加山雄三
加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年4月11日 - )は、日本の俳優、シンガーソングライター、タレント、ギタリスト、ウクレレ奏者、ピアニスト、画家。本名は池端 直亮(いけはた なおあき)。ニックネームは若大将。作曲家としてのペンネームは弾 厚作(だん こうさく)。血液型A型。
加山雄三 - お嫁においで
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加山雄三 オフィシャルサイト

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加山雄三「君といつまでも」
1965年12月に映画「エレキの若大将」の主題歌として発売された『君といつまでも』が350万枚の大ヒットになり、1966年の第8回日本レコード大賞の大本命とされました。しかし結局大賞は同曲に比べ売り上げ面で劣る橋幸夫の「霧氷」が受賞、「君といつまでも」は特別賞に留まります。
加山雄三 - 君といつまでも
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#レコード大賞買収 小学生の頃、加山雄三さんの「君といつまでも(1965)」が大ヒットしたが、レコード大賞から除外された。あれから、「賞は宣伝材料でしかない。」と考えるようになった。 pic.twitter.com/51DEZsmwST
— eugene yamaguchi (@eugene1014) October 26, 2016
加山雄三は元祖イケメン俳優?!
神奈川県横浜市神奈川区幸ヶ谷の家に生後8か月まで、次の東京都大田区田園調布には1歳9か月まで住んでいました。幼少期は大腸カタルを患い病弱だったため、子煩悩な父・上原謙は息子のために、空気の良い神奈川県茅ヶ崎へ引っ越しました。お手伝いさんは必ず2人はいたそうです。
茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校、茅ヶ崎市立第一中学校、慶應義塾高等学校から慶應義塾大学法学部政治学科へ進み卒業後の1960年春に東宝へ入社。同年『男対男』で映画デビューします。お坊ちゃま育ちで、頭もいい、更に美男子と、恵まれた人生です。
1960年4月に東宝へ入社してからの数年間は実家の茅ヶ崎から、砧撮影所の最寄り駅である成城学園前まで電車通勤し、母の持たせる土方が持つような巨大な弁当箱をいつも持っていたたことから「ドカ弁(土方の弁当の略)」というニックネームをつけられていたそうです。
加山雄三は芸能人一家!
父は俳優の上原 謙(うえはら けん)
奇跡の後期高齢者加山雄三もすごいですが、父親の上原謙はもっとすごいです。
上原謙は、涼やかな目元、すっと物差しで引いたように通った鼻筋、薄い唇といった完璧な容姿でした。ですから女性のみならず男性からも追い掛け回され続け、二枚目俳優、美男子でしたから映画の世界に入ってからも大変な人気でした。兵役についた際にも、なんと所属部隊宛にファンレターが山のように届いたそうです。
上原謙は、涼やかな目元、すっと物差しで引いたように通った鼻筋、薄い唇といった完璧な容姿でした。ですから女性のみならず男性からも追い掛け回され続け、二枚目俳優、美男子でしたから映画の世界に入ってからも大変な人気でした。兵役についた際にも、なんと所属部隊宛にファンレターが山のように届いたそうです。
via ja.wikipedia.org
加山雄三は父親が上原謙、母親が小桜葉子という映画スター同士の間に生まれた二世俳優です。最近ではTV番組などで、二世タレントをよく目にしますし、アレコレ文句を言われている場面を目にしますが、加山雄三クラスの成功をおさめてしまえば、文句をは言う人間は誰もいません。
作詞/岩谷時子
作曲/弾厚作(加山雄三自身のペンネーム)。