も子もありません」
「そうかな。
勝つためにやるんじゃないの?
君は1度限界をみておくべきですよ」
「でも100人組手だけは・・・」
「限界のわかった人間は強いよ
これは私が保証します」
「しばらく考えさせてください」
八巻建志に相談されて廣重毅は
「あまり難しく考えず
とりあえず100人と戦って立っていられたらいいんじゃないか」
といった。
八巻建志はやることに決めた。
その後、廣重毅は館長である松井章圭に、1人当たり1分30秒で行うように依頼し認められた。
ところが緑健児に
「当日は2分で戦わせるつもりですよ」
といわれ、すぐに総本部に電話を入れて100人組手の時間を聞くと、事務員の黒田都士は
「2分です」
と答えたという。
郷田勇三はすぐに松井章圭に電話をして問い正した。
「1分30秒ですけど・・・・」
「廣重が黒田に確認したら2分だっていっていたらしいぞ」
「ちょっと待ってください」
3階の館長室を遺族にカギをかけられ、2階の事務所で事務員と共に業務していた松井章圭は、目の前で働いている黒田都士に確認した。
黒田都士は過去の100人組手の記録をみて答えただけだった。
廣重毅はこの件を三瓶啓二にも伝えた。
すると
「私が審判するから大丈夫ですよ。
任せてください」
といわれた。
100 件

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  • ニックネーム 2020/10/31 14:05

    極真カラテは大山ファンクラブであって格闘の「術」ではなかったのかな…
    悲しいなぁ…

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