2019年6月28日 更新
テレビアニメ「アタックNo.1」を企画した50年前のプレゼン資料を読み解く。
1968年1月、週刊マーガレットで連載が始まった「アタックNo.1」は瞬く間に人気を獲得し、翌1969年12月にはアニメ放映が開始されます。ミド編は50年前に本作のアニメ化を企画したプレゼン資料を入手したので、どのような構成でアニメ化実現を訴求したのか、読み解いてみようと思います。
手塚治虫、横山光輝、ちばてつや、石森章太郎、赤塚不二夫といった当代きっての一流漫画家と女流作家との溝を、「アタックNo.1」の浦野千賀子先生がみごとに埋めました。
そして「悲劇のヒロインの弱々しさをふっきって、明るく行動的なスーパーレディが誕生」したのです。
「女の子にとってもスーパーマンはかっこいい」
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「女の子が活躍しても不自然ではない、それがスポーツの世界」
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「バレーボールを舞台に、ヒロインをかわいい英雄として造型することに成功」
女性が活躍する、ということへの抵抗感みたいなものが存在していた時代であることを想起させますね。
それくらい「アタックNo.1」は思い切って大胆なマンガだったということが読み取れます。
「鮎原こずえは全少女の憧れ」
「あたしもああなりたい!」
少女にとって強烈なカリスマ的存在だったのです。
「鮎原こずえは敵対するライバルを味方に転化し、熱い友情で固く結ばれ、それがチームワークの原動力となる」
「アタッカー成長物語は一少女の魂の成長物語である」
なんて熱いのでしょう。
後のキン肉マンや北斗の拳、キャプテン翼にドラゴンボールといった少年マンガ、いずれもこの王道的なストーリーを展開しています。
キャラクター紹介
キャラ紹介のキャッチが「清潔で華麗なドラマを彩る人々」です。
あくまでも少女マンガのプロトコルに沿っているということを意味するのでしょう。
企画の根拠
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性格は明るく負けず嫌い。ジュニア・バレー界のスーパーレディ。
ただしときには強引な行動や激情型なところも。